カテゴリー「「我が街沼津」」の17件の記事

2021年6月19日 (土)

沼津の観光資産「武田対北条 香貫古戦場」

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過去にこのブログに載せた記事から「武田対北条 香貫古戦場

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「東駿河の戦国要図」天分14年(1545)~永禄3年(1560)今川支配図

武田氏対北条氏の「香貫古戦場」は”千本沖合戦”は多くの人が知っているが、同じ時期に沼津香貫で両軍の合戦があったことは余り知られていない。三枚橋城(武田氏)と戸倉城(北条氏)は狩野川を挟んで僅か10kmの距離のところにあったから小競り合いは常に絶えなかった。

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国道414号の香貫一帯は武田と北条の「古戦場」があった地区と伝えられています。天正8年9月香貫周辺で行われた「武田勝頼」対「北条氏政」の「合戦の布陣図」(東間門田中家文書)。「武田方の三枚橋城」と「北条の戸倉城」を出た兵は、今の八重坂を越えたあたり、この下香貫の地で戦った。

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(下香貫、此の辺古戦場と記載されている)昔この地区で建物を建てようと掘削すると人骨が良く見つかった。皆おおっぴらにするのをいやがって内々で処理したと今は亡き老人からよく聞いた。天正8年といえば御館の乱と武田・北条の手切れ直後のことで、すごく生々しいものを感じます。(甲州方が勝利)Dsc_0454

「北条五代記巻の七、駿河海にて船軍の事」の記述のようにこの地区の激戦を述べている。見しは昔。北条氏直と武田勝頼戦ひの時節、駿州の内高国寺と三枚橋は勝頼の城也。泉頭、長久保、戸倉、志師浜、此四ヶ城はするかの国中たりといえ共、先年今川義元時代、氏綱切て取しより以来、氏直領国となる。義元、信玄時代、此するか領を取返さんと遺恨やんことなしといへ共、ついに叶わず。201409220001
沼津の浦つつき、香貫、志下、真籠、志師浜、江浦、田飛、口野、此等浦里もするか領、氏直持也。・・・・・然に天正八年の春、勝頼駿河に出陣す。氏直も伊豆の国へ出馬し、三島にはたを立たたかひ有。

 

重須の兵船、駿河海へ働をなすへき由、氏直下知に付て、毎日駿河海へ乗出す。勝頼旗本は浮島が原、諸勢は沼津千本の松原より吉原迄寸地のすきまなく真砂の上、海きはまて陣取。然に十艘の舟かけをきたる大鉄砲をはなしかくる。敵こらへす皆ことことく退散し、へいへいたる砂地白砂に見えたり。

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・・・・・・この海戦のあと千本付近に激戦があり、多数の死傷者でて、その結果後世千本松原に首塚が出来た。(※永岡治著「伊豆水軍」参照)

静岡市は今川(徳川)、浜松市は徳川、政令両市とも大大名が城を築き祀りごとを行った歴史がある。沼津市は「今川氏」「武田氏」「北条氏」「秀吉・家康」領と目まぐるしく変遷をした領地の境界所、今でも東部市町が纏まらないのはこんな歴史背景も影響しているのかもしれない。

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2021年4月 3日 (土)

「ここは沼津です」

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椰子の木と真っ青に澄んだ綺麗な海、沖縄か南西諸島、いやハワイやセブのような場所が沼津にはあるんです。ずっと向うには富士山です。

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この時期は真っ赤なシャクナゲ、近所のお宅の庭に咲いています。

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ブーゲンビリアやハイビスカスだって野外で咲いているんです。

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この雰囲気はハワイオワフ島にいる様な気分になります。

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畑一面のチューリップ。いい所いっぱい春盛りの沼津です~

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2020年12月30日 (水)

「沼津の隠れた名産品」

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2020年も残すは明日大晦日だけになりました。ブログを始めて早や14年、

沼津市南部、海沿い地区で出会った隠れた名産品の数々です。

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1「内浦のビワ」

何といっても甘くて美味しいんです!土肥の小粒な白ビワも幻と言われる貴重品ですが

「内浦のビワ」は数も少なく短い期間しか出回らない地元の名産品です。

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2「島郷の桃」これまた超貴重品と言っていい桃です。

嘗て桃の栽培がおこなわれ”桃郷”と言われたほど桃の栽培が盛んだった「沼津市島郷」

今も僅かながら栽培は続いているんです。嘗てこの辺りは一面桃の花が咲き桃畑は綺麗でした。

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3「ムギイカ煮付け+麦イカのイカめし」麦が成長する時期にとれるスルメイカの子

「麦イカ」はまだ小さいですが煮付けで食べても柔らかで最高です。

お腹に白米を詰めた「イカめし」漁師の家の大きな鍋で煮込んで作った物は逸品の味。

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4「静浦漁港シラス&ワカメ」

何時取れるかわからない「シラス」とれたてのしらすを手に入れるのも中々難しくなりました。

漁港青年部が栽培するワカメは年1回ワカメ祭りで手に入ります。

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5「ヒジキ」

意外と知らない内浦~西浦でとれる「ヒジキ」

とれたてのひじきは煮物で食べれば一味二味違う美味しさです!

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6「うずわみそ」

内浦湾でとれる”うずわ・そうだがつお”で作る味噌。一度温かいご飯でいただけば虜になる名品。

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2020年11月14日 (土)

早朝散歩「沼津港イーノ競り市」

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13日㈮は5:50に家を出て「沼津魚市場INOイーノ」の競り市を見学がてら、沼津港を早朝散歩してきました。丁度セリが始まったばかりのようです。2階の見学者通路からセリの様子を真下に見る事が出来ます。

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水揚げが少ないと聞いていましたが~この日は想像していたより魚が豊富のようです。仲買の人が大勢いますね~整然と並んだ段ボールの中の魚貝を順番に競り落としていきます。競り市は地物と呼ばれる漁船で水揚げされたものとトラック等で運ばれてきた箱物と呼ばれるものが有るそうです。

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この辺りは「手長エビ」等が並んでいます。アカムツや小海老類が置かれている場所の様です。上から見る手長エビ食べてみたい!イタリアンのパスタで良しパエリアで良し、刺身ならなお結構!

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セリの集団が過ぎ競り落とされた魚介は仕分けされフォークリフトで運ばれて行きます。人の動きが機敏に感じます。

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こちらは「真鯛」皆大物ばかり~他にも伊豆近海・駿河湾で漁獲されたサバ・アジなどの新鮮な近海漁が水揚げされています。

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冷凍塩干品売り場は別の建物に有りました~早朝から競り市や活気ある魚市場の雰囲気、見ているだけで元気が出ます。身近なスポットですし一度は見学してもいいですね~おすすめします~セリはAM6:00頃からやっているようです。場所 沼津市千本港町128-3 ㈯他数日休み

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2019年1月 3日 (木)

「行幸橋」沼津香貫

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家の近くに歴史的にも貴重な橋がある。国道414号の通称八間道路が出来る前は”御成道”と呼ばれ沼津市内から香貫、島郷に静浦に抜ける唯一の道だった所だ。

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そこにかかる橋の名は「行幸橋」今でも橋の上を通過する多くの車両を支えている。以前見た時は昭和四年五月竣功の文字が薄っすら見えたが今はもうはっきり見えなくなった!

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90年が経とうという立派な橋で 近くの沼津御用邸に天皇が向かう時に通過された橋なんですね。石で出来た欄干も何故か遠い昔を思わせる洒落たアーチ窓だ。

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大正13年1月27日両殿下行幸の時は未だ「行幸橋は」なかったんですがきっとこんな行列が橋を通過したんでしょう。

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「行幸橋」と思われる場所に名前を記してみた(上の地図)

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2018年12月16日 (日)

「画像で見る昔と今 5我入道」沼津南部

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「沼津市我入道」日蓮上人が鎌倉から逃げ舟で流れ着いた時”我この道に入る”デ我入道の名前が付いたとか~(画像 狩野川河口左岸に位置する地区が我入道)Hshxisit

江戸時代には我入道村は駿河国駿東郡に属した。江戸時代は山畑は僅かであり、村の主たる産業は漁業であった。明治元年(1868年)には駿府藩領(翌年には静岡藩と改称)、明治4年(1872年)には静岡県に属した。1889年(明治22年)の町村制施行に伴い我入道村は下香貫村・上香貫村・善太夫新田と合併、楊原村の大字となった[1]。1922年(大正12年)には楊原村の沼津町との合併及び市制施行により沼津市の大字となった。かつては軍人・大山巌の別荘があった。また作家・芹沢光治良の生誕地としても知られ、これを記念した芹沢文学館・詩碑が残されている。

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「我入道より富士を望む」狩野川河口左岸に位置する我入道の不動岩から、観音川にかかる藤見橋その奥に富士山を見る事が出来る。明治19年東海道線の工事が開始され横浜から船で建築資材を狩野川河口に運び、それを沼津の市街地の工事現場まで運搬するという目的で敷設された蛇松線が最初の工事だった。その後昭和8年沼津港の建設等で周辺の景色は変わった。

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沼津港外港の建設で沼津港は大きく変わり現在に至っている。

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2018年12月14日 (金)

「画像で見る昔と今 4香貫・楊原」沼津南部

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Postcard2_2「楊原村」

狩野川の南に位置する。1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、駿東郡下香貫村、上香貫村、我入道村、善太夫新田が合併して発足。1920年(大正9年)8月 - 若山牧水が転居してきた。1923年(大正12年)7月1日 - 駿東郡沼津町と合併し市制を施行、沼津市となった。

「香貫山から狩野川河口~大瀬崎を望む」Photo_3
「昭和20年代の香貫地区」大瀬崎や狩野川河口の位置から見ると香貫山から撮った画像の様です。下香貫地区は一面田んぼですね。

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香貫山の南麓地区の地名の由来も知っておきましょう!

「玉江町」この地の小字名を江間田と称していましたが、昭和初年に玉江町と呼ばれるようになりました。これは江間田を逆に呼んでしゃれた地名にしたかったためと言われています。

「宮原町」楊原神社の近くの平担な土地ということで、称されるようになったと言われています。

「二瀬川」二つの瀬がある川ということで、この地で川が二又に分かれていたところから付けられた地名と言われています。

「宮脇」楊原神社の脇にある土地ということから付けられた地名です。

「八重」香貫山と徳倉山の尾根が接する山あいの地域で、山が幾重にも重なっているところから付けられた

「馬場」この土地が楊原神社の社地で、神馬や流鏑馬(やぶさめ)などの馬場であったところから付けられた

「楊原」楊原神社にあやかって付けられた地名です。神社の南東の八重原(やえはら)の地域が楊原神社にゆかりの土地であるということから、昭和の初めごろは楊原と呼ばれました。一説には八重原は楊原のなまった呼び方と言われています。(沼津市HP)

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2018年12月11日 (火)

「画像で見る昔と今3」沼津南部

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「3大瀬崎」

古くから引手力命神社が祀られてはいたものの大瀬崎一帯は長らく無住地で、周辺住民も漁業や温州みかんの栽培、薪炭生産などで生計を立てていた。伝承では、鎌倉時代末期頃、北条高時に味方して護良親王と戦った鈴木繁伴が鎌倉幕府が倒れた際にこの地に潜伏したとされ、以降この地一帯を支配する江梨鈴木氏として続いた。

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「伊豆国となっている古い画像の大瀬崎↑」小さな帆を張った小舟が漁をしているのでしょうか~戦後1982年頃からは急速にダイバー数が増加、日本を代表するダイビングスポットとなった。Osezaki_main_2

「大瀬崎 現在↑」 富士山の絶景スポットであり、心霊スポット神池を取り囲むビャクシン樹林でも有名ある。

古き時代との対比は故郷沼津を考え直す機会にもなります!

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2018年12月 7日 (金)

「画像で見る昔と今 2島郷~牛臥海岸」沼津南部

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国道414号沿い「沼津御用邸記念公園」に隣接する海岸が「島郷海岸」その西に「牛臥海岸」があります。その昔、牛臥山は島であり、山裾には海水が入りこんでいて、内側一帯は入り江であったと言われています。

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そして、島の入り江に面した土地ということで安永年間(1772年~1780年)までは島江と称されていました。その後、次第に土地が干拓され入江が無くなったので江を郷に代え島郷となりました。また江戸時代末期になると、桃の栽培が行われ出し、一時期、島を桃に変えて桃郷としていました(沼津市HP)

「2島郷~牛臥海岸↓時代不詳」

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「島郷の海岸」は未だ小石がある広い浜辺があった様だ。小学校の生徒と思われる子供達が楽しそうに草履を脱いで水遊びをしている。牛臥方面も浜辺がしっかりあり松林も立派だ。牛臥山の下には嘗ての三島館の建物が軒を連ねている。

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「島郷~牛臥海岸↑ 現在」浸食がすすんだ島郷海岸は突堤が出来たり昔とは様変わりしている。昔は遠浅で砂浜で賑やかだった海水浴も今はこじんまり家族ずれが利用している。牛臥海岸は遊泳禁止となっている。

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2018年12月 6日 (木)

「画像で見る昔と今 1内浦長沢海岸」沼津南部

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昔の写真と現在の写真を同じ場所で比べてみると色々な事を思い考えたりして楽しい。

「1長沢海岸 年代不詳」↓

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まさに北条水軍の長浜城址の真下の長沢。中央には魚見の櫓が立っていて鳥山の魚や潮の流れなども監視していたという。生け簀の鰯を餌にしたカツオ漁が盛んだったともいう。

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「1長沢海岸 現在⇑」遠くの淡島や富士山の位置から現在はマリーナとなっているこの場所が同じ所のようだ。

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