カテゴリー「「我が街沼津」」の10件の記事

2017年8月19日 (土)

「沼津の観光資産 3明治の別荘(政界・軍人)」

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明治22年(1889)東海道線の開通は風光明媚な沼津に、薩摩藩出身の大山巌元帥・西郷従道元帥・川村純義海軍大将や佐賀藩大木喬任文部大臣らの別荘が建てられた。明治26年(1893)沼津御用邸が造営されると千本から牛臥・静浦・内浦にかけては政財界要人の別荘地として脚光を浴び幾多の別荘が建てられた.(画像はH/omura 涅槃の富士より)

かつて沼津は日本の政界・財界人の一大保養地・別荘地だったんです!

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「1 大山巌陸軍大臣別荘」日露戦争の際、陸軍参謀本部となった別荘。前は砂浜から高い石垣、裏は山。別荘の東は牛臥山に抱かれ、南西の正面は山と山に挟まれた砂浜、そしてImg_0352静かな内海駿河湾、こんな場所に別荘はあった。子供の頃我入道の海岸から続く岩山を潮が引いた時探偵団になったつもりで別荘を見に行った記憶が有る。2階建ての大きな家だった。祖母からは大山元帥のお嬢さんが静養のためこの地に長く滞在され体調がいいと香貫の方まで外出されてきたなどと聞いた。ただし建物などは残念だが残っていない。

今は牛臥山公園となり整備された。誰もがこの跡地を利用できる。

大山巌」の父は鹿児島の薩摩藩々士で、西郷隆盛やその弟の西郷従道らと大山巌は従弟である。その父、大山彦八綱昌(おおやまひこはちつなまさ)の次男として天保13年(1842年)鹿児島で産声をあげた。政治家であり陸軍軍人でもある大山巌は日本陸軍の創設に貢献し、日清戦争と日露戦争では日本軍の司令官として出征している。
文久2年(1862年)島津久光公の上洛に際して、有馬新七に従い西郷従道とともに京都に出向き諸国の攘夷派と合流する。その結果、大山は寺田Iwao_oyama_屋事件で鎮圧されてしまい、帰国して謹慎処分に科せられてしまう。翌文久3年、謹慎放免後、薩英戦争に従軍し、イギリス艦乗っ取りの決死隊に参加し、敗退するも、黒田清隆らとともに江戸の江川太郎左衛門塾に派遣され、この江川塾で砲術を極め、そして砲の改良研究も行い、「弥介砲」(よすけほう)と呼ばれる十二斤綫臼砲を完成させる。その結果、戊辰戦争では薩摩藩二番砲兵隊長として従軍し、この「弥介砲」と砲術を大いに活用して戦果を挙げた。
日露戦争におけるその陸戦の総司令官として、日清戦争(1894年~95年)では第二軍司令官として旅順、威海衛を攻略、日露戦争(1904年~05年)に於いては満州軍総司令官として、日露戦争においては児玉源太郎とともに自ら大陸に渡って総指揮を執り、日本軍を勝利に導いた。日露戦争というと東郷平八郎や、乃木希典(のぎ まれすけ)が有名であるが、この前記の人物たちとはまた別格に位置する度量の大きな、そして人を掌握することに長けた大者であった。
大山巌」は、明治18年(1885年)陸軍卿から第一次伊藤博文内閣で初の陸軍大臣就任する。その後4度、計5度の陸軍大臣と海軍大臣にも1度就任し、参謀総長、内務大臣をも勤め元老となり、長州閥の山縣有朋と並ぶ陸軍の実力者であったが、政治はあまり好きではなかったようで積極的には関与しなかったといわれている。軍人は軍人であれかしが信念だったと思われる。

250pxtsugumichi_saigo_2「2 西郷従道海軍大臣別荘」現在の沼津市静浦漁港近くに所在していた。漁港沖にある爪島は我々の少年時代でも「西郷島」と呼んでいたくらいだ。現在は漁港も整備され西郷島までの突堤は釣りマニアの絶好のスポットになっていて多くの釣り人が訪れている。

西郷従道

江戸時代後期から明治の軍人、政治家。父は西郷吉兵衛、母は政子。兄の西郷隆盛ほか。竜助。通称は信吾。本名は隆興、隆道。道は天保14年5月4日(1843年6月1日)薩摩藩鹿児島城下加治屋町に生まれました。剣術は薬丸兼義に薬丸自顕流を、兵学は伊地知正治に合伝流を学びました。有村俊斎の推薦で薩摩藩主・島津斉彬に出仕し、茶坊主となります。後に還俗し、斉彬を信奉する精忠組に加わり、薩英戦争にも参加。戊辰戦争においても鳥羽伏見の戦いなどに従軍。1869年には山県有朋と共に渡欧し、軍制を調査しました。1874年には陸軍中将となり、同年の台湾出兵の際には番地事務都督として軍勢を指揮しています。維新時の偉功によって伯爵を授けられます。伊藤博文内閣の海軍大臣、内務大臣などを歴任。兄・隆盛や従弟・大山巌と同じく鷹揚で懐の深い人物であったとされます。面影が兄の隆盛に似ているとされ、肖像画を作成するときは彼の写真が参考にされたといわれています

Photo「3 川村純義伯爵別荘」明治26年(l893)の7月、大正天皇(当時は皇太子)のご静養のために、沼津御用邸本邸が造営され、明治36年12月には、赤坂離宮の東宮大夫官舎を移築して東附属邸が設置これました。 38年8月に、本邸の隣にあった川村純義伯爵の別荘を買い上げ、更に増築して西附属邸となりました。

川村純義伯爵

鹿児島生まれ。海軍軍人。薩摩藩士として戊辰戦争時は陸戦で功を立てる。明治5年(1872)海軍省設立にあたり海軍大輔となる。11年(1878)参議・第2代海軍卿に就任。一時榎本武揚に交替したときを除き18年(1885)まで職にとどまり、その間に薩摩勢力を海軍内に伸ばした。17年(1884)伯爵。のち宮中顧問官、枢密顧問官を歴任し、34年(1901)に昭和天皇の養育主任となる。37年(1904)、死去にあたり大将に任じられているが、これは他に類例がない。

Photo「4 大木喬任たかとう文部大臣」沼津静浦海岸沿いの「駿海荘」現在の宿泊施設「はまゆう」の場所に別荘が有った。 

大木喬任たかとう

天保3年3月23日~明治32年9月26日 (1832~1899)佐賀生まれ。政治家。父は佐賀藩士。藩校弘道館に学び、勤王派として藩政改革を推進。新政府に出仕し、徴士、参与、軍務官判事、東京府知事などをつとめる。東京奠都にも尽力。明治4年(1871)文部卿となり、学制を制定。6年(1873)参議兼司法卿。萩の乱、神風連の乱で、反乱士族の処分にあたる。13年(1880)元老院議長。また民法編纂総裁として法典編纂に関わる。17年(1884)伯爵。21年(1888)から枢密顧問官を兼任し、翌年枢密院議長となる。第1次山県内閣の司法相、第1次松方内閣文相を歴任。「明治六大教育家」の一人「①森有礼ありのり薩摩藩士、政治家。初代の文部大臣。子爵。通称は助五郎、金之丞」「②福澤諭吉、中津藩士、著述家、啓蒙思想家、新聞時事新報の創刊・発行者、教育者、東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長、慶應義塾創設者」「③大木喬任」「④新島襄キリスト教の布教家で、同志社大学の前身となる同志社英学校の創立者である」「⑤中村正直同人社創立者。また福澤諭吉、森有礼、西周らと明六社を結成。幼名を訓太郎。通称を敬輔。号は敬宇」「⑥近藤 真琴、明治の教育家、思想家、攻玉社創立者。日本海軍軍人及び軍属、最終階級は海軍中佐。幼名は鉚之助。江戸生まれ」

Photo_2「5 侯爵井上馨外務大臣」井上馨外務大臣別荘予定地は現在の御用邸記念公園内北際あたりに有ったという。

侯爵井上馨

長州藩士、政治家、実業家。天保6年11月28日周防国湯田村で長州藩士・井上五郎三郎光享の次男として生まれる。父は萩藩の郷士。岩屋玄蔵や江川太郎左衛門に師事し蘭学を学ぶ。高杉晋作らとともに、尊王攘夷運動で活躍。坂本竜馬の仲介で薩摩藩と同盟し第2次長州征伐で幕府軍に勝利した。維新後は参与、大蔵大輔、参議兼工部卿、外務卿などを歴任。明治9年(1876)特命副全権大使として日朝修好条規の締結に関わる。三井をはじめ、実業界とも深いつながりを持ち、鉄道事業などにも関与した。明治18年(1885)第1次伊藤内閣の「外相」に就任。鹿鳴館に象徴される欧化政策を展開し、不平等条約の改正に奔走。黒田内閣農商務相、第2次伊藤内閣内相、第3次伊藤内閣蔵相等を歴任し、引退後も元老として重きをなした。大正4年9月1日静岡県静岡市興津の別荘・長者荘にて死去。

Photo「6 侯爵黒田長成ながしげ別荘(貴族院副議長)」沼津市旧静浦ホテル北岩崎弥之介別荘のすぐ北西側に有ったらしい。

黒田長成ながしげ」

(慶応3年1867年5月5日~昭和14年1939年8月14日)福岡生まれ。政治家。旧福岡藩主黒田長知の長男。明治11年(1878)家督を相続、17年(1884)侯爵、英国ケンブリッジ大学留学。帰国後22年(1889)式部官となるが翌年に辞す。25年(1892)貴族院議員、27年(1894)から長く貴族院副議長を務める。大正13年(1924)枢密顧問官。

他に「膳桂之助別荘(国務大臣)」 沼津市江の浦の海を見下ろす山手に有ったと言う。

膳桂之助ぜん けいのすけ」(1887年7月21日 - 1951年11月25日)財界人・政治家は、群馬県伊勢崎市出身。1914(T3)東大独法科卒。農商務省に入る。'34(S9)に日本団体生命保険を創立し、専務を経て'42社長。戦後は'46に貴族院議員に勅選され第1次吉田内閣で国務大臣を務めた。日本国憲法の制定にあたって国務大臣として参与し、連署している。従三位勲三等瑞宝章。

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※明治初期、日本の政治をつかさどる多くの方が沼津に別荘を建てた。これは「沼津」の気候温暖、風光明媚、利便性、場所等々有ったればこそです。御用邸や別荘が出来た背景をもっと観光資産として自慢してもいいのではないでしょうか。別荘地があったことは御用邸記念公園にある案内看板だけしかない。市民にもっと知らしめて「明治の沼津散歩」など活用したいものです。

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2017年8月16日 (水)

「沼津の観光資産 2海軍技研跡」

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「沼津大空襲」

昨日は終戦記念日でした。1945年(昭和20年)7月17日午前1時ごろアメリカ軍B29130機の編隊が海軍工廠や軍需工場のある沼津上空3200mに侵入した。愛鷹山と香貫山の高射砲が迎撃するも午前3時ごろ迄に9077発の焼夷弾を投下、9523戸焼失、274人が亡くなった。沼津市の89,5%が破壊された。サイパンから富士山に向け飛来するB29の本土空襲コースの真下の沼津は同年1月から機銃掃射を含め延べ8回の空襲を受け使者322名、全半焼11,756戸の被害を受けたという。

旧海軍技術研究所音響研究部跡

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この「海軍技研」は昭和16年(1941)下香貫の地に新設された。27万平方メートル(82000坪)を越える敷地があり、技術を駆使した近代的な施設であった様だ。本部のほか、臨海実験所が江の浦、淡島、大瀬崎に、事務所が下土狩に置かれた。本部には研究室/実験用水槽/作業所/宿舎等があり武官や文官、工員や挺身隊ら2000人もの人が働いていた。任務は水中聴音機や潜水探知機、音響魚雷、爆雷の研究開発を行っていた。ガダルカナル沖海戦での敗因の一つはレーダー装備の差であったという。関連誌によると、これを機に陸海軍もようやくレーダーの開発に本腰を入れる。

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海軍はガダルカナル島でのレーダーによる敗北がきっかけとなって1943年(昭和18年)1月26日に開かれた「戦備考査会議」ではレーダーが議題となる。海軍大臣がレーダーの新規設計と基礎研究を緊急に進めるよう2月17日に指示を出し、レーダーの開発のための組織的な整備が始まる。3月に月島,鶴見,千葉県の大東岬にレーダーの試験場が設置、6月にレーダーを生産するため「沼津海軍工廠」が設立され、7月に海軍技術研究所にレーダーを専門に開発する電波研究部を設ける。

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昭和20年2月15日、電波、電気、無線、有線、音響関係の兵器研究部門を統合して、第二海軍技術廠音響研究部が設置され、音響研究部は第二海軍技術廠音響研究部に改組され、水中聴音機、水 中探信機研究等の音響兵器研究を任務とする事になった。空襲が激しくなると海軍技研は多比や江間(伊豆長岡)の石切場(伊豆石の丁場)跡を利用して地下工場にした。

本土空襲が激しくなると多比の石切り場に地下工場を建設し実験室、機械などを疎開させた。戦争の残りを感じさせる石切り場やトンネル、岩穴などが今でも多比や内浦地区等でみうけられる。今は洞窟となって水が溜まっており、泳がない限りは進めそうにない所もあるようだ。コウモリがたくさん冬眠している

Tabiworkshop_r沼津市江ノ浦の多比には海軍技術研究所音響研究部の地下工場跡が現存している(ここでは空中聴音機、潜水艦探知機、音響魚雷、爆雷などの研究をしていた)元々は海軍技術研究所音響部は1941年12月に沼津に設置されたのだが、戦時中、江浦や多比、重寺、重須など内浦湾沿岸には「回天」、「震洋」といった特攻兵器の基地が造られました。多比の地下工場への移転は45年7月のことだったそうだ。公式調査は6ヶ所掘られている内の3ヶ所のみなされているが、後の3ヶ所は記録がない。今回は下図①④のみの探索となる ②は水没状態なので行っていない、③は現在立坑しか発見されていない
⑤当時から水没で放棄との事、⑥?(戦争遺跡の探索Yakumoさんのブログより)

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(画像は大昔の街道と思われる切通しが近くにある)

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昭和35年頃第3中学時代学校の裏山にはレンガの小屋があったり、沢に油が浮き出しているのを見た記憶もある。近所の人の話では地下トンネルがたくさん掘られていたという話も聞いた。今は平和な時代になってよかったものだ画像は昭和20年代の香貫地区、南に一直線の道が八間道路)

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「海軍技研跡の碑」は戦争で犠牲になった若者達を偲び昭和28年(1973)に建立された。市立第三中学に前の海軍技研跡地に建つ記念碑

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2017年8月 7日 (月)

「沼津の観光資産 1帆船アミ号」

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「10年という時間の中で、沼津の多くの事を知りました。大昔の事、歴史、文化、観光、催事・・・・・数え切れないくらいの情報が頭に入ってきました。10年を一言で言えば「沼津っていい所です!」 この言葉がぴったりです。

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元気のない沼津は嫌いです。年老いていく街も嫌いです。自分も元気を出していける輝く明日に期待したいです。前置きが長くなるのでこの辺にして・・・・・ 

沼津のあまり知られていない誇れる資産がたくさんるので少しだけ紹介させてください。1回目は「帆船アミ号) 海を語ることなしに沼津は語れない。駿河湾にぴったりの帆船アミです(大瀬まつりとアミ号)

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画像は静浦港が母港の「帆船アミ号」の美しい姿です。帆船Amiは,1990年(平成2年)11月,沼津で青少年のトレーニングを目的として誕生した,日本では数少ない2本マストのトップスル・スクーナーです。誕生時の名前は「海王」,その後,時代の変遷を経て「青雲」と名前を変え,2006年7月からは「帆船Ami」としてその姿を駿河湾に浮かべています。

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こんな洒落た帆船が身近にあって、低料金で気楽に体験乗船やチャーターも出来るんです。小さな子供や孫たちが、身近な駿河湾の素晴らしさを肌で体験し、沼津の海の素晴らしさを知る貴重な体験が出来るんです。世界に誇る駿河湾の景色、富士山の雄大さ、子供が成長しても忘れない貴重な思い出になると思います。

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広島県福山市からジーンズ生地メーカーさんのプロモーションの一環で一ヵ月間デニムのセイルに艤装を変え瀬戸内から沼津迄航海。セイルはダメージジーンズに仕立てられます。これは潮風に晒された風合いの良いジーンズのパンツに。

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≪帆船アミ号の記録≫〇夏の瀬戸内のクルーズ。毎年行っている遠洋航海。〇障害者支援団体の福祉活動。恒例行事で参加者は100名を超えました。〇地元ヨットレース観戦、後半はフルセイル帆走(駿河湾) 〇初日の出クルーズ〇沼津港発着 (通常は静浦港発着) の半日体験乗船会

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〇ぬまづ港の街BAR 船上ライブが人気。〇駿河湾三角形クルーズ(静浦⇨清水⇨松崎⇨静浦)  (画像はAmiHPより)

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ラブライズサンシャインの声優さんもアミ号に初乗船!駿河湾へヨーソロー。

問い合わせ先 「帆船Amiアミ号」で検索 帆船Ami号 Schooner Ami

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2017年7月30日 (日)

第70回「狩野川花火大会」沼津

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7月29日㈯30日㈰は「第70回沼津夏祭り、狩野川花火大会」です。今年は狩野川の川べり「天丼伊豆家」さんに29日に招待され花火を真下で見る事が出来ました。花火を狩野川の岸で見るのはだいぶ昔、桟敷席で見て以来です。

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真下で見る花火の迫力は凄い、そして美味しいご馳走に夏の一夜を過ごさせて貰いました。狩野川花火大会は沼津一のイベントで楽しみにしていた多くの人が見物にやってきて沼津駅から狩野川の近くは人人でいっぱいです。

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伊豆家さんのガレージが即席野外レストランに変わり縁故のお客さんがいっぱいです。もう昔からの定例行事で皆さんお知り合いの方ばかりです。私も缶ビールを久しぶりにいただきました。

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料理は沼津の老舗や名店の名物料理が並んでいます。この皿は「中央亭の餃子」「さがみ軒の唐揚げ」テーブルの上には未だ色々ありましたが種類が多くて全部は覚えていません。

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「エビフライは伊豆家さんのお手製」他にも美味しい「おでん」や「お新香」「枝豆」も並んでいました。(花火が始まる前に食事とお酒をいただき花火大会が始まれば場所を移動し花火見物をします)

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お寿司は「こぼれ寿司のすし之助」この日は夕方焼きそばとトウモロコシ2本食べた後でお腹がまだ空かずせっかくの美味しい料理いつもの様には食べれませんでした。

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サンドイッチやオードブルは「和み」さん他に串カツや肉団子、野菜サラダなんかも用意してくれてありました。

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美味しい物をいただき久しぶりのビールも飲めたし、花火を身近で見られたしこの夜は楽しかったです。

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花火の最後は恒例の「ナイアガラ瀑布の大仕掛け」でした.御成橋を中中心にして、左右500mの花火のナイアガラが出現しました。

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花火も終わり、会場も静かになってきました。御成橋のライトブルーの光が印象的でした。さあこれから家まで送ってもらいます。

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続きを読む "第70回「狩野川花火大会」沼津" »

2017年5月25日 (木)

「人気の内浦のびわ」 第3回「長浜城北条水軍まつり」沼津

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「内浦」と言うと最近は「ラブライブ!サンシャイン!!」聖地巡礼で有名になりましたが~従来”みかん”が有名、数年前から”ビワ”も出荷されるようになり、これが美味しくて人気なんです。今年も数日前から出荷が始まったようです。

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和みさんで売っていたので早速1箱買って帰りました。実がなり始めた時点で一つ一つに袋がけを行い、収穫~箱詰めまで全て手作業です。

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冷蔵庫に入れて冷たくしてからいただきましたが”甘い!”皮は剝きやすいし、口に含むと懐かしいびわの味~土肥の白ビワも美味しいですがこの内浦のビワも負けていませんね~

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第3回「長浜城北条水軍まつり」 この祭りも内浦です。

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嘗ての北条水軍長浜城址にて戦国時代さながらの甲冑隊や火縄銃の演武、ステージパフォーマンスや物産販売などが開催されます。

5月28日㈰8:00~14:00  

「長浜城址会場」小田原北條鉄砲衆保存会による火縄銃演武(10:15~)

           三津会場に向かって手作り甲冑隊がパレード(11:30~)

「三津内浦漁港会場」日曜市・物産販売を当日に限り14:00まで

     和楽器繰り団「音三昧」による演奏、口野御節太鼓や黒潮太鼓
       沼津プロレス企画・運営による殺陣などのパフォーマンス・他

     「会場周遊船ちどり丸運行」11:00・12:00 25分¥500

長浜会場と三津会場は無料のシャトルバスと遊漁船で移動できます。

「長浜城」 後北条氏の祖、伊勢新九郎盛時(後の早雲)は、興国寺城から堀越公方足利茶々丸の館を急襲し、韮山に城を構え戦国大名としての第一歩を踏み出した。その後小田原を手中におさめ、二代氏綱・三代氏康のころには領地を武蔵から下総まで広げ、里見氏と激しく対立した。北条氏は三崎や浦賀を根拠地とする三浦水軍を組織し、江戸湾から里見氏の勢力を駆逐する一方、義元亡き後の駿河に侵入してきた武田氏に対しても、伊豆の水軍を組織しその脅威に備         えた。その伊豆における北条水軍根拠地の一つが、この重須湊・長浜城である。  ( 国指定史跡跡公園)      

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2016年9月18日 (日)

近代造船の礎 「ヘダ号再建事業シンポジウム10/1」沼津

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「帆船ヘダ号の再建に向けて」Img035既に新聞等で報道されご存知の方も多いと思います。幕末のロシアプチャーチン提督率いるデアナ号が①下田沖で津波に合い破損、修理をすべく戸田に向かうが②③嵐で沈没、ロシアに帰還する代替え船として④沼津市戸田(旧戸田村)において「洋式帆船ヘダ号」が建造されました。 Img042これは現在の日本近代造船の基礎となる出来事であり、ロシアとの交流のきっかけにもなりました。 しかしこれら歴史的意義のある事を我々市民が十分周知できていないのが現状です。 このような歴史上重要な意義をもつヘダ号に関する語り継ぎが無くなり、資料や記憶が失われてしまうのは防がねばなりません。「ヘダ号再建」という沼津にとって貴重な歴史遺産を再建するプロジェクトを応援しましょう。「戸田号再建」シンポにも参加して沼津の歴史を感じましょう! Photo≪近代造船の礎 ヘダ号再建事業シンポジウム≫
・日時 : 2016年10月1日(土) 9:30~11:50
・場所 :サンウェルぬまづ (ぬまづ健康福祉プラザ )2F大会議室
  沼津市日の出町1-15
・定員 :100名 ・参加費: 無料
・主催 : ヘダ号再建プロジェクト会
・協力:セイルタウンNUMAZUクラブ 
・後援:沼津市 沼津市教育委員会

《講師のご紹介》
・杉村宗作氏制作のヘダ号復元模型(十分の一)をめぐって』
岡 有作先生
元東海大学海洋科学博物館主任 学芸員 / 日本シーホッパー協会 副会長

Tannan・『ヘダ号建造への江川坦庵の寄与と韮山形帆船について』
橋本 敬之先生
NPO法人伊豆学研究会理事長 / 公益財団法人江川文庫嘱託

・「ヘダ号再建プロジェクト会」
http://schooner-heda.com/

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2016年7月17日 (日)

明日は海の日 「スクーナー帆船 アミ号」

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この戸田号再建プロジェクトが地元沼津で立ち上がり活動されているようです。大いに頑張っていただきたいですね!

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2016年4月24日 (日)

「スカンジナビア号が去り10年」沼津

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S_2沼津市西浦木負に気品ある姿で浮かんでいたフローティングホテルスカンジナビア号が曳航中沈没したのが2006年9月2日。思い出多きスカンジナビア号のこの事故のニュースは残念でしかたなかった。今年で沈没して10年、西浦木負の海岸を通るたびにここに浮かんでいたんだなあ~と思い出す。20060902ホテル営業中の1990年頃には富士山を望め美味しい料理がいただけるなど人気も高く多くのお客さんが訪れていた。私も沼津マリーナからボートでたびたび出かけていた。テレサテンや有名人のショーも数多く見たことを覚えている。2005_06_2とてもいい時代だった~西浦まで来るとこの素晴らしい思い出は今も強く残っている。沼津の大きな魅力は”海”である。この資源に”富士山”や”マリンレジャー””食”が存在する「沼津の三浦は皆に誇れる場所」だと今も思っている。050903ship(スカンジナビア号は1927年スエーデンで「ステラ・ポラリス号」として建造された豪華客船で、戦時中はナチスドイツに接収されたが戦後いち早く復帰し、世界中を航海したクルーズ船。1969年日本に売却され沼津市西浦木負に係留。1970年伊豆箱根鉄道が船名を「スカンジナビア号」に変更しフローティングホテルとして開業し2005年3月31日まで営業された。その後、スウェーデンへ売却が決まり2006年8月31日、曳航される形で木負を出航したが9月2日午前2時頃、和歌山県潮岬沖約3kmの海底72mに沈没した)

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2016年1月22日 (金)

「沼津を空から見てみよう」

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BSJapanで放映されている「空から日本を見てみよう」以前の放映で地元沼津の放送が有ったので載せてみました。内浦多比海岸からスタートし414号沿いに北上、静浦小中学校~静浦漁港~島郷~御用邸記念公園~牛伏山・海岸~狩野川~美しい冬の富士山を見ながら沼津港へ飛んでいます。放送では干物で有名な沼津では深海魚がブーム。海がすぐ深くなる駿河湾で、生きたままの深海魚が見ることもできます。深い駿河湾でとれる鮮魚を味わってみてはいかがですか~

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2015年12月 6日 (日)

我が街沼津「4美味しい 丼」

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我が街沼津「4美味しい丼ぶりの店」

海産物や農産物多彩な食物の素材に恵まれた沼津、美味しいお店は数知れません。ここではぐっと絞り込み私の好きな「丼ぶりの美味しい店」を紹介します。Img_3「海鮮 山正丼」(バラちらし)大行列覚悟・ランチ数量限定・食べた者しかわからないこの味と値段。今や沼津を代表するどんぶり!店の駐車場と店前にコインパーキングが出来行列は更に長くなった。隣の店「離れ」姉妹店もお勧め!
場所 沼津市平町3‐10 日曜定休 Cimg4061_2「天丼 伊豆家」地元で昔から有名な天丼専門の老舗。行列覚悟、土日の昼は大混雑で外は行列、長椅子にも大勢座って待っている。揚げたて天婦羅をいただける。炊き立て熱々ご飯と味噌汁が美味しい。営業日時間が短いので要注意。
場所 沼津市仲町20-2  月火定休Sdsc02806「うな丼 繁の家」創業は1930年といいますから~もう80余年の老舗です。鰻は中まで熱々でタレとご飯も抜群です。美味しい鰻屋さんも数多くありますがこちらは私の好きなお店です。
場所 沼津市旭町5‐1  火曜定休Sdsc00500「かつ丼 千楽」カツは肉厚たっぷり、盛りは多いし満足感は云う事無しです。お店の雰囲気は明治のレストランって言うか~メニューも昔から変わらないようです。ハヤシライスもお勧めです!   場所 沼津市下本町20 火曜、第1・3水曜 定休 沼津駅北口近くに北店もあり

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訪問者カウンター

「美味い店」

  • 「イワセコーヒー Iwase-coffee」 三島
    沼津近郊には美味しい店がいっぱいあります

「美味イタリアン」

  • Osteria「Casa di ranaカーサ・ディ・ラナ 」清水町
    沼津近郊ピッザやパスタが美味しいイタリアンの店

「美味い寿司店」

  • 「海鮮丼専門店 伊助」沼津港
    沼津に来たら美味いお寿司をどうぞ

「素敵なカフェ」

  • 「Kenny'sHouseCafeケニーズハウスカフェ」沼津イーラデ2F
    チョット一息美味しいコーヒーでも如何ですか

「和食」

  • 「とんかつ小椿」沼津
    蕎麦・うどん・鰻・天麩羅・カツ、和食が美味しい店

沼津近郊の寺

  • 伊豆市「實成寺じつじょうじ」日蓮宗
    沼津近郊の【寺】を紹介しています

神社・史跡

  • 沼津 旧県社「丸子神社」
    沼津近郊の神社・史跡の紹介

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