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私のブログ「明治時代の沼津の別荘」がきっかけで日本画の大家、東の横山大観と並び、西の栖鳳と称された「竹内栖鳳」を研究している方が京都からお越しになった。ブログで紹介した明治時代の別荘配地図に栖鳳と懇意にしていた柴田定吉別荘が載っていた事が沼津に来られた理由でした。沼津駅に到着後早速別荘があった千本浜近くに出向き別荘があったと思われる場所を見て回りました。細部は触れませんが収穫は有ったようです。日本画の事など素人な私ですがこの日はいい勉強をさせていただきました。
竹内栖鳳(たけうち・せいほう)元治元-昭和17(1864-1942)
京都に生まれる。幸野楳嶺に師事、内国勧業博覧会など受賞を重ねる。はじめ棲鳳と号したが、明治33年渡欧後に栖鳳と改号。渡欧を機に西洋画法を積極的に摂取。大正2年帝室技芸員、昭和12年文化勲章受章。京都画壇で指導的役割を果たし、多くの逸材を育て、近代日本画の発展に尽くした。
「班猫」重要文化財。モデルとなった猫は栖鳳が沼津に滞在していた時、偶然見つけた近所の八百屋のおかみさんの愛猫であった。その姿に中国南宋時代の徽宗皇帝の描いた猫を想起し、絵心がかき立てられたため、交渉して譲り受けて京都に連れ帰り、日夜、画室に自由に遊ばせながら丹念に観察して作品に仕上げたのであった(山種美術館蔵)
「河口」大正7年狩野川の河口付近を主題にしているものでこの後の風景描写に重要な意味を持つ作品。
竹内栖鳳の1927年の作品「秋霽」栖鳳は、好んで富士の作品を描いたそうですが、この作品は、湯河原や沼津を訪れた際に描いたものだろうと言われています。霧の晴れ間からのぞいた冠雪の白さが鮮やかです。
「栖鳳」は度々沼津千本浜の柴田別荘を訪れていたようです。柴田定吉は京都の人ですが東京に出て末廣という料亭を開き大成功した人で栖鳳の子供を養子として縁組するほどの間柄だったそうです。竹内栖鳳が沼津や千本松原に関連する作品も多く描いていた事に沼津に住む私にとっても又自慢が一つ増えました。
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