沼津と【文楽】
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沼津町にある平作地蔵が文楽と関係が深い事は知っていましたが、「文楽を歩く」という亀岡典子さんの記事を見ました詳しく掲載されていましたので勉強の為載せておきます。
平作地蔵↓ と説明版↓ 場所 沼津市平町
【文楽を歩く】親子の別れ見守る富士 伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)
ああ、富士山が見えた。
さっきまで雲に隠れていたはずなのに、空気がきりりと澄んできたと思ったら、まるでわれわれを迎えるかのように、松林の向こうにその雄大な姿をくっきりと現した。
「素晴らしいですね。沼津まで来たかいがありました」。文楽人形遣いの桐竹勘十郎さん、吉田玉女(たまめ)さんはそう言ったきり言葉もなく、ただただ日本一の山をながめ続けた。
静岡県沼津市の千本松原。冬だというのに海岸沿いに果てしなく続く松林の緑は濃く、空を見上げると、とんびがのんきそうに輪を描いている。白砂青松とはまさにこのこと。
『伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)』より 「沼津の段」は文字通り、沼津の街道筋が舞台。幼いころ生き別れになった老父・平作と息子・十兵衛。しかし二十数年ぶりに再会したとき、2人は敵同士の立場に立たされていた。平作は命をかけてある決意をする。
事前に沼津出身の友人に聞いてはいたが、まさかこんなにはっきり見えるなんて…。
『伊賀越道中双六・沼津の段』の主人公、呉服屋十兵衛もきっと、この雄大な富士山をながめながら、足取りも軽く、のどかな街道筋を旅していたのであろう。ところが悲劇はここ、沼津で起こった。
〈『旦那(だんな)申し、お泊りまで参りましょうかい。…けさから一文も銭の顔を見ませぬ。どうぞお慈悲』〉
沼津の街道筋を急ぐ十兵衛に声をかけてきたのがよぼよぼの老人足、平作。見ればつぎはぎだらけの衣服。かわいそうに思った十兵衛は荷物を持ってもらうことにするが、平作の足もとはおぼつかない。人のいい十兵衛は銭を払って自分が荷物を持つ-。
人間国宝、竹本住大夫が語る平作の第一声は、その善良な人となりやその日暮らしの生活まで見事に映し出して笑いと涙を誘う。「一方の十兵衛も町人ではありますが、侍のように気骨のある男。すっきりした足取りに二枚目の雰囲気を出さねばなりません」。昨年12月の東京・国立劇場の文楽公演で十兵衛を遣った吉田玉女さんは言う。
実は平作は十兵衛が幼いころ生き別れた父親。しかし再会したとき、2人は義理がからむ敵同士の立場。平作の娘お米の夫が仇と狙う沢井股五郎を逃してやったのが十兵衛だったのだ。
娘のために十兵衛から何とかして股五郎の居場所を聞き出そうとする平作は、ついに十兵衛の脇差しで自分の腹を突き、冥途(めいど)の土産に聞かせてくれとすがる。
〈『股五郎が落ちつく先は九州相良、九州相良。道中筋は参州の吉田で逢うたと人の噂』〉。実の親の命をかけた願いについに股五郎の居場所を教える十兵衛。文楽屈指の名せりふである。
「平作は最期、息子に看取られて死んでゆく。そこに救いがありますねえ」。勘十郎さんはもう一度富士山を仰ぎ見ながらぽつりと語った。
【文楽を歩く】伊賀越道中双六 多くの文人愛した千本松原
なだらかな弧を描く駿河湾の海岸沿いに、緑の松林が果てしなく続く。松の木が一様に斜めにかしいでいるのは海風のせいだろうか。
“日本の白砂青松100選”にも選ばれた静岡県沼津市の千本松原は、いかにも日本の懐かしい風景を映し出して郷愁を誘う。
〈東路に、ここも名高き、沼津の里…〉
老父・平作と息子・十兵衛の悲しい情愛を描いた『伊賀越道中双六・沼津の段』は東海道五十三次のひとつ、沼津の宿あたりが舞台。しかし物語は行き交う人々でにぎわう宿場町ではなく、のどかな街道筋や老人足(ろうにんそく)・平作のあばら家、そしてこの千本松原で展開していく。
「平作は貧乏暮らしをしていても、人間としては筋の通った老人です。着てるもん、住んでる所はこれ以上、下がないほどですが、決して卑屈にならないよう遣っています」。昨年12月の東京・国立劇場の文楽公演で平作を遣った桐竹勘十郎さんはきっぱりと語った。
その平作の最期の地が千本松原。この地を愛した文人は多く、若山牧水や井上靖の碑が建てられている。
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