「鎌倉ぶらり歩き 11切通し」
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毎日見舞いに行く親父の病院に昔の職場の後輩内野君が入院していた。帰り際に必ず彼の病室に寄っては話し込んでしまう。一人で旅するのが好きな男であちこち出掛けていた様だ。鎌倉も何度か出掛けたようで良く知っている。昨日は切通しの話をした。
鎌倉の地形は三方の山々が天然の要塞で鎌倉へ陸路入るには「鎌倉七口」と呼ばれる七つの切通し以外にはなかった。山の尾根を掘り下げて通行可能にし同時に敵の侵入に対する防御施設として切通しを作った様だ(歴史的背景はここでは触れないのであしからず)
「朝比奈切通し」八幡宮三の鳥居前の横大路から東に向かう横浜市金沢地区方面へぬける道(金沢道あるいは六浦道という)の峠にある切通しです。この切通しを語るときに必ず登場すぬのが和田義盛の三男で巴御前を母に持つという朝比奈三郎義秀が太刀で一日一夜にして切り開いた道であるという伝説です。
「名越切通し」 若宮大路の下馬信号から県道鎌倉葉山線を東へ。大町の逆川を渡るところから道はやや南へ折れ、やがてJR横須賀線の名越踏切を渡ります。線路に沿うように東に向かう細道がありこの道が名越切通を越えて三浦に向かう、かっての古道だったのです。
「化粧坂(けわいざか)切通し」。「仮粧坂」と書くこともある。現在の鎌倉市扇ガ谷から源氏山公園を結ぶ。主に武蔵国国府(現在の府中市国分寺市)から上野国へ向かう道の出口と考えられている。
「極楽寺切通し」鎌倉市街の南西にある坂です。極楽寺坂の道は極楽寺の旧境内を通り、稲村ヶ崎の西を経由して海岸線に沿って藤沢・平塚方面へ向かっています。この道が西から鎌倉への表玄関の役割を果たしていたようで、近世の「鎌倉攬勝考」には「京都へ往返する本道なり。」とあり、この切通しが京・鎌倉往還であったようです。
「亀ヶ谷切通し」北鎌倉から鎌倉街道を建長寺方面へと向かうと右側に長寿寺があります。寺のすぐ左の道が亀ヶ谷坂切通へ向かう道で山ノ内側の入口になります。
「巨福呂坂(こぶくろざか)切通し」八幡宮裏手の雪の下から山ノ内を結ぶ道。
「大仏坂切通し」鎌倉七口の中では「朝比奈切通」と「名越切通」に次いで古いままの姿が残るところです。文献史料に登場することが極めて少ない切通しです。大仏坂の下を通るトンネル。
なかなか興味深い「切通し」ですね~歴史が好きな私にとって鎌倉歴史探訪の続編で未だ歩いていない所は是非廻ってみたいですね。
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「三日月堂 花仙」甘味処どら焼き 餡子がたっぷり 鎌倉市山ノ内33-1





鎌倉幕府衰退後は、25の僧坊の数も減少し、一時衰退したが、江戸時代に入ると幕府の庇護を受け大規模化が進み、仁王門、護摩堂、輪蔵、神楽殿、愛染堂、六角堂、観音堂 法華堂、弁天堂等を建築し、徳川家光の治世に薬師堂、鐘楼、楼門なども建てられた。また境内には、方五間の多宝大塔、東照宮も存在した。
境内には太鼓橋・舞殿・本宮(重文)・大石段・大銀杏(天然記念物)・白幡神社・丸山稲荷社(重文)源平池(北条政子が掘らせたという)などがある。《国宝》籬菊螺鈿蒔絵硯箱/沃懸地杏葉螺鈿太刀/朱漆弓/黒漆矢など 



















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