沼津「夜の新仲見世通り」
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夜の新仲見世、コインパーキング迄歩いた。
何年ぶりだろうか夜の街を歩くのは~
昔から水曜は商店が休みとはいえ
人が少ない、いない!寂しい~
しかし夜の街歩きなぜか新鮮だった。
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夜の新仲見世、コインパーキング迄歩いた。
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ひらきズラリ天日干し&「食堂街」
平日午前も人が多い
乾物屋さんも品数多い&隣の穴子や白子も
「大きなキンメのひらき」&「カマスやアジ」
赤貝やホッキ、アワビにハマグリ水槽に活きミル貝等
12月朝の沼津港の様子です。
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日本の伝統的な加工食品・干物。その製造企業の倒産が
2025年は急増しているという報道を見た。
東京商工リサーチによると干物や塩漬けを製造する
企業の倒産は2023年は3件、2024年は1件でしたが、
2025年は9月までですでに6件に達しています。
倒産原因は6件のうち5件が販売不振。
干物の生産量が日本トップクラスを誇る沼津市。
外国産の魚は円安や輸送費の高騰もあり
仕入れ値が2割から3割ほど上昇。
脂乗りが抜群、ノルウェー産のサバで作る人気の干物は
異常というか異常を超えている値段に。
漁獲枠を減らしたことで仕入れ価格が高騰。
製造が盛んな沼津市でも干物を扱う店が
減少しているといいます。ご飯食に相性のいい干物、
大好きで美味しくて食べてます。
地元の干物大いに食べて元気で行きましょう!
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意外と知られていない”沼津外港”
行って見ると昔よりは綺麗になった感じはするが~
鉄屑が詰まれパワーシャベルは似合わない。
大型船が入港できる外港、船は少なく
利用頻度は少ない様だ。
水産会社の冷蔵庫やマリーナ、運送会社の建物が有る。
このロケーションには利用方法未だありそうな気がするが~
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好天の日曜日、我入道海岸に出掛けてきました。
一帯は釣りの車で狩野川河口迄いっぱいです。
遠く大瀬崎や富士・静岡方面まで見えます~
近くの”芹沢光治良記念館の松林の中の
広場で地元のイベントやっていました。
自家焙煎珈琲屋花野子さんが出店していました。
その場で淹れてくれる自家焙煎珈琲が
美味しくて2杯いただきました。
ピッザ屋さん、焼き菓子やさん、おでん屋
焼きいも、ウインナー焼、ひらき、パン
色々売っていました。
家族連れで大賑わい、我入道の地元の皆さん元気!
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2017年は白隠禅師没後250年でした。
「白隠禅師と松蔭寺(沼津市原128)」
知徳が優れた僧だけにしか贈られない、高く名誉な名前
「国師(こくし)」を、明治天皇から与えられた白隠(はくいん)。
そんな白隠が生まれた「沼津市原」には、白隠が住職を務めた
「松蔭寺」や、「産湯井戸」など、ゆかりの場所が
200年以上経った今でも残されています
名僧白隠は江戸中期、五代・綱吉の時代に”静岡県・原”に生まれました。
生まれつき記憶力に優れ、4歳の時には300字もある村歌を
一語も間違えることなく正確に覚え、歌って歩いて村人を驚かしたと
いいます。多くの伝説を残しつつ、一時期衰退していた禅宗を再び
勢いあるものにし、84歳でその生涯を終えました。

当時のこんな歌が残っています。駿河には、過ぎたるものがふたつあり、
「富士のお山と原の白隠」駿河の国には凄すぎるものがふたつある。
それは、富士山の美しさと、もうひとつは、白隠禅師の素晴らしさだ。
あの富士山と並び称されるほどの偉大な人物であったこということです。
彼は独学の天才でした。禅師が晩年を暮らした沼津市原「松蔭寺」
風格ある立派なお寺。周りを檀家さんのお墓がびっしりと囲みます。
由緒あるけれど庶民的。禅師の人柄を感じさせるお寺
松蔭寺で、剃髪し「慧鶴(えかく)」となりました。
各地で修行をした後、32歳で松蔭寺に戻りました。
当時は廃寺寸前の状態だったようです。
その後、修行僧が全国各地から集まり、弟子の育成に力を注ぎました。
近在からも多くの居士が参禅しました。白隠禅師墓の周囲には、
各地から参じた修行僧の墓石が多数残っており、当時の師弟関係が偲ばれます。
禅師の著書『夜船閑話』(やせんかんな)では、長くこの寺で修行した僧について、
「盡く是叢林の頭角、四方の精英なり」と記し、優秀な人材がここに集まっていた
と述べています。白隠の産湯井戸から、徒歩で約2・3分の場所にある「松蔭寺」。
白隠は15歳で出家し、その後全国を行脚。
1717年、33歳の時から住職を務めたお寺が、ここ「松蔭寺」です。
松陰寺の山門です。白隠が考えた山門と言われています。
山門の工事が行われた時、この門の瓦を外して数えてみると、
全部で108枚あったそうです。山門は、お寺に訪れると誰もが通る場所。
お寺に訪れる人の煩悩を鎮めるよう、白隠は人々を思って、
瓦を人間の煩悩と同じ数、108枚にしたそうです。
そんな白隠の思いが込められていた山門をくぐると、
ご利益があるかもしれません。

白隠慧鶴「関羽図」近世では白隠慧鶴らが禅画を描いて民衆への布教を行いました。
※戦国時代の武将たちは、禅僧に帰依して指導を受ける一方、
時に参謀として戦略の相談や交渉役を任せることもあり、
各地の禅宗寺院は大名の庇護を受けて繁栄しました。

昭和に名だたる名禅僧の一人に、般若窟「白隠の再来」と称えられた「山本玄峰老師」は、白隠禅師没後百年近く経った慶応2(1866)年、和歌山県湯の峰温泉で生まれます。生後すぐに捨てられてしまい、通りかかった岡本善蔵に拾われたと伝えられています。十九歳の時、失明の不幸に見舞われ、これを契機に一念発起して、四国八十八箇所の霊場を巡拝します。その途中、土佐雪蹊寺で太玄和尚と出会い、この地で仏道に入ります。
玄峰老師は各地の寺で修行を重ね、龍澤寺や松蔭寺を始めとする全国各地の寺を復興し、やがて「白隠の再来」と称されるほどの高僧となり、96歳で三島市竹倉の伯日荘にてこの世を去りました。大本山妙心寺の管長も勤められ、さらには太平洋戦争の終結時、あの「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び……」の文言を進言され、象徴天皇制の発案をされたり、当時の鈴木貫太郎首相の相談役でもあったという傑僧である。
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沼津に関係する歴史上の人物
「北条早雲と興国寺城(沼津市根古屋428)」
戦国時代の先駆け早雲は熟年の年齢から出世した
シニア世代には頼もしい男。家紋は「三つ鱗」
三つ鱗は鎌倉執権家北条氏の家紋であった。
自ら北条氏の後裔を称し、三つ鱗を用いたのだろうか。

伊勢新九郎盛時(北条早雲)の「旗揚げの城として名高い沼津興国寺城」
当時50歳を超えた早雲が興国寺城を足掛かりに戦国時代関東一円を
支配した後北条氏五代の祖である。沼津は早雲の伊豆討ち入りから、
秀吉の小田原攻めの100年の間、後北条の西の境目にあり、
常に駿河の国を領有する「今川氏」「武田氏」「徳川氏」と
対峙して争奪の渦中にあり、合戦と和睦が繰り返された所である。
初代早雲(1519年88歳で没)から始まり、以来「五代百年」
代々名君に恵まれ広く善政を敷き、東国一の繁栄と安定を保っていた。
早雲が歴史の表舞台に出てきたのは、妹の嫁ぎ先である今川家の
家督争いを早雲が解決し、その手柄として沼津市にある
「興国寺城」を与えられた事から始まる。
その後伊豆韮山・小田原と次々に手に入れ、着実に戦国大名としての
道を歩み始めました。1495年伊豆の「北条早雲」が
小田原を平定し五代約100年間、民百姓を大事にし、
教育文化の高揚と海運を活用して商工業の振興を図る。
1590年豊臣秀吉により攻め落とされ開城し北条五代は幕を閉じた。
①北条早雲旗揚げの城興国寺城 ②北条水軍長浜城址 ③深沢城(御殿場) ④葛山城(裾野) ⑤長久保城(長泉) ⑥泉頭城(清水町) ⑦徳倉城(清水町) ⑧大平城(沼津市) ⑨獅子浜城(沼津市) ⑩鷲頭砦 ⑪韮山城
※北条早雲が興国寺城から出陣し、堀越公方の茶々丸を滅ぼした1493年から、三枚橋城で秀吉が家康と作戦会議を行い小田原攻めを成し遂げた1590年までの戦国時代100年。沼津をめぐる北条・今川・武田の三国志は興味を持ちますね~
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過去ブログに載せた記事から「武田対北条 香貫古戦場」

「東駿河の戦国要図」天分14年(1545)~永禄3年(1560)今川支配図
武田氏対北条氏の「香貫古戦場」は”千本沖合戦”は多くの人が知っているが、
同じ時期に沼津香貫で両軍の合戦があったことは余り知られていない。
三枚橋城(武田氏)と戸倉城(北条氏)は狩野川を挟んで僅か10kmの
距離のところにあったから小競り合いは常に絶えなかった。
国道414号の香貫一帯は武田と北条の
「古戦場」があった地区と伝えられている。
天正8年9月香貫周辺で行われた「武田勝頼」対「北条氏政」の
「合戦の布陣図」(東間門田中家文書)
「武田方の三枚橋城」と「北条の戸倉城」を出た兵は、
今の八重坂を越えた、この下香貫の地で戦った。
昔この楊原地区で建物を建てようと掘削すると人骨が良く見つかった。
皆おおっぴらにするのをいやがって内々で処理したと今は亡き老人から
よく聞いた。天正8年といえば御館の乱と武田・北条の手切れ直後のことで、
すごく生々しいものを感じます。(甲州方が勝利)

「北条五代記巻の七、駿河海にて船軍の事」の記述のようにこの地区の激戦を述べている。見しは昔。北条氏直と武田勝頼戦ひの時節、駿州の内高国寺と三枚橋は勝頼の城也。泉頭、長久保、戸倉、志師浜、此四ヶ城はするかの国中たりといえ共、先年今川義元時代、氏綱切て取しより以来、氏直領国となる。義元、信玄時代、此するか領を取返さんと遺恨やんことなしといへ共、ついに叶わず。

沼津の浦つつき、香貫、志下、真籠、志師浜、江浦、田飛、口野、
此等浦里もするか領、氏直持也。・・・・・然に天正八年の春、
勝頼駿河に出陣す。氏直も伊豆の国へ出馬し、三島にはたを立たたかひ有。
重須の兵船、駿河海へ働をなすへき由、氏直下知に付て、毎日駿河海へ乗出す。勝頼旗本は浮島が原、諸勢は沼津千本の松原より吉原迄寸地のすきまなく真砂の上、海きはまて陣取。然に十艘の舟かけをきたる大鉄砲をはなしかくる。敵こらへす皆ことことく退散し、へいへいたる砂地白砂に見えたり。

・・・・・・この海戦のあと千本付近に激戦があり、多数の死傷者でて、その結果後世千本松原に首塚が出来た。(※永岡治著「伊豆水軍」参照)
静岡市は今川(徳川)、浜松市は徳川、政令両市とも大大名が城を築き祀りごとを行った歴史がある。沼津市は「今川氏」「武田氏」「北条氏」「秀吉・家康」領と目まぐるしく変遷をした領地の境界所、今でも東部市町が纏まらないのはこんな歴史背景も影響しているのかもしれない。
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第45回全国高校クイズ選手権の全国大会が9月9日、
日本テレビ系列で放送「沼津東高校(静岡)」が優勝!!
幾度も名勝負が繰り広げられてきた通称“高校生クイズ”今年もカムチャッカ半島付近を震源とする地震による津波警報が発令される緊急事態もあった。全国大会出場校は、予選を勝ち抜いた42校。大阪・関西万博の「大屋根リング」を走りながら答える2択クイズや、小田原城での「どろんこ〇×クイズ」、北海道のひまわり畑での「タイマン早押しクイズ」などを実施。
決勝には沼津東高校(静岡)、東大寺学園高校(奈良)、私立武蔵高校(東京)、四日市高校(三重)、吉祥女子高校(東京)が進出した。
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「沼津夏祭り・狩野川花火大会」7月26日(土)27日(日)
今年は天気は上々の様でまさに祭り日和。
日中太鼓や踊りで盛り上がり露店で味わい、
夜は両日狩野川の河川敷で花火大会が開催されます。
市街地で打ちあがる大迫力の花火は最高!
135号熱海~伊東~下田 136号土肥~松崎 246号長泉~裾野~御殿場~小山 414号沼津~西浦・戸田・伊豆の国 「お弁当あれこれ」 「これはいい!」 「ちょっとした豆知識」 「加齢ですね~」 「古民家・昭和を感じる店等」 「我が家のルーツ」 「我が街沼津」 「歳はとりたくない」 「源頼朝と伊豆」&「鎌倉殿の13人」 「町中華」 「糖尿病は御免だ!」 「老舗店」 「記憶に残る美味しい店」 「身なり・ファッション」 【ブログ15年おすすめの店】 【健康】 【北条早雲】沼津~小田原 【史跡・記念碑】めぐり 【地震・災害あれこれ】 【沼津近郊☆☆☆お勧め店】 【沼津近郊の寿司】 【海外旅行】 【行事・催事】 グルメ・クッキング ショッピングモール・商店街・スーパー・市場・他 ホテル・旅館 世界の料理 今日は何の日 地球環境 宇宙・星空・ 文化・芸術 旅行・地域 日記・コラム・つぶやき 映画・テレビ 朝散歩 沼津「明治の別荘」 沼津の観光 沼津近郊の山 沼津近郊グルメ 経済・政治・国際 自働車・モーターサイクル・新商品・他 近郊「季節の花・美しい花」 近郊の【寺】めぐり 近郊の【神社】めぐり 近郊のパン屋さん・ケーキ菓子店 開店閉店 音楽 高齢化社会 「珈琲あれこれ」
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