カテゴリー「「鎌倉ぶらり歩き」」の9件の記事

2011年12月25日 (日)

「鎌倉ぶらり歩き 11切通し」

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毎日見舞いに行く親父の病院に昔の職場の後輩内野君が入院していた。帰り際に必ず彼の病室に寄っては話し込んでしまう。一人で旅するのが好きな男であちこち出掛けていた様だ。鎌倉も何度か出掛けたようで良く知っている。昨日は切通しの話をした。

Photo 鎌倉の地形は三方の山々が天然の要塞で鎌倉へ陸路入るには「鎌倉七口」と呼ばれる七つの切通し以外にはなかった。山の尾根を掘り下げて通行可能にし同時に敵の侵入に対する防御施設として切通しを作った様だ(歴史的背景はここでは触れないのであしからず)

Asahina 「朝比奈切通し」八幡宮三の鳥居前の横大路から東に向かう横浜市金沢地区方面へぬける道(金沢道あるいは六浦道という)の峠にある切通しです。この切通しを語るときに必ず登場すぬのが和田義盛の三男で巴御前を母に持つという朝比奈三郎義秀が太刀で一日一夜にして切り開いた道であるという伝説です。

Nagoe 「名越切通し」 若宮大路の下馬信号から県道鎌倉葉山線を東へ。大町の逆川を渡るところから道はやや南へ折れ、やがてJR横須賀線の名越踏切を渡ります。線路に沿うように東に向かう細道がありこの道が名越切通を越えて三浦に向かう、かっての古道だったのです。 

Photo_3 「化粧坂(けわいざか)切通し」。「仮粧坂」と書くこともある。現在の鎌倉市扇ガ谷から源氏山公園を結ぶ。主に武蔵国国府(現在の府中市国分寺市)から上野国へ向かう道の出口と考えられている。 

1 「極楽寺切通し」鎌倉市街の南西にある坂です。極楽寺坂の道は極楽寺の旧境内を通り、稲村ヶ崎の西を経由して海岸線に沿って藤沢・平塚方面へ向かっています。この道が西から鎌倉への表玄関の役割を果たしていたようで、近世の「鎌倉攬勝考」には「京都へ往返する本道なり。」とあり、この切通しが京・鎌倉往還であったようです。 

Photo_2 「亀ヶ谷切通し」北鎌倉から鎌倉街道を建長寺方面へと向かうと右側に長寿寺があります。寺のすぐ左の道が亀ヶ谷坂切通へ向かう道で山ノ内側の入口になります。  

1 「巨福呂坂(こぶくろざか)切通し」八幡宮裏手の雪の下から山ノ内を結ぶ道。

K_daib06 「大仏坂切通し」鎌倉七口の中では「朝比奈切通」と「名越切通」に次いで古いままの姿が残るところです。文献史料に登場することが極めて少ない切通しです。大仏坂の下を通るトンネル。 

Kirizu なかなか興味深い「切通し」ですね~歴史が好きな私にとって鎌倉歴史探訪の続編で未だ歩いていない所は是非廻ってみたいですね。

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2011年12月19日 (月)

「鎌倉ぶらり歩き 9銭洗弁財天宇賀福神社 10寿福寺」

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Zeni_0069l 「銭洗弁財天宇賀福神社」八幡宮とともに、信仰を集めているのが、扇ガ谷の銭洗弁財天。以前勤務した会社の正月の販促セールに新年からご縁があるようにと5円玉をたくさん持って洗いに来たのを思い出す。ここの霊水が鎌倉五名水の「銭洗水」でこの水でお金を洗うと何倍にも増えるといわれています。奥の洞窟では銭を洗う人が絶えない。コインを2枚洗い1枚は使って、もう1枚はお財布の中に入れておくといいそうです。宇賀福神は蛇の体に人の頭をもつ水の神(穀物の神、福の神ともいわれる) 鎌倉駅から徒歩約25分 鎌倉市佐助2-25-16

Photo 「寿福寺」臨済宗建長寺派 鎌倉五山第3位 源頼朝が没した翌年の1200年(正治2年)、妻の北条政子が葉上房栄西(明庵栄西)を開山に招いて創建した。Photo_2 源氏家父祖伝来の地である。また、この地に頼朝の父源義朝の旧邸があり、1180年(治承4年)初めて鎌倉入りした頼朝は、ここに幕府を構えようとしたが、すでに岡崎義実が堂宇を建て義朝の菩提を弔っていたことや、土地が狭かったため、当初の計画を変更したといういきさつがある。Jufukumasako  境内奥の横穴式墓所に北条政子の墓といわれる五輪塔がある。(政子の産湯は私の住む近くの伊豆韮山にある)創建当時は七堂伽羅。14の塔頭持つ大寺院であったという。Kmjufuku05 地蔵菩薩像(国重文)栄西著「喫茶養生記」(国重文)栄西坐像(県重文)総門、中門、仏殿、庫裏(くり)、鐘楼境内は国指定史跡鎌倉三十三観音第24番(十一面観音)鎌倉二十四地蔵第18番(延命地蔵・国宝館に寄託)お墓:源実朝、北条政子、高浜虚子、大仏次郎
横須賀線鎌倉駅西口徒歩約10分 鎌倉市扇ヶ谷1ー17ー1

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2011年12月17日 (土)

「鎌倉ぶらり歩き 8由比ヶ浜 懐石 魚源」

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江ノ電で鎌倉から二つ目の「由比ヶ浜」駅を降りると、周辺は静かな住宅地。改札を出て左に向かうと、由比ヶ浜海水浴場。右に向かうと、鎌倉文学館や鎌倉最古の神社、甘縄神明神社がある。

Original 鎌倉の友人が夕食に予約してくれていた「魚源」江ノ電由比ガ浜駅を降りて左側に歩いてすぐにお店があります。Ssn3j0027 黒塀の洒落た構え、友人もなかなかいい店を予約してくれたものだ~店内は真中に通路、左右に区切られた客室になっています。この日は鎌倉会席をいただきました。Ssn3j0029 先付 お汁 Ssn3j0030 口取(季節感がありますね) Originaljpg1 お刺身(新鮮でした)白身が美味しかった~ Ssn3j0031 お椀 Ssn3j0032 焼物(ブリの下は大根) Ssn3j0033 煮物 ご飯 水菓子迄出て来ました。 メニューを見たら¥3800 このお値段でこの料理をいただけるとは~お店も素晴らしいし此処を予約した友人もなかなかですね!御馳走様でした~場所 鎌倉市由比ヶ浜3-10-11 日、水、木夜は予約のみ 定休月、火

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2011年12月15日 (木)

「鎌倉ぶらり歩き 6長谷寺 7大仏さん 7‐2成就院」

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Image026 「長谷寺」伝承では創建は奈良時代とされているが、中世以前の沿革は明確でない。寺伝によれば、天平8年(736)、大和の長谷寺(奈良県桜井市)の開基でもある徳道を藤原房前が招請し、十一面観音像を本尊として開山したという。本尊の観音様は高さ9.18m木造の仏像で日本最大級の大きさと言われています。Image023 アジサイで有名な長谷寺ですが一年を通し花々が楽しめます。この時期、紅葉の見ごろは11月下旬から12月です。ライトアップされた紅葉は次回見てみたいです。こんな季節の移り変わりを楽しむのも長谷寺花散歩の楽しみですね。 江ノ電長谷駅徒歩5分 場所 鎌倉市長谷3-11-2

06121522daibutsu 「鎌倉大仏さん」高徳院浄土宗 長谷観音から3分ほど歩くと、右手に大仏で有名な高徳院が見えてくる。「鎌倉大仏」または「長谷の大仏」の名で親しまれている大仏様は、奈良東大寺の大仏、富山県高岡の大仏とともに三大大仏といわれている。像高約11.3メートル。鎌倉で唯一の国宝仏。大仏を囲う回廊の裏手には、かつて朝鮮半島に君臨した李王朝の月宮殿を移築した観月堂と、「みだれ髪」などで知られる女流歌人与謝野晶子が明治37年に鎌倉を訪れ、大仏を拝観した際詠んだ歌の歌碑がある。明応4年(1495年)の大津波で押し流され現在のような露坐の姿になったといわれている。江ノ電長谷駅徒歩約10分

Jyojyuin009 「成就院」弘法大師がこの地で数日間に渡り護摩供・虚空蔵菩薩求聞持法を修した霊跡。元弘三年(1333年)新田義貞の鎌倉攻めで焼失し奥の西が谷に移っていたが江戸時代の元禄期(1688年~1703年)再建。両側に般若心経の文字数と同じ262株の紫陽花が咲きほこり除夜の鐘と同じ108段の階段を上がれば門前から美しい由比ガ浜の海岸が見れます(画像コピー) 江ノ電極楽寺駅徒歩約5分

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2011年12月 9日 (金)

「鎌倉ぶらり歩き 5北鎌倉-鎌倉の思い出」

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私が小さい頃育った所は横須賀、近くの鎌倉にはよく連れて行ってもらいました。記憶に残っている場所もいくつもあります。その後何回も訪れた鎌倉ですが今回歩いた北鎌倉-鎌倉が一番身近に感じます。横須賀線を利用したのが大きな理由かもしれません。車ですと通過してしまう鎌倉が多かったですからね。思い出すこの界隈の食べ処・土産品の数々~Originaljpg_2「光泉」いなり寿司。良く食べたなあ~鎌倉市山ノ内407Ky002s 「去来庵」ビーフシチュー 純和風の座敷でいただく 鎌倉市山ノ内157Img_2945_kasen「三日月堂 花仙」甘味処どら焼き 餡子がたっぷり 鎌倉市山ノ内33-1Photo

「鎌倉鉢の木」日本料理☆ミシェラン 鎌倉市山ノ内35Originaljpg_3「北鎌倉 茶寮円」日本料理☆ミシェラン 鎌倉市山ノ内501(画像)

「博古堂」鎌倉彫 八幡宮の入口にあります。鎌倉市雪の下2-1-28Ssn3j0023 鎌倉若宮大路・小町通り「豊島屋」鳩サブレー今回も買いました(画像) 「鎌倉壱番屋」手焼きせんべい 焼き立て種類が豊富でどれにしようか迷います。 「鎌倉五郎本店」和菓子銘菓鎌倉半月 「鎌倉山納豆」納豆 昔良く食べました~Ssn3j0019 友人一押し「アトリエ・バニラ」ロールケーキ(画像) 「鬼頭天薫堂」香の専門店、おばあさんと行ったなあ~ 「鎌倉丸山亭」フランス料理 鎌倉市御成町14-1

さすが鎌倉、八幡宮の近くだけでもまだまだ名店がたくさんあります~次回も食べ歩きかな~

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2011年12月 8日 (木)

「鎌倉ぶらり歩き 4鶴岡八幡宮」

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Lrg_13142261_2 「鶴岡八幡宮」奥州を定めた源頼義が1063年、由井郷鶴岡(現在の材木座)に石清水八幡宮の分霊を祀り、鶴岡若宮としたのがはじまり。その後、1180年に源頼朝が鎌倉に入るとすぐに鶴岡八幡新宮若宮へ遷座し若宮大路、源平池を造った。Waka001 1191年の大火事で焼失したため、現在の土地に社殿を造営、新たに鶴岡八幡宮を鶴岡八幡を創建し上下両宮とした。鎌倉の街は、これ以後、鶴岡八幡宮を中心に発展し武家の崇敬を集めた。Lrg_13142314_2鎌倉幕府衰退後は、25の僧坊の数も減少し、一時衰退したが、江戸時代に入ると幕府の庇護を受け大規模化が進み、仁王門、護摩堂、輪蔵、神楽殿、愛染堂、六角堂、観音堂 法華堂、弁天堂等を建築し、徳川家光の治世に薬師堂、鐘楼、楼門なども建てられた。また境内には、方五間の多宝大塔、東照宮も存在した。Wakamiyaoji1005b 境内には太鼓橋・舞殿・本宮(重文)・大石段・大銀杏(天然記念物)・白幡神社・丸山稲荷社(重文)源平池(北条政子が掘らせたという)などがある。《国宝》籬菊螺鈿蒔絵硯箱/沃懸地杏葉螺鈿太刀/朱漆弓/黒漆矢など

「小町通り」鎌倉駅から鶴岡八幡宮方向に続く通りで鎌倉の人気スポット。小さな店がたくさん続く楽しい通りです。手焼きせんべいやオススメ店が並んでいます。
Cimg5724  「宝戒寺」天台宗 代々の執権館があった場所でこの地を長年支配した北条氏の寺。鶴岡八幡宮より東に5分ほどのところにあります。秋には白萩で参道が飾られ萩の寺と呼ばれる。低木が多いこの寺の紅葉や枝垂れ梅も見事です。

「本覚寺」日蓮宗 鎌倉駅東口から徒歩3分と,近いところにある寺で,1月の鎌倉えびすや小規模ながら珍しいサルスベリの紅葉を見ることができます。

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2011年12月 5日 (月)

「鎌倉ぶらり歩き 3建長寺」

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Sdsc_0025 「建長寺」臨済宗建長寺派大本山 鎌倉五山の第一位。
建長寺は鎌倉幕府5代執権北条時頼によって創建された禅宗寺院で、建長5年(1253)落慶供養が営まれている。開山(初代住職)は宋からの渡来僧・蘭渓道隆(大覚禅師)。Sdsc_0028 当時の日本は、承久の乱を経て北条氏の権力基盤が安定し、京都の中央政府の支配力は相対的に弱まり、鎌倉が事実上、日本の首府となっていた時代であった。北条時頼は熱心な仏教信者であり禅宗に深く帰依していた。Sdsc_0037 我が国最初の禅の専門道場。最盛期には塔頭が49院有ったが火災で焼失。創建当時の建物は失われたとはいえ、総門(1783建立1943京都般舟三昧院から移築)・三門(高さ30m重層門で楼上には五百羅漢像が祀られている)・Sdsc_0036 仏殿(重文、寄棟造り1647増上寺から移築)・法堂はっとう(重文1814建立)・方丈が一直線に並ぶ伽藍配置は、創建当時の面影を残し10の塔頭寺院が取り囲んでいる。なお、地形の関係で総門 - 三門間の参道は斜めになっている。「文化財」絹本淡彩蘭渓道隆像・大覚禅師墨蹟法語規則・Sdsc_0032 梵鐘(国宝、円覚寺・常楽寺と共に鎌倉三名鐘)山門・法堂・絹本著色釈迦三尊像ほか(重文) 場所 鎌倉市山ノ内8 ☆参考鎌倉五山 1建長寺 2円覚寺 3寿福寺 4浄智寺 5浄妙寺

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2011年12月 4日 (日)

「鎌倉ぶらり歩き 2円覚寺」

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Sdsc_0012 横須賀線北鎌倉駅に隣接する「円覚寺」臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第二位に列せられる古刹。1282年(弘安5年)、鎌倉時代後半北条時宗が中国より無学祖元禅師を招いて創建。時宗公は18歳で執権職につき、不安な武家政治の中で心の支えとして、無学祖元禅師を師として深く禅宗に帰依され禅を広めたいという願いと蒙古襲来による殉死者を弔うために円覚寺建立を発願された。円覚寺は創建以来、北条氏をはじめ朝廷や幕府の篤い帰依を受け、寺領の寄進などにより経済的基盤を整え、鎌倉時代末期には伽藍が整備されました。 Sdsc_0013_2 室町から江戸時代幾たびかの火災に遭い、衰微したこともありましたが、江戸末期(天明年間)に大用国師(誠拙周樗)が僧堂・山門等の伽藍を復興され、 修行者に対し峻厳をもって接しられ、宗風の刷新を図り今日の円覚寺の基礎を築かれました。 001l 明治以降今北洪川老師・釈宗演老師の師弟のもとに雲衲や居士が参集し、多くの人材を輩出しました。 今日に至ってもさまざまな坐禅会が行われています。Keidai_map 静寂な今日の伽藍は創建以来の七堂伽藍の形式が伝わっており、 山門、仏殿、方丈と一直線に並び、(法堂はありませんが)その両脇に右側、浴室、東司跡、左側、禅堂(選佛場)があります。「文化財」舎利殿・梵鐘(国宝)絹本著色五百羅漢像33幅・*絹本著色被帽地蔵菩薩像ほか(重文)

T11062219 「東慶寺」臨済宗円覚寺派 北鎌倉駅から南に5分ほど歩いたところにある山寺「縁切寺」「駆け込み寺」として知られる。アジサイやアヤメで有名ですが,秋の紅葉も見ごたえがあり,ちょうど良い距離の散策コースがあります。鎌倉市山ノ内1367

111127jt04 「浄智寺」臨済宗円覚寺派 鎌倉五山の四位に列せられる寺 東慶寺よりさらに南に5分ほど行った所にある北条宗政の寺。最盛期は七堂伽藍を備え塔頭も11寺院に達した。現在の建物は関東大震災後に再建。建物奥のイチョウが見事に色づく紅葉スポットです。最盛期は七堂伽藍を備え塔頭も11寺院に達した。現在の建物は関東大震災後に再建。横須賀線北鎌倉徒歩約5分 鎌倉市山ノ内1402Meigetuin2063_2 「明月院(あじさい寺)」臨済宗建長寺派 山之内経俊により創建された明月庵が起源。その後康元元年(1256年)北条時頼がこの地に最明寺を建立し後に時頼の子・時宗が最明寺を前身に蘭渓道隆を開山として禅興寺を創建。康暦2年(1380年)関東管領上杉憲方が寺域を拡大し塔頭を建てた時に明月庵は明月院と改められた明治初年に禅興寺は廃寺となり明月院だけが残った。あじさいが(約2,500株)有名ですが新緑や紅葉も見事です。横須賀線北鎌倉徒歩約10分 鎌倉市山ノ内189
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2011年12月 3日 (土)

「鎌倉ぶらり歩き 1鎌倉の歴史」

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Sdsc_0019 初冬の一日鎌倉に出かけました。以前から数回訪れていましたが訪れた場所も増え「鎌倉ぶらり歩き」をブログに書けるボリュームになりました。その始めとして「鎌倉の歴史」から書いていきます。私の住む沼津や近くの韮山は源氏や北条・後北条とかかわりが深い事は以前に書いたとおりです。歴史をたどると、どうしても鎌倉はこの足で出向きたい場所だった訳です。Sdsc_0016 「1鎌倉の歴史」平治の乱に敗れ伊豆韮山の「蛭が小島」に流されていた頼朝は1180年挙兵しますが石橋山の戦いに敗れ真鶴から安房に向かい体勢を立て直し大軍を率い鎌倉に入ります。頼朝が鎌倉入りして間もなく、平維盛の率いる軍が駿河に達してきたので、頼朝も出陣し、甲斐の武田信義と示し合わせ、富士川の戦いで勝利をおさめるわけです。維盛軍は、水鳥の飛び立つ音を敵襲と勘違いし敗走したと伝えられています(現富士市、翌日清水町黄瀬川で義経と対面) 12世紀末、源頼朝は「源平の合戦」で平氏を滅ぼし、征夷大将軍となり、鎌倉に幕府を開き、19世紀中ごろまで続く武家政権の基盤が作られました。頼朝は、幕府の組織を整えるとともに都市づくりを開始、1230年ころになると、幕府は全盛期を迎え、鎌倉は政治、軍事、外交、文化などあらゆる面で日本の中心地となりました。
Sdsc_0013 源氏が3代で絶えた後も、頼朝の妻政子の実家だった北条氏が実権をにぎり、その下で、京都をしのぐ事実上の首府でした。最盛期には3万人もの人口を数えたといわれています。経済の発展に伴って、当時の築港である和賀江島(わかえじま)を通じて中国の宋や元との交易も盛んに行われ、禅宗、禅宗様建築、仏像彫刻、彫漆など様々な中国文化がもたらされました。大仏の造立、建長寺や円覚寺など禅寺の建立が盛んだったのもこのころです。Sdsc_0024 幕府は1333年(元弘3年)に新田義貞(にったよしさだ)により滅ぼされました。力のある武士の間で権力をめぐって戦いが続いた後、足利尊氏が京都に室町幕府を開きました。室町幕府と鎌倉府が対立。1455年(康正元年)、戦いに敗れた鎌倉府のリーダー足利成氏(あしかがしげうじ)は下総国(茨城県)古河に逃げ、鎌倉は急速に活気をなくし、農業と漁業の村になってしまいました。江戸時代に入ると社寺は復興、鎌倉は参拝客が訪れる半農半漁の門前町から江の島の景色とともに、史跡めぐりを楽しむ江戸の町人も増えていきました。Sdsc_0017 1889年に横須賀線が開通すると、鎌倉は再びモダンな人たちの海水浴場として、別荘地や住宅地として、注目されるようになります。温暖な気候と恵まれた自然、歴史と文化の伝統を愛する人々は多く、昭和に入って作家や文人たちが次々に移り住んで「鎌倉文士」という言葉さえ生まれました。東京から電車で1時間ほどの鎌倉は、1千年の歴史と文化、自然、そして、時代を先取りした新しいセンスを味わわせてくれる古都として、年間2千万人もの来訪者で賑わっています。

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