カテゴリー「沼津「明治の別荘」」の13件の記事

2010年10月 5日 (火)

沼津と「竹内栖鳳」

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私のブログ「明治時代の沼津の別荘」がきっかけで日本画の大家、東の横山大観と並び、西の栖鳳と称された「竹内栖鳳」を研究している方が京都からお越しになった。ブログで紹介した明治時代の別荘配地図に栖鳳と懇意にしていた柴田定吉別荘が載っていた事が沼津に来られた理由でした。沼津駅に到着後早速別荘があった千本浜近くに出向き別荘があったと思われる場所を見て回りました。細部は触れませんが収穫は有ったようです。日本画の事など素人な私ですがこの日はいい勉強をさせていただきました。

Takeuchi_seiho 竹内栖鳳(たけうち・せいほう)元治元-昭和17(1864-1942)

京都に生まれる。幸野楳嶺に師事、内国勧業博覧会など受賞を重ねる。はじめ棲鳳と号したが、明治33年渡欧後に栖鳳と改号。渡欧を機に西洋画法を積極的に摂取。大正2年帝室技芸員、昭和12年文化勲章受章。京都画壇で指導的役割を果たし、多くの逸材を育て、近代日本画の発展に尽くした。

S「班猫」重要文化財。モデルとなった猫は栖鳳が沼津に滞在していた時、偶然見つけた近所の八百屋のおかみさんの愛猫であった。その姿に中国南宋時代の徽宗皇帝の描いた猫を想起し、絵心がかき立てられたため、交渉して譲り受けて京都に連れ帰り、日夜、画室に自由に遊ばせながら丹念に観察して作品に仕上げたのであった(山種美術館蔵)

Kakoh_2  「河口」大正7年狩野川の河口付近を主題にしているものでこの後の風景描写に重要な意味を持つ作品。

0039 竹内栖鳳の1927年の作品「秋霽」栖鳳は、好んで富士の作品を描いたそうですが、この作品は、湯河原や沼津を訪れた際に描いたものだろうと言われています。霧の晴れ間からのぞいた冠雪の白さが鮮やかです。

「栖鳳」は度々沼津千本浜の柴田別荘を訪れていたようです。柴田又吉は京都の人ですが東京に出て末廣という料亭を開き大成功した人で栖鳳の子供を養子として縁組するほどの間柄だったそうです。竹内栖鳳が沼津や千本松原に関連する作品も多く描いていた事に沼津に住む私にとっても又自慢が一つ増えました。

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2009年2月14日 (土)

Numazu明治時代の別荘「13当時の絵図」

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Numazu沼津 明治時代の別荘

「13当時の絵図

沼津市史別編絵図集に掲載されている明治・大正の絵地図には「大山巌別荘」「西郷」「大木」「世古三島館・沼津ホテル」「保養館」「御用邸」などが記載されている。

81919

沼津町附近の略図」大正8年(1919)作成 

「大山邸」「御用邸」「保養館」等が記載され大正6年に進出した東京麻糸紡績株や東京絹毛紡織株等大工場も描かれている。

241891

駿河国駿東郡沼津町略図」明治24年(1891)出版

大山邸」「世古第2支店海水浴場」「川村邸」「大木邸」「西郷邸」が記載されている。

今回で「沼津、明治時代の別荘」は一区切り続編は調査進み次第叉載せる事にします。今回あちらこちら歩いてみました。明治時代の沼津を垣間見た気がします。沼津の貴重な財産としてもっと多くの人に紹介出来る様にして欲しいものです。沼津明治資料館様・沼津図書館様協力ありがとうございました。

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2009年2月 1日 (日)

Numazu沼津 明治時代の別荘 「12千本界隈の別荘」

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Numazu沼津 明治時代の別荘 

12千本界隈の別荘

Dscn4218 「明治末期から昭和にかけての千本浜の町並」博物館紀要によれば千本浜一帯には著名な財界人の多くが別荘をかまえていた事がわかる。<画像クリック拡大>

画面左より時計回りに 楠太病院長別荘、柴田定吉スエヒロ社長別荘、津村重舎津村順天堂社長別荘、沼津銀行クラブ、岡本一郎平別荘、川上五郎別荘、石原宗五郎別荘、仏松園ホテル、足助四郎、相馬銀行、井上浅司郎、足助太郎、中井銀行、町田忠早、三輪善兵衛、中村作太郎邸、大賀邸、浜野茂新宿将軍邸、諸戸誠六別荘、西田嘉平別邸、小平家別邸、竹中工務店社長別荘、日本山岳会長槇別荘、西園寺侯爵別邸用地。

それにしてもそうそうたる方々の別荘が有ったんですね!

Img_0014 「現在の千本住宅地、やはりよき明治の雰囲気を感じます」

Img_1757 「潮の音プロムナード」として千本浜から~沼津港~狩野川~我入道~牛臥~島郷御用邸 迄整備されています。沿道は文学とロマン(若山牧水記念館、芹沢光治良文学館、井上靖その他文学碑や明治の良き別荘保養地時代を肌で感じ散歩でもしてみてください。沼津の良さを再発見できると思います。

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2009年1月29日 (木)

Numazu沼津 明治時代の別荘 「11当時の財界人別荘」

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Numazu沼津 明治時代の別荘 

10 当時の財界人別荘 

Photo沼津別荘群配置図略図」による当時の財界人別荘

NO4安田財閥梅乃舎ホテル安田別邸(千本)、NO6 津村順天堂社長別荘(千本)、NO10相馬銀行・NO12中井銀行別荘(千本)、NO13東京人絹社長町田別荘、NO14ミツワ石鹸三輪別荘(現沼津倶楽部)、NO15ソニー大賀会長祖父別荘(千本)、NO19竹中工務店社長別荘(千本)、NO38男爵岩崎弥之助三菱財閥別荘、NO58広田別荘(獅子浜静海荘)、NO61日産汽船社長小田切別荘(江の浦)、NO62三井銀行重役岡田別荘(江の浦)、NO68 龍澤寺老師山本玄峰庵(多比)、NO69東陶社長大倉別荘(口野)、NO72東麻社長小松別荘(口野)、NO73明電舎社長重宗別荘(重寺)、 NO84旧三井財閥長浜城址(長浜)

Photo安田善次郎」1838~1921安田財閥設立者。日本4大財閥の一つ、金融部門の絶対的な優位性を持つことから金融財閥ともいわれる。明治20年に安田保善社(現安田不動産)を設立して財閥の要とし、銀行業以外への拡張を開始、釧路鉱山と釧路鉄道、函館倉庫にまで拡大。明治26年に帝国海上保険を設立し、損保業務の充実をはかり、翌27年に共済五百名社を共済生命保険に改組し生保業務も盤石を期した。同年には海運会社安田運搬事務所を設立している。 明治29年には不動産業務の東京建物を設立、翌30年に国産の洋釘を製造するために安田製釘所を設立した。 明治32年には拡大した事業を統括するために安田商事を設立し統率をとり、同年紡績業務として西成紡績所を設置した。安田善次郎は卓越した金銭感覚と、成功しない事業と断定した者に対する厳しさから「天下一のしまり屋」として知られている。(Wikipediaより)安田善次郎伝 (中公文庫 M 103)

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2009年1月22日 (木)

Numazu沼津 明治時代の別荘 「10ホテル・旅館」

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Numazu沼津 明治時代の別荘

「10 旅館・ホテル」

Photo_3 「①三島館さんとうかん」明治21年(1888)に三島宿の本陣を営んでいた世古直道氏が建てたもので瀟洒な高級旅館であった。明治26年に御用邸が出来たあとは、御用邸に訪れる高級官僚の宿舎として使われていたという。旅館の名前の由来は”文久3年三島世古本陣に宿泊した第14代将軍徳川家茂(いえもち)が、「ここが三島宿だから付けたのではない。今宵の名月に輝く富士山が中国の「三神山」になぞらえるほど美しいので、三神山から三島館と名付けた」という。新Photo_4 しく牛臥山に旅館が出来てみると、駿河湾に浮かぶ淡島、布島、瓜島が三神山に替わって三島さんとうに見立てられるので、再び「三島館」の扁額を掲げた”と「三島館記(明治32年三島中州記)」に記されている。

Photo_5「②仙松閣ホテル」別館は西園寺侯爵専用

現在の千本公園の一番奥側(海岸の際)にあった。

当時の絵葉書がオークションなどに出ている。

画像転写の為不鮮明です~

「③静浦ホテル

国道414号沿いNO40が静浦ホテル跡拡大してやっとわかります~

<別荘配地図の概要>

NO1若山牧水邸、NO4ホテル安田別館安田財閥梅乃舎、NO6津村順天堂別荘、NO14三輪善兵衛ミツワ石鹸別荘、NO15大賀邸、NO21西園寺侯爵別荘予定地、NO23大山巌元帥陸軍大臣別荘、NO24三島館、NO29井上馨外相別荘、NO30せせらぎ荘山本五十六元帥滞在、NO31川村純義別荘、NO35大木喬任文部別荘、NO38三菱財閥岩崎弥之助別荘、NO40静浦ホテル、NO41静浦保養館 NO42西郷従道侯爵海軍大臣別荘、NO63膳桂之助国務大臣別荘 NO82岡部長景文部大臣、NO84旧三井財閥長浜城址、

Photo_6

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2009年1月17日 (土)

Numazu沼津 明治時代の別荘 「9三輪善兵衛別荘(現沼津倶楽部)」

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Numazu沼津 明治時代の別荘 

「9旧ミツワ石鹸創業者三輪善兵衛別荘(現沼津倶楽部)」

Img_0172_2 旧ミツワ石鹸創業者の故「三輪善兵衛」(1871‐1939)が大正の初めに、避暑・避寒地だった沼津市千本に別荘として建設した。三千坪の広大な敷地に建ち、全部屋から庭園を望める設計。薄板を編み込んだ「網代天井」など、大正ロマン漂う数寄屋建築隅々まで凝った造りである。場所は沼津市千本「若山牧水」記念館前にあります。

現在は「沼津倶楽部」として営業している

Photo三輪善兵衛」1860年(万延元)、三輪善兵衛は大江戸で丸見屋を開店する。ミツワ石鹸が発売されたのが、1910年(明治43)。もともと化粧品店として出発し、一時は新橋資生堂と肩を並べて化粧品業界をリードしていたのだが、ミツワ石鹸が売れて、その後、社名を丸見屋からミツワ石鹸本舗丸見屋商会、戦後は(株)丸見屋から(株)ミツワ石鹸へと変更している。当時、多くの小説家や画家を宣伝Img_0173 部に入社させて、本格的な広告制作を行っている。そして、世界中から文学や広告、画集など10万冊にものぼる本を“資料”として集め、「ミツワ文庫」と名づけていた(関東大震災で焼失)のちに、ミツワ石鹸の副社長となる衣笠静夫が入社してからは、当時の電通をもしのぐほどの優秀なスタッフを抱えて、広告分野では優れた仕事を残している。1975年(昭和50)に、ミツワ石鹸は倒産して米国P&Gの傘下へ入る。

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2009年1月15日 (木)

Numazu沼津 明治時代の別荘「7膳桂之助別荘(国務大臣)8黒田長成(貴族院副議長)」

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Numadu 明治時代の別荘

「7 膳桂之助別荘(国務大臣)」 

沼津市江の浦の海を見下ろす山手に有ったと言う。

膳桂之助ぜん けいのすけ」(1887年7月21日 - 1951年11月25日)財界人・政治家は、群馬県伊勢崎市出身。1914(T3)東大独法科卒。農商務省に入る。'34(S9)に日本団体生命保険を創立し、専務を経て'42社長。戦後は'46に貴族院議員に勅選され第1次吉田内閣で国務大臣を務めた。日本国憲法の制定にあたって国務大臣として参与し、連署している。従三位勲三等瑞宝章。

「8 侯爵黒田長成ながしげ別荘(貴族院副議長)」

沼津市旧静浦ホテル北岩崎弥之介別荘のすぐ北西側に有ったらしい。

Photo黒田長成ながしげ」(慶応3年1867年5月5日~昭和14年1939年8月14日)福岡生まれ。政治家。旧福岡藩主黒田長知の長男。明治11年(1878)家督を相続、17年(1884)侯爵、英国ケンブリッジ大学留学。帰国後22年(1889)式部官となるが翌年に辞す。25年(1892)貴族院議員、27年(1894)から長く貴族院副議長を務める。大正13年(1924)枢密顧問官。

2009年1月13日 (火)

Numazu沼津 明治時代の別荘 「6男爵岩崎弥之介別荘(三菱財閥)」

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Numazu沼津 明治時代の別荘 

「6男爵岩崎弥之介別荘」 今は無い「静浦ホテル」の北側付近にあった。

三菱財閥第2代の統率者、三菱の創業者岩崎弥太郎の弟。1851年2月8日(旧暦では嘉永4年1月8日)、土佐国安芸郡井ノ口村(高知県安芸市)に生まれる。藩校致道館や大坂の成達書院で漢学を学んだ後、明治5年米国に留学する。兄弥太郎の片腕となって九十九商会以来の草創期三菱の事業に尽力した。1885年(明治18)弥太郎の死後、海運業を分離した後の三菱社の社長となり、事業多角化に努め、1893年財閥本社(三菱社)、銀行、鉱山、炭礦、造船などを一体とした三菱合資会社を発足させた。その際、社長を弥太郎の長男久弥へ譲り後見役に退いた。また、明治23年には貴族院議員に勅選され、1896(明治29)年、日本銀行第4代総裁に就任。なお同年には久弥とともに男爵を授けられた。妻早苗は後藤象二郎の娘、長男小弥太は第4代の三菱財閥統率者になる。1928(明治41)年、病気のため58歳で逝去。

2009年1月 9日 (金)

Munazu沼津 明治時代の別荘 「5侯爵井上馨外務大臣」

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Munazu沼津 明治時代の別荘 

「5 侯爵井上馨外務大臣

井上馨外務大臣別荘予定地は現在の御用邸記念公園内北際あたりに有ったという。

Photo_2侯爵井上馨」長州藩士、政治家、実業家。天保6年11月28日周防国湯田村で長州藩士・井上五郎三郎光享の次男として生まれる。父は萩藩の郷士。岩屋玄蔵や江川太郎左衛門に師事し蘭学を学ぶ。高杉晋作らとともに、尊王攘夷運動で活躍。坂本竜馬の仲介で薩摩藩と同盟し第2次長州征伐で幕府軍に勝利した。維新後は参与、大蔵大輔、参議兼工部卿、外務卿などを歴任。明治9年(1876)特命副全権大使として日朝修好条規の締結に関わる。三井をはじめ、実業界とも深いつながりを持ち、鉄道事業などにも関与した。明治18年(1885)第1次伊藤内閣の「外相」に就任。鹿鳴館に象徴される欧化政策を展開し、不平等条約の改正に奔走。黒田内閣農商務相、第2次伊藤内閣内相、第3次伊藤内閣蔵相等を歴任し、引退後も元老として重きをなした。大正4年9月1日静岡県静岡市興津の別荘・長者荘にて死去。

<井上馨外務大臣別荘予定地だった所>

2009年1月 7日 (水)

Munazu沼津 明治時代の別荘 「4大木喬任たかとう文部大臣」

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Munazu沼津 明治時代の別荘 

「4 大木喬任たかとう文部大臣

沼津静浦海岸沿いの「駿海荘」現在の宿泊施設「はまゆう」の場所に別荘が有った。 

Photo大木喬任たかとう」天保3年3月23日~明治32年9月26日 (1832~1899)佐賀生まれ。政治家。父は佐賀藩士。藩校弘道館に学び、勤王派として藩政改革を推進。新政府に出仕し、徴士、参与、軍務官判事、東京府知事などをつとめる。東京奠都にも尽力。明治4年(1871)文部卿となり、学制を制定。6年(1873)参議兼司法卿。萩の乱、神風連の乱で、反乱士族の処分にあたる。13年(1880)元老院議長。また民法編纂総裁として法典編纂に関わる。17年(1884)伯爵。21年(1888)から枢密顧問官を兼任し、翌年枢密院議長となる。第1次山県内閣の司法相、第1次松方内閣文相を歴任。「明治六大教育家」の一人「①森有礼ありのり薩摩藩士、政治家。初代の文部大臣。子爵。通称は助五郎、金之丞」「②福澤諭吉、中津藩士、著述家、啓蒙思想家、新聞時事新報の創刊・発行者、教育者、東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長、慶應義塾創設者」「③大木喬任」「④新島襄キリスト教の布教家で、同志社大学の前身となる同志社英学校の創立者である」「⑤中村正直同人社創立者。また福澤諭吉、森有礼、西周らと明六社を結成。幼名を訓太郎。通称を敬輔。号は敬宇」「⑥近藤 真琴、明治の教育家、思想家、攻玉社創立者。日本海軍軍人及び軍属、最終階級は海軍中佐。幼名は鉚之助。江戸生まれ」

<大木喬任文部大臣別荘の有った場所>

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