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2018年12月

2018年12月28日 (金)

「レストランKIYA」函南町

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久しぶりに函南「レストランKIYA」さんに寄りました。昔は決まってチキンカツを頼んでいましたがこの日は昔から同じ(38年)変わらない「カニクリームコロッケ」をいただく事に。

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メニューを見ると「クリームコロッケとチキンカツや串カツ」など色々組み合わせたセットがあるので暫し迷いましたがカニクリームコロッケ2個とチキンカツ2個の「お好み定食1320」に決めました。

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お好み定食のセットは大皿にクリームコロッケとチキンカツ2個、煮物にお新香、みそ汁、胡麻、ご飯。すりこ木棒で胡麻を擦っていただきます。

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定食だけでは物足りなくて「シーフードグラタン¥1280」を追加してしまいました。昔美味しかったのをつい思い出してしまって~

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当地スイーツの函南クラシックぷりんもおすすめと言う事で。

Kiyaさんは1980年三島市東本町で「とんかつ屋」さんでスタート、1886年日大通り萩に移転しレストランに、1997年現店舗に移転。昔からワンプレート主体の定食屋さんで「とんかつやお米」が美味しい店で今もその流れは変わっていませんね。

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2018年12月16日 (日)

「画像で見る昔と今 5我入道」沼津南部

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「沼津市我入道」日蓮上人が鎌倉から逃げ舟で流れ着いた時”我この道に入る”デ我入道の名前が付いたとか~(画像 狩野川河口左岸に位置する地区が我入道)Hshxisit

江戸時代には我入道村は駿河国駿東郡に属した。江戸時代は山畑は僅かであり、村の主たる産業は漁業であった。明治元年(1868年)には駿府藩領(翌年には静岡藩と改称)、明治4年(1872年)には静岡県に属した。1889年(明治22年)の町村制施行に伴い我入道村は下香貫村・上香貫村・善太夫新田と合併、楊原村の大字となった[1]。1922年(大正12年)には楊原村の沼津町との合併及び市制施行により沼津市の大字となった。かつては軍人・大山巌の別荘があった。また作家・芹沢光治良の生誕地としても知られ、これを記念した芹沢文学館・詩碑が残されている。

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「我入道より富士を望む」狩野川河口左岸に位置する我入道の不動岩から、観音川にかかる藤見橋その奥に富士山を見る事が出来る。明治19年東海道線の工事が開始され横浜から船で建築資材を狩野川河口に運び、それを沼津の市街地の工事現場まで運搬するという目的で敷設された蛇松線が最初の工事だった。その後昭和8年沼津港の建設等で周辺の景色は変わった。

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沼津港外港の建設で沼津港は大きく変わり現在に至っている。

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2018年12月14日 (金)

「画像で見る昔と今 4香貫・楊原」沼津南部

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Postcard2_2「楊原村」

狩野川の南に位置する。1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、駿東郡下香貫村、上香貫村、我入道村、善太夫新田が合併して発足。1920年(大正9年)8月 - 若山牧水が転居してきた。1923年(大正12年)7月1日 - 駿東郡沼津町と合併し市制を施行、沼津市となった。

「香貫山から狩野川河口~大瀬崎を望む」Photo_3
「昭和20年代の香貫地区」大瀬崎や狩野川河口の位置から見ると香貫山から撮った画像の様です。下香貫地区は一面田んぼですね。

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香貫山の南麓地区の地名の由来も知っておきましょう!

「玉江町」この地の小字名を江間田と称していましたが、昭和初年に玉江町と呼ばれるようになりました。これは江間田を逆に呼んでしゃれた地名にしたかったためと言われています。

「宮原町」楊原神社の近くの平担な土地ということで、称されるようになったと言われています。

「二瀬川」二つの瀬がある川ということで、この地で川が二又に分かれていたところから付けられた地名と言われています。

「宮脇」楊原神社の脇にある土地ということから付けられた地名です。

「八重」香貫山と徳倉山の尾根が接する山あいの地域で、山が幾重にも重なっているところから付けられた

「馬場」この土地が楊原神社の社地で、神馬や流鏑馬(やぶさめ)などの馬場であったところから付けられた

「楊原」楊原神社にあやかって付けられた地名です。神社の南東の八重原(やえはら)の地域が楊原神社にゆかりの土地であるということから、昭和の初めごろは楊原と呼ばれました。一説には八重原は楊原のなまった呼び方と言われています。(沼津市HP)

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2018年12月13日 (木)

美食創作「 Restaurant パザパ 」三島

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「Restaurant パザパ」Fさんのご招待で伺う機会がありました。だいぶ前に一度御邪魔した事がありますが暫くぶりになります。入り口も洒落ています。既に営業開始から15年経つそうです。Sdsc_9408
1階はフレンチイタリアン料理を楽しめる。又バーカウンターもあり気楽にお酒も楽しめそう。テーブル席は落ち着いた小物が揃い雰囲気がいい。「前菜はスズキ、海老、イカ、新鮮野菜のトマトなど」 盛り付けは勿論味もいい!Sdsc_9412
「むらさきいものスープ」生クリームの美味しさが際立つ、紫の色がスープの味付けに混じんでいる。

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「モチ豚のソテー」柔らかそうなお肉が乗せられた野菜類の下に見えます。ナイフカットを見ていてもお肉のきれ具合が美味しさを連想させます。Mさんが美味しそうに食べるので見とれていました。

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「スズキのポワレ」スズキの皮が美味しいと云ったのが一口いただきその美味しさが良くわかりました。彩を添える野菜が綺麗だ。

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「鶏のソテー」ソテーされた地鶏とソースがピッタリのようだ。見るからに美味しいそう。

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「牡蠣のクリームパスタ」口の中で感じる生カキの香りと生クリームのソースは茹で上がってまだ熱いパスタに絡んでいける!

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「デザートのケーキ、ブランマンジュ」上質な生クリームを使用しているのが舌に感じる。微妙な柔らかさの食感は最高に美味い。イチゴの新鮮さに驚く。

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「ホットコーヒー」美味しくいただきました~2階は完全予約制。

場所 三島市松本281-10 ㈭定休

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2018年12月12日 (水)

鰻蒲焼専門「冨久家」沼津

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「冨久家」さんに来るとテーブルの上の写真が気になっていつもじっくり見入てしまう。写真の左下に慶応元年1865年撮影とある。大河ドラマに出て来る西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文、小松帯刀、岩倉具視、勝海舟、坂本龍馬等々の名が並ぶ。

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私より少し後に来店した予約をされていた常連さんが先になりましたが~写真に見入っていると出来てきました「うな重¥3400」

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創業80数年の老舗「鰻店」うな重の照り具合がいい!古くから継ぎ足し使われるたれはさすがです。

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山椒をたっぷりかけてさあいただきます ̄あっさり系のタレが美味しい!

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老舗だけあって壁には著名人のサインがいっぱいです。

場所 沼津市市場町13─4  ㈪定休

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2018年12月11日 (火)

「画像で見る昔と今3」沼津南部

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「3大瀬崎」

古くから引手力命神社が祀られてはいたものの大瀬崎一帯は長らく無住地で、周辺住民も漁業や温州みかんの栽培、薪炭生産などで生計を立てていた。伝承では、鎌倉時代末期頃、北条高時に味方して護良親王と戦った鈴木繁伴が鎌倉幕府が倒れた際にこの地に潜伏したとされ、以降この地一帯を支配する江梨鈴木氏として続いた。

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「伊豆国となっている古い画像の大瀬崎↑」小さな帆を張った小舟が漁をしているのでしょうか~戦後1982年頃からは急速にダイバー数が増加、日本を代表するダイビングスポットとなった。Osezaki_main_2

「大瀬崎 現在↑」 富士山の絶景スポットであり、心霊スポット神池を取り囲むビャクシン樹林でも有名ある。

古き時代との対比は故郷沼津を考え直す機会にもなります!

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2018年12月 8日 (土)

アジア・エスニック料理「Su-Haスウハ」沼津

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「ジュビロJ1残留にホッ」小川PK・田口FK 2:0完封勝利。

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アジア・エスニック料理「Su-Haスウハ」さんに出掛けて来ました。入り口を入ると洒落た階段があります。お店の雰囲気がこの階段に集約されている様なアジアンチックな佇まい~

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この日はヴェトナム料理で「モツとキャベツのフォー」と「ヴェトナム珈琲」を頼みました。

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牛か豚のフォーは結構食べていますがモツは初めてです。しっかり煮込まれたモツ柔らかで臭みもなくスープの味と共に上品な味つけです。

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緬は細打ちの幅広です。ジュビロの残留ホッとしました~これで風も治るかな~

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場所 沼津市下香貫前原1477-1  沼津石材店 2F ㈪定休㈫不定休

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2018年12月 7日 (金)

「画像で見る昔と今 2島郷~牛臥海岸」沼津南部

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国道414号沿い「沼津御用邸記念公園」に隣接する海岸が「島郷海岸」その西に「牛臥海岸」があります。その昔、牛臥山は島であり、山裾には海水が入りこんでいて、内側一帯は入り江であったと言われています。

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そして、島の入り江に面した土地ということで安永年間(1772年~1780年)までは島江と称されていました。その後、次第に土地が干拓され入江が無くなったので江を郷に代え島郷となりました。また江戸時代末期になると、桃の栽培が行われ出し、一時期、島を桃に変えて桃郷としていました(沼津市HP)

「2島郷~牛臥海岸↓時代不詳」

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「島郷の海岸」は未だ小石がある広い浜辺があった様だ。小学校の生徒と思われる子供達が楽しそうに草履を脱いで水遊びをしている。牛臥方面も浜辺がしっかりあり松林も立派だ。牛臥山の下には嘗ての三島館の建物が軒を連ねている。

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「島郷~牛臥海岸↑ 現在」浸食がすすんだ島郷海岸は突堤が出来たり昔とは様変わりしている。昔は遠浅で砂浜で賑やかだった海水浴も今はこじんまり家族ずれが利用している。牛臥海岸は遊泳禁止となっている。

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2018年12月 6日 (木)

「画像で見る昔と今 1内浦長沢海岸」沼津南部

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昔の写真と現在の写真を同じ場所で比べてみると色々な事を思い考えたりして楽しい。

「1長沢海岸 年代不詳」↓

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まさに北条水軍の長浜城址の真下の長沢。中央には魚見の櫓が立っていて鳥山の魚や潮の流れなども監視していたという。生け簀の鰯を餌にしたカツオ漁が盛んだったともいう。

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「1長沢海岸 現在⇑」遠くの淡島や富士山の位置から現在はマリーナとなっているこの場所が同じ所のようだ。

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