カテゴリー「「源頼朝と伊豆」&22年大河「鎌倉殿の13人」」の6件の記事

2022年1月10日 (月)

大河「鎌倉殿の13人」いよいよ始まりました~

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第1回が始まった!初回から面白い!スタートが地元伊豆でなお更いい!「鎌倉殿の13人」楽しみだ!

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平家隆盛の世、北条義時は伊豆の弱小豪族の次男坊に過ぎなかった。だが流罪人・源頼朝と姉・政子の結婚をきっかけに、運命の歯車は回り始める。1175年、平清盛(松平健)が大権力者として君臨していた時代から始まる。

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平安末期の安元元年(1175年)秋。京都で朝廷を警護する大番役の務めから伊豆国の館へ帰還した北条時政(ときまさ。義時の父)は、近隣の親しい豪族たちや相模国の三浦義澄(みうら よしずみ)らを招いて酒宴の席を囲みます。北条義時。この頃はまだ政治的野心など微塵もない、朴訥な青年だった。

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伊豆の地では、北条義時が兄・宗時(片岡愛之助)、姉・政子(小池栄子)らとのんびり暮らしていたが、流罪人・源頼朝(大泉洋)が義時の幼なじみ八重(新垣結衣)と恋仲になり男児を産んだことで状況は一変、清盛から頼朝の監視を任されていた八重の父・伊東祐親(浅野和之)は激怒する。

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頼朝が姿をくらます中、北条家にも捜索命令がくだるが…。頼朝を匿っていたのは、平家打倒を目指す宗時を中心にした北条家だった。

頼朝をめぐり、兵を率いて祐親が北条の館に迫るという第1回の内容だった。

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<三谷ワールド全開これからどうなるか楽しみ~>

1180年、頼朝は関東武士団を結集し平家に反旗を翻した。北条一門はこの無謀な策に乗った。頼朝第一の側近となった義時は決死の政治工作を行い、遂には平家一門を打ち破る。

幕府を開き将軍となった頼朝。だがその絶頂のとき、彼は謎の死を遂げた。偉大な父を超えようともがき苦しむ二代将軍・頼家。“飾り”に徹して命をつなごうとする三代将軍・実朝。将軍の首は義時と御家人たちの間のパワーゲームの中で挿すげ替えられていく。

義時は、二人の将軍の叔父として懸命に幕府の舵かじを取る。源氏の正統が途絶えたとき、北条氏は幕府の頂点にいた。都では後鳥羽上皇が義時討伐の兵を挙げる。武家政権の命運を賭け、義時は最後の決戦に挑んだ──。

 

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2021年11月28日 (日)

来年の大河、鎌倉殿の13人「阿野全成の墓 大泉寺」沼津

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友人Kさんから昔の上司が先月亡くなったと連絡を貰った。久しぶりなのでお会いする事に成りご夫妻とランチをすることになった。あれこれ昔の事を色々話すうちに寺巡りに興味があるとの事。

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来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の中でも「阿野全成の墓」が有る「大泉寺」に行ってみようと話すと~偶然にも墓のある大泉寺はkさんの実家の菩提寺というのでビックリ!御夫妻と出掛ける事に。

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阿野全成は、幼名を今若丸といい清和源氏の嫡流源義朝の7男であり、頼朝の異母弟である。母は有名な常盤御前で、弟に乙若丸・牛若丸がおり、後にそれぞれ義圓・義経と名乗っている。平治の乱で父義朝は死に、牛若丸を除き、今若丸と乙若丸は出家させられた。全成は山寺の醍醐寺に預けられたが、次第にたくましく成長し、その荒法師ぶりから醍醐の悪禅師とも呼ばれた。

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治承4年(1180年)源頼朝が韮山で挙兵すると、全成はひそかに寺を抜け出し、修行をよそおいながら頼朝のもとに参ずると、頼朝はその志に涙して感動したという。

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全成は頼朝を手助けした功績により、駿河国阿野庄(現在の東原、今沢から富士市境一帯)を与えられ、阿野を姓として阿野全成を名乗り、この地を根拠地とした。東井出に居館を構え、居館の一隅に持仏堂を建てて祖先の霊を弔った。これが現在の大泉寺である。

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こんな背景を理解しつつ来年の大河じっくり楽しみましょう!!

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2020年11月 5日 (木)

22年大河「鎌倉殿の13人北条義時、史跡を歩く3」伊豆の国市

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この日は早朝6:10に家を出て22年大河「鎌倉殿の13人」の主人公「北条義時夫妻の墓がある北条寺」に向かいました。到着したのは6:30、本堂からから振り返ると丁度箱根連山から朝日が昇り始めた所です。

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北條寺は、伊豆の国市南江間にある臨済宗建長寺派の寺院。鎌倉幕府二代執権北条義時の創建と伝えられている。本尊は、源頼朝が源氏再興を祈願したという「木造観世音菩薩坐像」(県指定文化財)。義時の父時政も頼朝の挙兵時に武運長久を祈願したのだと伝えられる。

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その他、運慶作と伝わる「木造阿弥陀如来坐像」、義時の姉北条政子の寄進と伝わる「牡丹鳥獣文繍帳」(県指定文化財)を所蔵。Sdsc_1090

境内の奥に小高い小四郎山に「北条義時夫妻の墓」がある。山に登る階段はかなりあって登るのは相変わらずきついが休み休み登った。

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正面から向かって右が北条義時、左が妻の墓。北條寺の墓は、義時の子で三代執権北条泰時が北条氏発祥の地に追善のために建てたものと伝えられている。

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「豆塚神社」北条寺から北に数百m交差点の角、伊豆の国市北江間にある郷社。古代、北条郷と江間郷は一つの郷で、大男山(雄徳山) 山頂に総鎮守があった。しかし、狩野川が両郷の中間を流れるようになったことから、それぞれの郷に総鎮守を遷したのだという(参考:守山八幡宮)。その後、江間小四郎と呼ばれていた北条義時が豆塚に遷し、大明神と称して崇敬したと伝えられている。

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北条寺の近くに有る「北条義時の屋敷跡」だったと伝わる地。今は江間公園になっている。隣には1930年北伊豆地震での活断層が動き大きな揺れが発生 国指定天然記念物「地震動の擦痕」がある。 今朝の歩数は1200歩と少ないが山登りの階段はいつもの平地を歩く以上に足にこたえている。所要時間1時間にしてはクタクタ!続編は鎌倉迄行かないと~機会があったらにしましょう。

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2020年11月 4日 (水)

22年大河「鎌倉殿の13人北条義時、史跡を歩く2」伊豆の国市

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「北条の里さんぽ路」を案内に沿って西に進むと「北条政子の産湯」や「伝堀越御所跡」「北条氏邸跡」等が道路に沿って点在しています。桜の季節には奇麗な桜並木も名所になっています。しっとり落ち着いた小路は心和みます~

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願成就院から約500mの場所に「尼将軍北条政子産湯の地」があります。ここにある井戸は「北条政子の産湯の水をとった」と言い伝えが残る井戸です。源頼朝の妻、北条政子は、息子の源頼家を修善寺へ幽閉するなどの強さから「尼将軍」と言われました。その強さにあやかって、少し前まで住民の間では「この井戸の水を飲めば安産になる」と言われていたそうです。

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「伝堀越御所跡」伝堀越御所跡は「堀越公方」と呼ばれた足利政知の御所があったと伝えられる場所です(文化財の名前の頭に「伝」とあるのは、そう伝えられている、という意味)、「公方(くぼう)」は将軍や殿様、という意味です。御所も、政知の死後、1493年に北条早雲によって滅ぼされてしまいました。
近年の発掘調査によって、池跡や遣水、建物跡が見つかっていて、都風な公方の生活を知ることができます。現在は広場になっています。
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「頼朝政子語らいの路」に戻り「真珠院」に向かいます。語らいの路は遊歩道になっていて舗装も綺麗でした。

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「伊東八重姫」心変わりした頼朝を知りこの寺の前、渦巻く真珠が淵に身を投じてはてたという。山門を入ってすぐ右側には八重姫(静姫)の供養堂があります。
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「成源寺」成願寺は、源頼朝が餅売りの嫗(おうな)のために創建したという寺。

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「成福寺」成福寺は、伊豆国の在庁官人であった北条時家の庁舎持仏堂(天台真言宗)を前身とし、1289年(正応2年)、鎌倉幕府八代執権北条時宗の第三子正宗が浄土真宗の寺院として再興したと伝えられている。 成福寺は、ハスの寺として知られ、境内では200種、300鉢のハスが栽培されている。

明日の早朝はここから離れた狩野川の西の江間にある大河ドラマの主人公「北条義時夫妻の墓」がある北条寺に行ってみます。

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2020年11月 3日 (火)

22年大河「鎌倉殿の13人北条義時、史跡を歩く1」伊豆の国市

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早朝散歩も歴史シリーズの様になって来た。家からはだんだん遠くなるがコースの下見迄して出かける熱心さは興味の他に何もない。数日は2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」源頼朝に学び武士の世界を盤石にした男の伊豆の史跡を歩いてみることにする。

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物語は二代執権「北条義時」を描くドラマで近くの伊豆の国市が舞台の期待の大河ドラマだ。平家隆盛の頃、北条義時は伊豆の弱小豪族の次男坊にすぎなかった。だが流罪人「源頼朝」と姉「政子」の結婚をきっかけに歴史が始まった。

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源頼朝の父「義朝」が平清盛との戦いに敗れ、清盛の義母「池禅尼」のはからいで、1160年(永暦元年)2月に伊豆国へ源頼朝は流されました。その時、流された場所が「蛭ケ小島」と言われます。伊豆箱根鉄道の東側に韮山反射炉や江川邸にも近い場所にある。ここまでは車でやって来て願成就院から徒歩で巡ります。

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「梛の葉の縁結び」 伊豆国に流罪となった源頼朝北条政子は、変らぬ愛の証として、伊豆山神社の御神木の葉を持っていたといわれている。「椰の葉」は、横に裂けないことから「愛のお守り」として、また、「家族平穏のお守り」として功徳があるという。

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源氏の守護神社守山八幡宮は、源頼朝が平氏追討の勝利を祈願して挙兵した神社です。夜陰、源氏重忠の軍兵数十騎、山木判官平兼隆を襲い討つ。

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鳥居をくぐると拝(舞)殿があり更にその奥の長い石段を登ると八幡宮が建つ。歴史を感じさせる八幡宮だ。石段は途中まで数えたが‥‥まだまだ階段は楽には登れない。平地を散歩するのがやっとの体力の様だ。脚の筋力を付けないと坂道や階段はこなせないなあ~
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「守山八幡宮」の隣には「願成就院」があります。
文治5年(1189年)源頼朝は、反抗した源義経をかくまった東北平泉の藤原氏を攻撃しました。この戦い(奥州征討戦)の勝利を祈願して建てられたのが「願成就院」です。北条時政が建てたお寺です。治承元年(1177年)源頼朝は、北条時政の娘「北条政子」と結ばれました。この結婚により、北条時政は「義父」となりました。

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北条時政は、源頼朝の死後、鎌倉幕府の「執権」を握った人物です。境内には「時政の墓」もあります。又願成就院には国宝運慶作の仏像があります!この地は見所いっぱいでこの続きは又明日にでも~

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2012年3月29日 (木)

熱海市「伊豆山神社」

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Sdsc_0021 古来伊豆大権現、又は走湯大権現、伊豆御宮とも走湯社とも称され、略して伊豆山又は走湯山と呼ばれていたが、明治になって現在の社名に改称された。Sdsc_0006 四季折々の美しい景色を眺めながら境内への長い階段を登ると、社の左右には神木である梛 (ナギ) の木が。災いを浄化する作用があるといわれるこの葉を持つと願い事が必ずかなうという言い伝えがある。Sdsc_0022 役小角や弘法大師など多くの仏教徒や修験者が修行を積んだ霊場で、後白河院皇が御撰した『粱塵秘抄 (リョウジンヒショウ) 』にもそのことが著されていることから、古くから神聖な場所として崇められていたことがわかります。平安時代には源頼朝が源氏の復興を願い、崇拝していたという源頼朝ゆかりの神社である。Sdsc_0033 流人・頼朝は伊豆山権現の住僧覚渕に学び、やがて北条政子と劇的な出会いを果たします。 治承2年の夏、北条政子は親の定めた山木兼隆との縁談を嫌い、婚礼の夜、宴席を抜け出し約七里の道のりを超え、かねて想いを寄せていた伊豆山の頼朝の元へ。 頼朝は政子を逢初橋(あいぞめばし:国道135号)の上で出迎えたと言います。 Sdsc_0018  (上の画像は訪れた二人を必ず結ぶという夫婦神を祀った結明神社)頼朝が鎌倉幕府を開いた後にも、伊豆山神社は源頼朝と政子に崇拝されました。僧兵3800人を有し、絶大な勢力を誇りました。戦国時代は小田原の北条氏により厚く庇護されていましたが豊臣秀吉の小田原征伐で 焼き打ちにあい消失するも徳川の時代に伊豆大権現は再建復興、徳川家康も参拝に訪れています。Sdsc_0003境内には、頼朝と政子が愛を語り合い仲良く座っていたとされる腰掛け石があります。源氏の守護神また縁結びの神として親しまれる伊豆山神社春の例大祭は4月14~16に行われる。神社の石段を約700段降りた広場までの行列、勇壮な御輿のお下りとお上り、神楽神女の舞がなどが行われる。、Sdsc_0024右手の資料館には政子が頼朝のために髪で作った曼荼羅 (マンダラ) が納められています。伊豆山神社の裏山にある白山神社。左手のまっ白な鳥居をくぐり、勾配のある山道を片道20分ほど歩くと静謐な雰囲気の森のなかに突如、大きな岩が連なる場所が。鳥居とご神木、さらにその上には本社があります。
この神社には頼朝を思う政子が手鏡の下に忍ばせ縁が結ばれたナギの葉にちなみ「梛の葉守 (ナギノハモリ) 」という特別なお守りもあります(女性がおナギ、男性がめナギを持つといい)。

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