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2010年4月

2010年4月21日 (水)

静岡「丁子屋のとろろ」

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東海道五十三次の20番目の宿場町静岡丸子宿で、とろろ汁を商って400年(慶長元年創業)だそうです。昔懐かしカヤ葺きの屋根。中に入ると黒光りする大黒柱や囲炉裏。古民家の中で味わう麦とろは格別です。

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とろろ汁に使う自然薯は山薬と云われ滋養強壮の食べ物として珍重され消化もとてもいいそうです。その風味とねばりは今でも多くの人に好まれています。納得の味ですね。

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長年培ったとろろ汁は自家製の白ミソもおいしさを引き立てているし、麦ごはんがお櫃で出てくる所も昔と変わりませんね。ここの刺身のマグロと麦とろごはんは近くに来ると寄ってみたくなるお店です。静岡市駿河区丸子7-10-10  定休 木曜日・月末の水・木曜日

 

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2010年4月16日 (金)

静岡市吐月峰「柴屋寺さいおくじ」臨済宗妙心寺派

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柴屋寺」は街道時代の静けさが残る鞠子宿(静岡市丸子)にあります。島田の出身で今川義忠に仕えた中世の連歌師・宗長が京の銀閣寺を模して造ったといわれています。

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本堂から眺める庭園はまさしく京都にいるが如く感じます。

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庵の南側窓越しに富士山をイメージする丸子富士、西北には天柱山をたずさえ、山に囲まれ風情たっぷりです。

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北斗七星を形どって配置された七曜石の小池に映し出された月をめでて連歌したと云われます(庭園内にある月見石と北斗七星をイメージした池)ここから眺める月は絶景のひとこと。庭園は文化財指定。

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庭園の竹が風でざわめき笹の葉をすり合わせ、月を吐き出したとの所以から「吐月峰」と名づけられましたが、今なお伝承されている侘び寂のたたづまい、私達も十分に感じられました。

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家康お手植えと云われる牧の木とお茶室

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茶室から竹林を望む、その左手にある枯山水

庭園をめでながら頂くお抹茶と吐月峰の名で知られるとろろ饅頭はいかがでしょう?

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2010年4月14日 (水)

富士市「医王寺」浄土宗 山本勘助供養塔

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天平11年(739)己卯国分寺として創立。永禄年間(1558~69)改宗するとともに医王寺に改称。薬師如来(市指定文化財)には十二カ条の本願があり、すべての病から人を救う仏様で、この医王時の薬師如来は眼病を治す霊験あらたかで堂内には満願お礼の絵馬が多数奉納されています。御開帳は50年に1度という秘仏。本堂の東側の高台に「薬師堂」があります平安末期の作とされる富士市文化財 木造薬師如来坐像があります。

 

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境内には、武田信玄の名参謀、山本勘助の供養塔があります。

 

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富士市文化財 木造薬師如来坐像、医王寺経塚遺物、医王寺のマキ、
場所 富士市比奈1546

 

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2010年4月12日 (月)

静岡市清水区「龍華寺Ryugeji」日蓮宗

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寛文十年、日近大僧都(小浜市生れ)が開いた寺で日蓮宗。東海の名刹といわれ富士山の眺望や庭園(観富園)、国の天然記念物、大蘇鉄や大サボテンが有名。(画像 龍華寺山門左右に厄除門・開運門があります)

 

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本堂(当時は御祈願所)と庭(観富園)は家康の側室養珠院お万の方の十男紀伊徳川頼宣・十一男水戸徳川頼房の寄進で造られた。

 

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庭園(観富園)は名前の通り富士山を望む絶景な作りになっています。日近上人自らの構想「須弥山しゅみせん式」といい我が国最古の造園法式で造られた庭で、富士山を望む絶景を縮図したものになっており東海屈指の名園と言われています。

 

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「大蘇鉄」の雄株我が国最古最大のもので、根廻り六米、枝数五十八本、樹齢推定一千百年天然記念物の指定を受けています。また雌株も樹齢推定八百年で根廻り四米もあります。

 

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「大サボテン国指定の天然記念物」年代推定三百年。根元は既に木化しております。開山当時(江戸時代初期)我が国ではサボテンの栽培が盛んになり、多数の種類を輸入していましたが、寒さに弱く多くの種類は枯れてしまいました。現在は寒さに強いウチワサボテンの類が残っています。

 

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文豪「樗牛ちょぎゅうの墓及び銅像」明治一代の文豪高山樗牛もこの寺の風光を見逃さず、遺言によってここに墓を建立したそうです。境内に本堂、祖師堂、七面堂、樗牛館があります。他に厄除け不動尊、御神木があります。場所 静岡市清水区村松2085

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2010年4月10日 (土)

静岡市清水区臨済宗妙心寺派「鉄舟寺」と「次郎長」

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「鉄舟寺の由来」臨済宗妙心寺派
鉄舟寺はもと久能寺といい、今の久能山にあって、およそ一千三百年の昔、推古天皇の時代、国主久能忠仁公によって創立せられ、奈良朝の初期、行基菩薩が中興せられた。当時坊中三百六十、宗徒一千五百人もあり、豪勢をほこっていた。又鎌倉時代以後の貴重なる文献や、仏像、仏画、納経什器等数々の宝物が今日まで寺に残されてある。降って武田信玄が今川氏を攻略し駿河に入るに及んで久能の嶮要に築城することとなり、天正三年(1575)現在の場所に移されたのである。後武田氏は滅ぼされたが、徳川幕府も古来からの名刹久能寺を愛護し御朱印地を賜った。

 

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世が改まり明治御一新となるや、その混乱の中で長く栄えた久能寺も次第に散乱し、住職もない廃寺となってしまったのである。幕末の俊傑、山岡鉄舟はこれを惜しみ、再興せんことを発願し、仮本堂に今川貞山師を迎えて開山とし、広く寄進を募ることにしたのである。明治十六年(1883)鉄舟四十八歳の時である。鉄舟は募金のために、沢山の書を揮毫して侠客清水次郎長に与えた。次郎長も大いに奔走した。この時次郎長のために書いた募金趣意書が、鉄舟の手控帳の中に記されている。「鉄舟寺庫裡建立墓縁山本長五郎簿」

 

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ところが、鉄舟は明治21年7月53歳で此の世を去り、鉄舟寺の完成を見ることが出来なかった。清水の魚商、柴野栄七翁は元来信仰の篤い人であったので、鉄舟の意志をつぎ、幾多の困難を乗り越え、明治43年3月10日鉄舟寺の完成を果たしたのである。かくて名刹久能寺は蘇り、清水の霊場鉄舟寺は永久に伝わることになったのである「鉄舟寺と次郎長」清水の次郎長・山本長五郎が幕府の残党咸臨丸「壮士の墓」をたてて以来鉄舟に任侠を認められ「精神満腹」の書を贈られるに至って大得意、屡々鉄舟先生の邸にも伺うようになった。随って鉄舟寺建設にも一肌脱ぐこととなり、人夫を繰り出したり、土工を督したり、伊豆の国から舟で巨石を取り込んだりなどした。今、方丈の礎石になっているものがそれだということである。。(鉄舟寺しおりより)次郎長の墓は近くの梅陰禅寺にお蝶夫人、大政、小政等と同じ寺にあります。

 

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「鉄舟寺文化財」国宝・紙本墨書法華経(久能経)永治元年(1141)鳥羽上皇ご出家の折
上皇を中心とした当時の栄華を誇った藤原一門の手により書写されたもので鳥羽の安楽寿院に納められてあったが、後に駿河国久能寺に移された。新羅三郎義光伝来薄墨笛
悲劇の武将源義経が牛若丸時代から愛用したといわれる横笛。七百年の風雪に耐えて奏者を得ればいまにさえた音色を惜しむところがない。その他重要文化財の錫杖(康治元年九月八日久能寺念空の銘あり、八百年前のもの)県文化財・市文化財・寺宝・古文書など多数ある。場所 静岡市清水区村松2188 拝観料¥300 

 

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2010年4月 5日 (月)

沼津 「光厳寺こうごんじ」真言宗

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沼津市鳥谷の光厳寺はもともと根古谷にあったが、北条早雲が興国寺城を拡張するに当たり鳥谷に移転、その後家光の時代に「あわら荒原」と呼ばれた現在地に土地を拝領して建立されたという。

 

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愛鷹明神を祭祀し、愛鷹山中に伽藍(がらん)を立て麓に下り建立、根古屋地先に光厳寺沢という地名があることから、松平玄番守の興国寺城築城(ちくじょう)についての引っ越し以後と思われる。弘法大師直筆の不動明王の掛け軸があるとはいうものの明治時代において既に修復不可能とあり、痛みがひどくかすかに姿が拝されるにとどまる。
近年に至っては、節分に行われる「星祭り」の催しにおいて、蒲原、由比方面からも泊りにての参拝者もあったという。

 

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弘法大師(空海平安時代の僧、中国市西安で青龍寺で修業) を開宗の祖とする高野山真言宗の末寺として、境内に、四国八十八ヶ所の御砂踏霊場(おすなふみれじょう)を備え、2月節分の「星祭り」4月の正御影供(しょうみえく)として火渡り柴灯護摩(さいとうごま)の祭典が行われ、にぎわいをみせている。

 

場所 沼津市鳥谷497

 

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2010年4月 4日 (日)

富士市「瑞林寺ずいりんじ」黄檗宗

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「瑞林寺」黄檗宗(おうばくしゅう)の縁起は1674年この地を治め、開発事業に精を出した、古郡文左衛門の命により招かれた「鉄牛道機禅師」が開創したといわれています。本尊「木造地蔵菩薩坐像」は平安時代末期の慶派の仏師の作といいます(重文指定)場所は富士川の水勢をくい止めるために築かれたという、「雁堤かりがねづつみ」の近く富士市松岡489にあります。

 

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「山門」切妻屋根の中央部分が一段高くなった、切妻造段違の本瓦葺の山門は、萬福寺総門を髣髴させる造りとなっており、いかにも中国色を残す黄檗宗の寺らしい造りとなっています。中華街の牌楼に何処か似ています。安政の大地震(1854)以前の建立とされています。黄檗宗は宇治の「萬福寺」が本山中国禅を伝える宗派。

 

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山門を抜けると、参道が鍵型になっており、左右の石垣と、朱塗りの太鼓橋、そして竹林が、何とも言えない雰囲気を醸し出しています。富士市指定文化財(本堂・鐘楼・山門・参道石垣)

 

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本堂の右手にある「鐘楼」は明治の1882年に造られたといいます。聞いた所によると一見二階建てに見えるのですが、実は平屋建ての建物なんだそうです。

 

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修復された「毘沙門堂」 お堂は唐破風と千鳥破風をあわせた重厚なこけら葺き。小ぶりな造形ながら、組物の造りは凝っており、四方に麒麟や双魚、十二支など縁起物の彫刻を施している。

 

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境内に咲いていた「みつまたの花」(3月15日撮影)

 

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寺の近くにある「松島園のたんきり」ピーナツだけと思ったらアーモンドもありました。白砂糖と黒砂糖味があります。以外と薄くカリッとしていて歯が悪い私も美味しくいただきました。

 

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