富士市「實相寺」
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春の暖かい季節になりました。約1年ぶりに「寺巡り」再会です。以前沼津、三島、伊豆、地区の多くの寺院を巡りました。これからは「富士→富士宮→静岡地区」「小田原→鎌倉→三浦半島」をゆっくり廻りたいと思っています。静岡は今川・武田。小田原は北条、鎌倉は源頼朝、三浦半島は三浦一族等、時間はかかりますが面白い旅取材になりそうです。
富士市「本山 實相寺」日蓮宗
日蓮聖人が、『立正安国論』執筆の構想をねった實相寺は富士市の西方、富士川の東岸にあります。岩本山から駿河湾を見下ろす小高い丘の麓にあり、境内を通って岩本山に登ると、春には梅や桜、初夏にはツツジや紫陽花が咲き、北東には富士山がそびえています。
寺は久安元年(1145)鳥羽上皇が比叡山横川の智印法印に命じて創建した天台宗の寺であったという。この寺の一切経蔵に籠もって、『立正安国論』を著されたといわれているため、現在宗門の霊跡本山となっている。宗祖当時は49院50坊を数えたという。
宗祖が鎌倉で法華経の弘通活動を初めてまもなくの頃、 異常気象や地震がおこり、疫病がはやって天地が乱れていたため、その原因と対策を究明するため当山の一切経蔵に入蔵して閲読し災害から諸人を救済する方策を『立正安国論』にまとめあげた。
宗祖入蔵のおり、学頭智海法印が宗祖に帰依して日源の名を賜わり、全山あげて日蓮宗に転じた。また、この時、のちの六老僧、日興・日持はここで宗祖と師弟の縁を結んで、常時、宗祖に給仕した。
宗祖を開山と仰ぎ、日源は2祖となって、後には碑文谷の法華寺、谷中の感応寺、雑司ヶ谷の法明寺等を開くなどして中老僧の一人として仰がれた。当寺の古い経蔵と日朗給仕の米とぎ井戸は、今も昔の名残を留めている。
富士市指定文化財として木造仁王像並び木造一切経蔵 七福神、實相寺一切経がある。
場所 富士市岩本1847
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