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2012年3月29日 (木)

熱海市「伊豆山神社」

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Sdsc_0021 古来伊豆大権現、又は走湯大権現、伊豆御宮とも走湯社とも称され、略して伊豆山又は走湯山と呼ばれていたが、明治になって現在の社名に改称された。Sdsc_0006 四季折々の美しい景色を眺めながら境内への長い階段を登ると、社の左右には神木である梛 (ナギ) の木が。災いを浄化する作用があるといわれるこの葉を持つと願い事が必ずかなうという言い伝えがある。Sdsc_0022 役小角や弘法大師など多くの仏教徒や修験者が修行を積んだ霊場で、後白河院皇が御撰した『粱塵秘抄 (リョウジンヒショウ) 』にもそのことが著されていることから、古くから神聖な場所として崇められていたことがわかります。平安時代には源頼朝が源氏の復興を願い、崇拝していたという源頼朝ゆかりの神社である。Sdsc_0033 流人・頼朝は伊豆山権現の住僧覚渕に学び、やがて北条政子と劇的な出会いを果たします。 治承2年の夏、北条政子は親の定めた山木兼隆との縁談を嫌い、婚礼の夜、宴席を抜け出し約七里の道のりを超え、かねて想いを寄せていた伊豆山の頼朝の元へ。 頼朝は政子を逢初橋(あいぞめばし:国道135号)の上で出迎えたと言います。 Sdsc_0018  (上の画像は訪れた二人を必ず結ぶという夫婦神を祀った結明神社)頼朝が鎌倉幕府を開いた後にも、伊豆山神社は源頼朝と政子に崇拝されました。僧兵3800人を有し、絶大な勢力を誇りました。戦国時代は小田原の北条氏により厚く庇護されていましたが豊臣秀吉の小田原征伐で 焼き打ちにあい消失するも徳川の時代に伊豆大権現は再建復興、徳川家康も参拝に訪れています。Sdsc_0003境内には、頼朝と政子が愛を語り合い仲良く座っていたとされる腰掛け石があります。源氏の守護神また縁結びの神として親しまれる伊豆山神社春の例大祭は4月14~16に行われる。神社の石段を約700段降りた広場までの行列、勇壮な御輿のお下りとお上り、神楽神女の舞がなどが行われる。、Sdsc_0024右手の資料館には政子が頼朝のために髪で作った曼荼羅 (マンダラ) が納められています。伊豆山神社の裏山にある白山神社。左手のまっ白な鳥居をくぐり、勾配のある山道を片道20分ほど歩くと静謐な雰囲気の森のなかに突如、大きな岩が連なる場所が。鳥居とご神木、さらにその上には本社があります。
この神社には頼朝を思う政子が手鏡の下に忍ばせ縁が結ばれたナギの葉にちなみ「梛の葉守 (ナギノハモリ) 」という特別なお守りもあります(女性がおナギ、男性がめナギを持つといい)。

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