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「大河ドラマ 鎌倉殿の13人」面白くなってきましたね~沼津に関係する登場人物や俳優さんも知ると一層応援したくなりますね!
沼津大岡荘牧宗親の娘が、初代執権北条時政の後妻となった牧の方「りく役/宮沢りえ」
義時の継母。都で時政に見初められ、伊豆に下って後妻となる。いつか都に戻ることを狙い、頼朝の舅しゅうととなる時政の出世欲をあおる策略家。
沼津市井出の大泉寺に墓がある「阿野全成/新納慎也」
義経の兄、頼朝の異母弟。源頼朝が兵を挙げた後、その下に加わり活躍したため、その功績により駿河国(静岡県)阿野庄を与えられた。阿野氏の本拠は、根方街道に沿った東原・鳥谷・柳沢・青野・根古屋・井出・平沼・石川付近であると考えられ、井出の大泉寺が、その館の跡であるといわれている。修行を積んだ陰陽を駆使して兄・頼朝を補佐。僧として北条の栄枯盛衰を見つめる。
沼津加藤学園暁秀出身の俳優「江間次郎役/芹澤興人」
伊東祐親の家人。八重(新垣結衣)の“不憫(ふびん)な夫”江間次郎役を好演している
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≪源氏・平家近くの史跡≫
※富士川の戦い
駿河国富士川で源頼朝、武田信義と平維盛が戦った合戦である。治承・寿永の乱と呼ばれる一連の戦役の1つである。石橋山の戦いで敗れた源頼朝は安房国で再挙し、進軍しながら東国武士がこれに参集して大軍に膨れ上がり、鎌倉に入る。一方、甲斐国で挙兵した武田信義らは駿河国目代を討ち取った。
その両者が駿河国で合流し、都から派遣された平維盛率いる追討軍と戦い勝利。アシの中から飛び出した鳥を見て、源氏の大軍が来襲したと思い込み、戦わずに、あわてて退却開始。平家が驚いてしまった場所が「平家越え」と呼ばれる、静岡県富士市新橋町付近とされる。 横割八幡宮・日吉神社・鎧ヶ淵 等合戦にまつわる史跡も付近にある。
※黄瀬川の八幡神社で義経と対面
合戦の翌21日(11月10日)、黄瀬川静岡県駿東郡清水町で若い武者が頼朝との対面を願い出た。『吾妻鏡』によると「弱冠一人」、『源平盛衰記』によると20余騎を率いていた。頼朝の挙兵を聞いて奥州平泉から駆けつけた弟の九郎義経であった。
※対面石近くにある「頼朝橋&馬蹄石」頼朝橋:頼朝の名が付いた橋&馬蹄石:頼朝が乗った馬が蹴った跡が残ると言われる石。
※その他
≪蓮光寺≫牧の方(宮沢りえ)一族の館”牧の御所”の跡地で北条時頼が建立したと言われる寺。沼津市三好町(2003年訪問龍さんのブログ沼津近郊の寺に記載)
≪禅長寺頼政堂≫源頼政が打倒平氏で戦死、妻の菖蒲御前が遺骨を守って潜んだと言われる。沼津市西浦河内(2008年訪問ブログに記載)
≪六代松の碑≫六代というのは、小松の三位中将平維盛の息子。祖父は重盛、曾祖父は清盛ということになります。平家物語によると、六代は平家の滅亡によって捕らえられ、鎌倉ヘ護送中、千本松原において処刑されそうになりました。その時は文覚上人の命乞いによって免れましたが、文覚上人の謀叛に連なり処刑されたそうです。従者であった斉藤六範房は、六代の首を携え所縁の深い千本松原で主君の首を松の根元に埋め弔ったと伝えられています。沼津市本
≪潮音寺≫亀鶴姫の墓。曽我兄弟が工藤祐親の寝所に討ち入った時に添い寝していたという美女。頼朝が強く召されたが応じず18歳の春鮎壺の滝に身を投げたという。(2008年3月訪問ブログに記載)
※近郊の史跡≪北条寺 北条義時の墓≫≪願成就院 北条時政の墓≫≪真珠院 八重姫の供養堂≫≪東林寺・最誓寺 伊東家の菩提寺≫≪高源寺 石橋山合戦旗揚げの地≫≪成願寺 頼朝と餅売≫≪成福寺 北条氏ゆかりの寺≫等々‥‥‥
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