大河ドラマと熱海「頼朝と政子 伊豆山神社」&「家康と熱海の湯」
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「源頼朝と北条政子の伊豆山神社」
古来伊豆大権現、又は走湯大権現、伊豆御宮とも走湯社とも称され、
略して伊豆山又は走湯山と呼ばれていたが、明治になって現在の社名に改称された。
四季折々の美しい景色を眺めながら境内への長い階段を登ると、
社の左右には神木である梛 (ナギ) の木が。災いを浄化する作用があると
いわれるこの葉を持つと願い事が必ずかなうという言い伝えがある。
役小角や弘法大師など多くの仏教徒や修験者が修行を積んだ霊場で、後白河院皇が御撰した
「粱塵秘抄 (リョウジンヒショウ) 」にもそのことが著されていることから、
古くから神聖な場所として崇められていたことがわかります。
平安時代には源頼朝が源氏の復興を願い、崇拝していたという源頼朝ゆかりの神社である。
流人・頼朝は伊豆山権現の住僧覚渕に学び、やがて北条政子と劇的な出会いを果たします。
治承2年の夏、北条政子は親の定めた山木兼隆との縁談を嫌い、婚礼の夜、
宴席を抜け出し約七里の道のりを超え、かねて想いを寄せていた伊豆山の頼朝の元へ。
頼朝は政子を逢初橋(あいぞめばし:国道135号)の上で出迎えたと言います。
訪れた二人を必ず結ぶという夫婦神を祀った結明神社。
頼朝が鎌倉幕府を開いた後にも、伊豆山神社は源頼朝と政子に崇拝されました。僧兵3800人を有し、絶大な勢力を誇りました。戦国時代は小田原の北条氏により厚く庇護されていましたが豊臣秀吉の小田原征伐で 焼き打ちにあい消失するも徳川の時代に伊豆大権現は再建復興、徳川家康も参拝に訪れています。
境内には、頼朝と政子が愛を語り合い仲良く座っていたとされる腰掛け石があります。
源氏の守護神また縁結びの神として親しまれる伊豆山神社春の例大祭は4月14~16に行われる。神社の石段を約700段降りた広場までの行列、勇壮な御輿のお下りとお上り、神楽神女の舞がなどが行われる。
この神社には頼朝を思う政子が手鏡の下に忍ばせ縁が結ばれたナギの葉にちなみ「梛の葉守 (ナギノハモリ) 」という特別なお守りもあります(女性がおナギ、男性がめナギを持つといい)。
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「徳川家康と熱海温泉」
熱海の温泉を愛した将軍として名高いのは徳川幕府初代将軍・徳川家康公です。
源頼朝を尊敬した家康は「自分もいつかは天下を統一したい」と、頼朝が学び、頼りにしていた伊豆権現(現在の伊豆山神社)の再興に寄与しました。「徳川家康は、関が原の合戦前に熱海に入湯し、その温泉パワーをもらって天下統一を成し遂げた」とも言われています。
また慶長2年(1602年)に熱海に湯治、そして慶長9年(1604年)3月、家康公は義直、頼宣の2人の子どもを連れて、7日間熱海に滞在しました。この年の9月、京都で病気療養中である吉川広家のお見舞いとして熱海のお湯を運ばせました。京都の近くにも名湯があるにも関わらず、わざわざ「熱海の温泉」を運ばせたことからも、家康公がいかに熱海温泉を気に入ったかが窺い知れます。
熱海から江戸城まで温泉を運ばせた「御汲湯」の始まりは、4代将軍家綱公が大湯の温泉を真新しい檜の湯樽に汲み江戸城まで運ばせたのが始まりであり、その後歴代徳川将軍に継承されました。特に8代将軍吉宗は8年間で3643個の湯桶を運ばせています。
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