カテゴリー「「我が街沼津」」の19件の記事

2023年10月11日 (水)

「沼津銀座通り今昔」沼津

 

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 静岡県情報へ👈ランキング参加中クリックよろしくお願いします。
にほんブログ村

「うなよし上土店」でランチをした時に

懐かしき沼津銀座通りを歩いてみた!

Dsc_6670

昭和40年頃バーや飲食店が多くこの辺りは

「沼津銀座」と呼ばれた。

「洒落たバーやジャズ喫茶」よく通ったものです。

久し振りに歩きました~

 

Photo_20231007163302

現在の「沼津銀座通り商店会」 

 

コッペパンソールフード「桃屋」・ラブライブ「つじ写真館」

50年前のコンビにの様に深夜もやっていた「寿屋」

「うつみふとん店」「Mota」お好み焼き「もち月」「葵」「松屋」

三軒茶屋から戻った地元オーナー「ベーカーズダズン」

 

Dsc_6664

向田邦子さんも愛飲した「丸城茶舗」

この古き店構え老舗茶店の貫禄十分!

 

Original_7a0575238c71433fb55ee36e5283c7e

一方新しい「とうふのお店」や「カレーのお店」

「お蕎麦屋さん」「居酒屋さん」等々、

新旧色々なお店があります~

 

Dsc_6661_20231007161701

突当りのマルサン書店は今は無し

若き日野皓正も来たという「ジャズ喫茶ハニー」や

多くの一流ミュージシャンが演奏した

「アーリータイムス」等ジャズも盛んな通りだった。

 

沼津バー文化の元祖「ビクトリー」や「梅邑」

「一流クラブ」もこの銀座通りにあった。

暫し昔を懐かしむ時間でした。

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 静岡県情報へ👈ランキング参加中クリックよろしくお願いします。
にほんブログ村

2023年8月22日 (火)

「沼津街中散歩」

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 静岡県情報へ👈ランキング参加中クリックよろしくお願いします。
にほんブログ村

Dsc_4604

今朝は久し振りに沼津市街を歩いてみた。

スルガ銀行の駐車場に車を停め、

通横町交差点を抜け狩野川沿いに沼津駅方面に向かった。

 

Dsc_4869

以前の東急ホテルには良く打ち合わせや会合で行ったが~

リタイヤーし変わったリバーサイドホテルは数回しか行ったことが無い。

 

Dsc_4613

御成橋は下駄を履いて通学で通った半世紀前と少しも変わっていない。

この川辺の一帯は市民やすらぎのスポットにふさわしい!

 

Dsc_4636

嘗ての東海道「川廓通り」久し振りに歩きました~

石畳が変わらずいい感じ~

 

Dsc_4870-1

燦燦通り、港まで一直線、

この道路も観光資産がいっぱい含まれています。

三島の様に花いっぱい、ハンギングバスケット欲しいですね~

 

Dsc_4873

歩いてみると発見します!

あちらこちらに有る沼津の素晴らしさ!

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 静岡県情報へ👈ランキング参加中クリックよろしくお願いします。
にほんブログ村

 

2023年6月30日 (金)

「島郷の桃」沼津

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 静岡県情報へ👈ランキング参加中クリックよろしくお願いします。
にほんブログ村

Dsc_3220

沼津市島郷は昔、有名な桃の産地でした。

小さい頃は硬くて小さな島郷の桃をよく食べました~

 

Dsc_3224

今は栽培するお宅もごく少なく滅多に食べる事は出来ません。

 

Dsc_0091_20220606145201

島郷の桃は実が赤っぽく型は小さく硬いのが特徴です~懐かしい桃!!

 

Dsc_3225

既に収穫は済んでしまった桃林です。場所 沼津市島郷地区

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 静岡県情報へ👈ランキング参加中クリックよろしくお願いします。
にほんブログ村

2021年12月 2日 (木)

「沼津の隠れた名産品2」

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 静岡県情報へ⇐ポチっと静岡クリックお願いします。
にほんブログ村

沼津市で今年出会った隠れた名産品の数々です。

Sdsc_5379

1「内浦のビワ」

何といっても甘くて美味しいんです!土肥の小粒な白ビワも幻と言われる貴重品ですが「内浦のビワ」は数も少なく短い期間しか出回らない地元の名産品です。例年より収穫が少なくもっと食べたかったんですが・・・・・・

Sdsc_5878

2「島郷の桃」これまた超貴重品と言っていい桃です。

嘗て桃の栽培がおこなわれ”桃郷”と言われたほど桃の栽培が盛んだった「沼津市島郷」今も僅かながら栽培は続いているんです。嘗てこの島郷は一面桃の花が咲き桃畑は綺麗でした。

Simg_20190703_222744_454

3「ムギイカ煮付け+麦イカのイカめし」麦が成長する時期にとれるスルメイカの子、和みさんでいただきました。

「麦イカ」はまだ小さいですが煮付けで食べても柔らかで最高です。お腹にもち米を詰めた「イカめし」漁師の家の大きな鍋で煮込んで作った物は逸品の味。

Dsc_6910

4「静浦漁港シラス&ワカメ」

何時取れるかわからない「シラス」とれたてのしらすを手に入れるのも中々難しくなりました。釜茹でした横で食べる美味しさは溜まりません!今年はワカメも少しでした~

20201222_121236-2

5「ヒジキ」

意外と知らない内浦~西浦でとれる「ヒジキ」とれたてのひじきは煮物で食べれば一味二味違う美味しさです!

D0144092_1984654

6「うずわみそ」

内浦湾でとれる”うずわ・そうだがつお”で作る味噌。一度温かいご飯でいただけば虜になる名品。

124195786_649250369102760_76953858265313

7「大中寺芋」

大正天皇を始め御用邸滞在の皇室の方々が観梅や竹の子狩りなどのために大中寺へお成りになり名産の里芋を大釜でゆで振舞われたそうです。何時の頃からか、皇室の方々によって、大中寺の里芋という意味で「大中寺芋」と呼ばれるようになりました。根方の白葱も売り出し中です~

1126_1

8「西浦ミカン蜂蜜」

沼津市西浦地区で、昔から栽培されている≪西浦みかん生詰めはちみつ。

4d759b30329fd82dbc0c67f28a12ccb6-1

9「戸田、橘のジャム、マーマレード・等」

原種である橘の原生林が現存している沼津市戸田。意外と知られていない名産品が有るんです!!

2_20211201170901

10「ねがたの白ねぎ」最近見るようになった”ねがた白ねぎ”

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 静岡県情報へ⇐ポチっと静岡クリックお願いします。
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ⇐こちらは全国版Clickクリック~
にほんブログ村

 

2021年6月19日 (土)

沼津の観光資産「武田対北条 香貫古戦場」

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 静岡県情報へ⇐ポチっと静岡クリックお願いします。
にほんブログ村

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 静岡県情報へ⇐クリック
にほんブログ村

 

過去にこのブログに載せた記事から「武田対北条 香貫古戦場

Dsc_0572_2

「東駿河の戦国要図」天分14年(1545)~永禄3年(1560)今川支配図

武田氏対北条氏の「香貫古戦場」は”千本沖合戦”は多くの人が知っているが、同じ時期に沼津香貫で両軍の合戦があったことは余り知られていない。三枚橋城(武田氏)と戸倉城(北条氏)は狩野川を挟んで僅か10kmの距離のところにあったから小競り合いは常に絶えなかった。

Dscn0907

国道414号の香貫一帯は武田と北条の「古戦場」があった地区と伝えられています。天正8年9月香貫周辺で行われた「武田勝頼」対「北条氏政」の「合戦の布陣図」(東間門田中家文書)。「武田方の三枚橋城」と「北条の戸倉城」を出た兵は、今の八重坂を越えたあたり、この下香貫の地で戦った。

C1um2jouaaa7uzc_2
(下香貫、此の辺古戦場と記載されている)昔この地区で建物を建てようと掘削すると人骨が良く見つかった。皆おおっぴらにするのをいやがって内々で処理したと今は亡き老人からよく聞いた。天正8年といえば御館の乱と武田・北条の手切れ直後のことで、すごく生々しいものを感じます。(甲州方が勝利)Dsc_0454

「北条五代記巻の七、駿河海にて船軍の事」の記述のようにこの地区の激戦を述べている。見しは昔。北条氏直と武田勝頼戦ひの時節、駿州の内高国寺と三枚橋は勝頼の城也。泉頭、長久保、戸倉、志師浜、此四ヶ城はするかの国中たりといえ共、先年今川義元時代、氏綱切て取しより以来、氏直領国となる。義元、信玄時代、此するか領を取返さんと遺恨やんことなしといへ共、ついに叶わず。201409220001
沼津の浦つつき、香貫、志下、真籠、志師浜、江浦、田飛、口野、此等浦里もするか領、氏直持也。・・・・・然に天正八年の春、勝頼駿河に出陣す。氏直も伊豆の国へ出馬し、三島にはたを立たたかひ有。

 

重須の兵船、駿河海へ働をなすへき由、氏直下知に付て、毎日駿河海へ乗出す。勝頼旗本は浮島が原、諸勢は沼津千本の松原より吉原迄寸地のすきまなく真砂の上、海きはまて陣取。然に十艘の舟かけをきたる大鉄砲をはなしかくる。敵こらへす皆ことことく退散し、へいへいたる砂地白砂に見えたり。

650ba96ec28b83eec9e258b88a0ddb9e
・・・・・・この海戦のあと千本付近に激戦があり、多数の死傷者でて、その結果後世千本松原に首塚が出来た。(※永岡治著「伊豆水軍」参照)

静岡市は今川(徳川)、浜松市は徳川、政令両市とも大大名が城を築き祀りごとを行った歴史がある。沼津市は「今川氏」「武田氏」「北条氏」「秀吉・家康」領と目まぐるしく変遷をした領地の境界所、今でも東部市町が纏まらないのはこんな歴史背景も影響しているのかもしれない。

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 静岡県情報へ⇐ポチっと静岡クリックお願いします。
にほんブログ村

 

2021年4月 3日 (土)

「ここは沼津です」

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 静岡県情報へ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ⇐こちらClickクリックお願いします
にほんブログ村

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 静岡県情報へ
にほんブログ村

Sdsc_1622_20210403113801

椰子の木と真っ青に澄んだ綺麗な海、沖縄か南西諸島、いやハワイやセブのような場所が沼津にはあるんです。ずっと向うには富士山です。

Sdsc_0004

この時期は真っ赤なシャクナゲ、近所のお宅の庭に咲いています。

Sdsc_7399

ブーゲンビリアやハイビスカスだって野外で咲いているんです。

Dsc_4955

この雰囲気はハワイオワフ島にいる様な気分になります。

Dsc_0035-1

畑一面のチューリップ。いい所いっぱい春盛りの沼津です~

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 静岡県情報へ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ⇐こちらClickクリックお願いします
にほんブログ村

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 静岡県情報へ
にほんブログ村

2020年11月14日 (土)

早朝散歩「沼津港イーノ競り市」

⇐ここClickクリックお願いします~(ランキング参加中)
にほんブログ村

Sdsc_1465

13日㈮は5:50に家を出て「沼津魚市場INOイーノ」の競り市を見学がてら、沼津港を早朝散歩してきました。丁度セリが始まったばかりのようです。2階の見学者通路からセリの様子を真下に見る事が出来ます。

Sdsc_1461

水揚げが少ないと聞いていましたが~この日は想像していたより魚が豊富のようです。仲買の人が大勢いますね~整然と並んだ段ボールの中の魚貝を順番に競り落としていきます。競り市は地物と呼ばれる漁船で水揚げされたものとトラック等で運ばれてきた箱物と呼ばれるものが有るそうです。

Sdsc_1474

この辺りは「手長エビ」等が並んでいます。アカムツや小海老類が置かれている場所の様です。上から見る手長エビ食べてみたい!イタリアンのパスタで良しパエリアで良し、刺身ならなお結構!

Sdsc_1484

セリの集団が過ぎ競り落とされた魚介は仕分けされフォークリフトで運ばれて行きます。人の動きが機敏に感じます。

Sdsc_1482

こちらは「真鯛」皆大物ばかり~他にも伊豆近海・駿河湾で漁獲されたサバ・アジなどの新鮮な近海漁が水揚げされています。

Sdsc_1508

冷凍塩干品売り場は別の建物に有りました~早朝から競り市や活気ある魚市場の雰囲気、見ているだけで元気が出ます。身近なスポットですし一度は見学してもいいですね~おすすめします~セリはAM6:00頃からやっているようです。場所 沼津市千本港町128-3 ㈯他数日休み

⇐ここClickクリックお願いします~(ランキング参加中)
にほんブログ村

 

2019年1月 3日 (木)

「行幸橋」沼津香貫

⇐Clickクリックどうぞ
にほんブログ村

S_2_2
家の近くに歴史的にも貴重な橋がある。国道414号の通称八間道路が出来る前は”御成道”と呼ばれ沼津市内から香貫、島郷に静浦に抜ける唯一の道だった所だ。

Ss_2_4

そこにかかる橋の名は「行幸橋」今でも橋の上を通過する多くの車両を支えている。以前見た時は昭和四年五月竣功の文字が薄っすら見えたが今はもうはっきり見えなくなった!

S_2_3
90年が経とうという立派な橋で 近くの沼津御用邸に天皇が向かう時に通過された橋なんですね。石で出来た欄干も何故か遠い昔を思わせる洒落たアーチ窓だ。

Robo_2
大正13年1月27日両殿下行幸の時は未だ「行幸橋は」なかったんですがきっとこんな行列が橋を通過したんでしょう。

Iaqst0wh_2

「行幸橋」と思われる場所に名前を記してみた(上の地図)

⇐Clickクリックどうぞ
にほんブログ村

2018年12月16日 (日)

「画像で見る昔と今 5我入道」沼津南部

⇐PleaseClickクリックお願いします。
にほんブログ村

「沼津市我入道」日蓮上人が鎌倉から逃げ舟で流れ着いた時”我この道に入る”デ我入道の名前が付いたとか~(画像 狩野川河口左岸に位置する地区が我入道)Hshxisit

江戸時代には我入道村は駿河国駿東郡に属した。江戸時代は山畑は僅かであり、村の主たる産業は漁業であった。明治元年(1868年)には駿府藩領(翌年には静岡藩と改称)、明治4年(1872年)には静岡県に属した。1889年(明治22年)の町村制施行に伴い我入道村は下香貫村・上香貫村・善太夫新田と合併、楊原村の大字となった[1]。1922年(大正12年)には楊原村の沼津町との合併及び市制施行により沼津市の大字となった。かつては軍人・大山巌の別荘があった。また作家・芹沢光治良の生誕地としても知られ、これを記念した芹沢文学館・詩碑が残されている。

Ganyudo_2

「我入道より富士を望む」狩野川河口左岸に位置する我入道の不動岩から、観音川にかかる藤見橋その奥に富士山を見る事が出来る。明治19年東海道線の工事が開始され横浜から船で建築資材を狩野川河口に運び、それを沼津の市街地の工事現場まで運搬するという目的で敷設された蛇松線が最初の工事だった。その後昭和8年沼津港の建設等で周辺の景色は変わった。

Dsc_0979e1484736975990

沼津港外港の建設で沼津港は大きく変わり現在に至っている。

⇐PleaseClickクリックお願いします。
にほんブログ村

2018年12月14日 (金)

「画像で見る昔と今 4香貫・楊原」沼津南部

⇐PleaseClickクリックお願いします。
にほんブログ村

Postcard2_2「楊原村」

狩野川の南に位置する。1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、駿東郡下香貫村、上香貫村、我入道村、善太夫新田が合併して発足。1920年(大正9年)8月 - 若山牧水が転居してきた。1923年(大正12年)7月1日 - 駿東郡沼津町と合併し市制を施行、沼津市となった。

「香貫山から狩野川河口~大瀬崎を望む」Photo_3
「昭和20年代の香貫地区」大瀬崎や狩野川河口の位置から見ると香貫山から撮った画像の様です。下香貫地区は一面田んぼですね。

Maxresdefault
香貫山の南麓地区の地名の由来も知っておきましょう!

「玉江町」この地の小字名を江間田と称していましたが、昭和初年に玉江町と呼ばれるようになりました。これは江間田を逆に呼んでしゃれた地名にしたかったためと言われています。

「宮原町」楊原神社の近くの平担な土地ということで、称されるようになったと言われています。

「二瀬川」二つの瀬がある川ということで、この地で川が二又に分かれていたところから付けられた地名と言われています。

「宮脇」楊原神社の脇にある土地ということから付けられた地名です。

「八重」香貫山と徳倉山の尾根が接する山あいの地域で、山が幾重にも重なっているところから付けられた

「馬場」この土地が楊原神社の社地で、神馬や流鏑馬(やぶさめ)などの馬場であったところから付けられた

「楊原」楊原神社にあやかって付けられた地名です。神社の南東の八重原(やえはら)の地域が楊原神社にゆかりの土地であるということから、昭和の初めごろは楊原と呼ばれました。一説には八重原は楊原のなまった呼び方と言われています。(沼津市HP)

⇐PleaseClickクリックお願いします。
にほんブログ村

2023年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

訪問者カウンター

#沼津近郊「美味い店」

  • 「Cafeで手打蕎麦 熊の手」伊豆の国市
    沼津近郊には美味しい店がいっぱいあります

#沼津近郊「美味イタリアン」

  • 「ポモドーロ」伊豆長岡
    沼津近郊ピッザやパスタが美味しいイタリアンの店

#沼津近郊「美味い寿司店」

  • 寿司処「旬魚旬彩 和なごむ」伊豆市
    沼津に来たら美味いお寿司をどうぞ

カテゴリー

フォト

静岡プログ村

ウェブページ

無料ブログはココログ

#沼津近郊の寺

  • 伊豆市「實成寺じつじょうじ」日蓮宗
    沼津近郊の【寺】を紹介しています