カテゴリー「【東海道ぶらり歩き】」の26件の記事

2010年4月16日 (金)

静岡市吐月峰「柴屋寺さいおくじ」臨済宗妙心寺派

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柴屋寺」は街道時代の静けさが残る鞠子宿(静岡市丸子)にあります。島田の出身で今川義忠に仕えた中世の連歌師・宗長が京の銀閣寺を模して造ったといわれています。

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本堂から眺める庭園はまさしく京都にいるが如く感じます。

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庵の南側窓越しに富士山をイメージする丸子富士、西北には天柱山をたずさえ、山に囲まれ風情たっぷりです。

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北斗七星を形どって配置された七曜石の小池に映し出された月をめでて連歌したと云われます(庭園内にある月見石と北斗七星をイメージした池)ここから眺める月は絶景のひとこと。庭園は文化財指定。

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庭園の竹が風でざわめき笹の葉をすり合わせ、月を吐き出したとの所以から「吐月峰」と名づけられましたが、今なお伝承されている侘び寂のたたづまい、私達も十分に感じられました。

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家康お手植えと云われる牧の木とお茶室

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茶室から竹林を望む、その左手にある枯山水

庭園をめでながら頂くお抹茶と吐月峰の名で知られるとろろ饅頭はいかがでしょう?

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2008年9月21日 (日)

【ぶらり近くの東海道】富士市2

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ぶらり近くの東海道【富士市吉原宿2

Photo_2 和田川に架かる平家越えの橋(かって、この付近で源平の軍勢が対峙している時、平家の軍勢が水鳥の羽音に驚いて、源氏が攻めて来たと勘違いして敗走したと伝えられる場所)を渡ると、いよいよ吉原宿(吉原一丁目)に入ります。元吉原、中吉原と比較し、新吉原ともいう。ここが江戸時代の後期の吉原宿のあったところになります。街の真中を横切っているPhoto_3 のは富士急・岳南鉄道、この鉄道は「吉原」と「岳南江尾」を結んでいる単線の鉄道です。この道の左手方向に「吉原本町」の駅があり駅の裏手には「身代わり地蔵」があります。

岳南鉄道の踏切を渡ったこの辺がかつての吉原宿の中心で、本陣2、脇Photo_4 本陣3、旅籠60軒もがあったという。かつての宿場は賑やかな商店街となっています。旧東海道はこの先のバスターミナル「吉原中央」の手前を左に曲がる。商店街を過ぎると「木之本神社」があります。吉原の他の神社4社と合同で毎年初夏に開かれる「吉原祇園祭」は、江戸時代より25Photo_5 0年にわたり続いていて街の人には「おてんのうさん」として親しまれている祭りだそうです。山車の引き回し、宮太鼓の競演、各神社の神輿のあらっぽい担ぎ出し(俗にけんか神輿)は見応えのあるものみたいですね。
小潤井川に架かる四軒橋、標識には「吉原宿西木戸跡」と書かれています。吉原宿でおそらく唯一つの標識ではないかと思う。

Photo_6間の宿本市場」富士市本市場に入ると、県の総合庁舎の前に「旧東海道間宿本市場」の石碑と説明標識あります。吉原宿と次の蒲原宿の中間の休憩所で多くの茶屋が立ち並んでいたところとのことです。この茶屋の名物は白酒、葱雑炊、肥後ずいきであったといいます。また広重の絵では白酒売りの茶屋で憩う旅人が、富士を背景に描かれている所でもあります。

Photo_7鶴芝の碑」鶴芝の碑は、文政三年(1820年)、間の宿本市場の鶴の茶屋に建てられたもので、当時、ここから富士を眺めると、中腹に一羽の鶴が舞って居るように見えたので、京都の画家蘆州(ろしゅう)が鶴を書き、これに江戸の学者亀田鵬斉(ほうさい)が詩を添え、石碑としたということです。説明板によると、富士市に残された数少ない貴重な江戸時代の文化財とのことです。

Photo_8本市場一里塚」冨士税務署の手前の堀の側に本市場一里塚碑があります。江戸日本橋より35番目の一里塚に成ります。平垣町公会堂の横に「本市場札の辻跡」があります。この辺は岩本山実相寺(じっそうじ)の東端であった。久安元年(1145年)、鳥羽法皇勅願の天台宗の寺(現在は日蓮宗)で、境内は一里四方もあった。西に比叡山、東に実相寺とまで言われた名刹で、四九院、五百の僧坊があり、常に五百人以上の学僧がここで修行していたとのことです。

Photo_9富士川渡船場跡」水神の杜の一画に冨士川渡船場の跡碑があります。富士川は元々暴れ川で多くの災害を齎したらしい。江戸時代は当時の岩本村と岩淵村の間を船で渡ったようです。用いられた船は、定渡船、高瀬船、助役船などがありました。通常の定渡船は、客を30人と牛馬4匹を乗せ、船頭5人で川を渡ったようです。渡船の業務は、岩淵村で担当していたが、交通量の増加に伴い、その3分の1を岩本村でも担うようになったといいます。

 

2008年9月 1日 (月)

【ぶらり近くの東海道】富士市Ⅰ

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【ぶらり近くの東海道】富士市Ⅰ

Yosiwara吉原宿(よしわらじゅく)」は、東海道五十三次のうち、日本橋から数えて14番目にある宿場。現在の静岡県富士市に位置する。吉原宿は当初現在のJR吉原駅付近にあった(元吉原)が、1639年(寛永16年)の津波により壊滅的な被害を受けたことから、再発を防ぐため内陸部の現在の富士市Pht5511l 依田原付近に移転した(中吉原)。しかし1680年(延宝8年)8月6日の津波により再度壊滅的な被害を受け、更に内陸部の現在の「吉原本町」に移転した。このため「原宿 - 吉原宿」間で海沿いを通っていた東海道は吉原宿の手前で海から離れ、北側の内陸部に大きく湾曲する事になり、それまで(江戸から京に向かった場合)右手に見えていた富士山が左手に006見え ることから、"左富士"と呼ばれる景勝地となった。往時は広重の絵にあるような松並木であったが、現在は1本の松の木が残るのみである。(ウィキペディア) 「吉原宿」は、天保十四年の人口が、二千八百三十二人、家数六百五十三軒で、本陣が二軒、脇本陣が三軒、旅籠が六十軒もあったのはこの先、冨士川の舟渡りとさった峠を越える手前の宿場だっPhoto_2たからだろ う。 今から四十年ほど前までは、江戸時代の面影を色濃く残した町並みだったそうで、個性的木造建築が軒を連ねていたという。吉原宿と蒲原宿の間宿として本市場(石碑)があり、東の柏原と共に、茶屋が賑わっていた。本市場の名物は白酒、葱雑炊、肥後ずいきなどだったことが書かれている。

2008年4月12日 (土)

【ぶらり近くの東海道】三島編Ⅶ

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Photo_29 113【本覚寺】日蓮宗。国分寺から東に戻り線路を越したら左折し、すぐの二又の突き当たりにあります。桜が満開で美しいですよ、と教えられ行ってみました。枝下桜は有名です。場所 三島市泉町6-58

114【善教寺】浄土真宗本願寺派。旧東海道に戻ります。西へ暫く行くとPhoto_33 セブンイレブン加屋町店の前に看板がありその奥にあります。白道幼稚園が寺の境内にありボーイスカウト、ガールスカウトの地域本部にもなっています。

115【林光寺】浄土宗。旧東海道を進んでいくと現在の最新耐震性を織りImg_1920 込んだ、新築中の本堂の屋根がが見えてきます。当寺は信玄の子信景が故信上人となり天正2年(1574)に住んだ小さな庵が起こりで武田家衰退後の天正5年家臣と共に本堂を建てました。とうかい88ヶ所観音霊場。場所 三島市加屋町1-42

Photo_34 116【秋葉神社】少し西に行った境川橋手前の所にあります。貞享2年(1685)の大火事をはじめ慶安元年(1648)から宝暦2年(1752)まで8度の火災があり宿の有志により宝暦3年に創建された。狭い境内には樹齢250年のムクノキがあります。

116にて、「ぶらり近くの東海道」は終了です。

2008年4月10日 (木)

【ぶらり近くの東海道】三島編Ⅵ

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108【常林寺】曹洞宗。源平川のひとつ前を左折すると正面にあります。天正元年(1573)麒庵東麟大和尚により開山。本尊は聖観世音菩薩。本堂は昭和5年北伊豆地震の直後に再建されました。山門と共に貴重な建築物です。下田街道から修善寺を経由し沼津静浦から駿河国清水にいたる横道巡礼道の駿豆両国横道33観音霊場の第一番札所。

109【源平川橋少し行くと「源兵衛橋」で源兵衛川を渡る。川の源流は楽寿園小浜池で昭和30年代以降は地下水汲み上げの増加で湧き水が少なくなり川も一時はゴミの川と化していたが平成2年から国の政策で行なわれた源兵衛川水環境整備事業で水のない時は東レ三島工場の協力で工場冷却水が供給されるようになり平成4年までに下流の温水池まで1.5kmの親水公園(一部遊歩道付き)が整備された。

110【三石神社源兵衛橋を渡ってすぐ左折したところにある。祭神は豊受姫大神。源兵衛川の川辺に三ッ石と称する巨石がありその上に稲荷社を祀ったのが起こり。天明年間(1781-1789)の火事をきっかけに火防稲荷となったが文久年間(1861-1864)に再び焼失、慶応元年(1865)京都伏見稲荷より分霊を受け再興され平成3年に少し南の現在地に移転した。神社前には明け六つ、暮れ六つの宿場の時報と火災信号用に作られた時の鐘がある。寛永年間(1624-1644)に最初に作られ宝暦11(1761)川原ヶ谷の鋳物師沼上忠左衛門祐重により大きな鐘になり神社境内に置かれ三島八景の一つにも数えられた。戦時に供出したが昭和25年に復元し鐘楼もコンクリート製になり鐘楼の足が半分源兵衛川に入った形になった。

111【蓮馨寺】(れんけいじ)浄土宗。桜家の斜め前に入口がある。正応2(1289)星誉上人の創建で寺の裏に大きな蓮沼池があり蓮の香りのする寺という意味で名付けられたが池は現存しない。本尊は阿弥陀如来。山門を入ってすぐ右に安永7(1778)の芭蕉老翁の墓(正確には供養碑)がある。芭蕉は東海道往還の際必ずここに泊まり住職も弟子だったことから建てられ側面に「いざともに ほむぎくらわん くさまくら」の句が刻まれている。芭蕉の墓の近くには水子地蔵尊や嘉永5(1852)馬頭観音もある。聖徳太子の作と伝えられる日限地蔵尊は秘仏。本堂右には木造聖徳太子像(十六歳孝養像)を祀る大正11(1922)建立の聖徳太子堂がある。伊豆四国88ヶ所霊場19番札所。伊豆中道観音3番札所、中伊豆観音2番札所。

112【伊豆国分寺】日蓮宗。伊豆箱根鉄道の踏切を渡り右折していくと正面。国分寺は奈良時代に国ごとに建てられた国立寺院、僧寺と尼寺の二寺制をとっており天平13年頃から徐々に作られたといわれる。伊豆の国分寺は和泉町、広小路北方の一帯に建てられたと推定されるが現在国分寺の本堂裏にある塔祉だけが残っており国史跡として指定されている。塔祉は高さ60cmの土壇の上にあるが南半分は失われている。8個の礎石が2列に置かれているが、西側の2個は移動したものという。残された礎石から塔は七重の塔で高さは60mに及ぶものであった事が推定される。昭和31年の調査で寺域は東80間、南北100間の長方形で建物配置も東大寺式伽藍配置であった事がわかっています。武田信玄の小田原侵攻で失われていた国分寺跡に慶長5(1600)三島代官の井出志摩守正次が蓮行寺を建立し昭和30年に改名した。

常林寺      源平橋     三石神社

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連繋寺      伊豆国分寺 Photo_18 Photo_17

2008年4月 9日 (水)

【ぶらり近くの東海道】三島編Ⅴ

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【ぶらり近くの東海道】三島編Ⅴ

105【楽寿園/郷土資料館

Photo_35 楽寿園は三島市が管理運営しています。湧水と周囲の自然林からなる庭園に対して昭和29年国の天然記念物及び名勝に指定された。園内には、約1万4千年前の富士山の噴火の際流れ出た溶岩(三島溶岩流)の上に実生した樹木のほか小松宮彰仁親王の別邸造営時に植えられた樹木と合わせ160種以上の樹木が生育しており、季節に応じた野鳥が30種類以上観察することができます。園内にある【郷土資料館】は市制30年記念行事として昭和46年市民の寄付金をもとに建設され開館。建物は奈良正倉院の校倉造を取り入れた鉄筋3階建てで展示室・収蔵室・会議室などがある。初音ヶ原遺跡や江戸時代以後の民俗資料(奈良時代頃から作られた三島暦、郷土の人形作家・野口三四郎の三四呂人形)など石器時代から江戸時代までの資料などが常設展示されているほか年数回企画展が開催されます。竪穴住居の模型、弥生時代復元住居、江戸時代の旅籠・農家・商家も一部復元Img_1324 され展示されています。今回「郷土資料館」訪問時、朝鮮通信使の展示を行っていました。江戸時代、朝鮮半島から【朝鮮通信使】 が十二回日本を訪れました。三島では世古本陣に宿泊した記録や、荷物を搬送するため馬小屋を造営した記録などが残り、「白隠禅師」、「秋山富南」が交流を持ったことが判明しています。この他、三島の高僧に「金襴の袈裟」(僧のPhoto_36 着る法衣)と「数珠」が贈られています。三島駅から南へ下る道沿いにある「長円寺」(芝本町)に残されているものです。「長円寺」(浄土宗)は16世紀初め、「増譽上人」の開山の古刹です。「増譽上人」は沼津の海岸に松の木を植え続け、現在の千本浜を作り上げた人物です。江戸時代初めの住職「正譽上人」もまた大きな業績を残し「中興号」を授けられています。昨年は日韓善隣友好の「象徴朝鮮通信使400周年」だそうです。「秀吉の朝鮮侵略」により関係が悪化していた日韓両国の関係を修復しようと家康の希望で交流が実現しその往来を通じた文化の交流は両国間の平和の礎になりました。朝鮮通信史の“通信”の言葉には“真心や信頼を通わせる”という願いが込められているそうです。東海道を住還したため静岡県にも通信使に関する文化資源が各宿場町に残っています。

Photo_37 106【樋口本陣跡

本町交差点を渡った先の茶舗・山田園の前に説明板がある。三島宿の本陣を務めた樋口伝左衛門家の跡で現在市内の別の場所に住んでいる樋口家は古文書や織部灯籠(キリシタン灯籠)を所蔵し市の文化財に指定されている。郷土資料館にも文書が寄贈され文化15(1818)の料理献立が再現され展示されている。本陣の門は明治10(1878)全焼し再建した圓明寺[日蓮宗](芝本町1-7)の山門として移設されている。明治天皇も使用した茶室「不二亭」は昭和22年取り壊しが決まったが昭和26年三嶋大社の境内に移築され平成元年に庭園も整備された        
Photo_38 107【世古本陣跡
樋口本陣跡の向かいでパン屋さんの前に碑がある。世古六太夫家の跡で慶長4(1599)にはこの家で当時58歳の家康が当時20歳のおきく(後の阿万の方)と出会った。寛永14(1637)には朝鮮通信使が、宝永7(1710)には琉球国使節も宿泊した。本陣の門は長円寺[浄土宗](芝本町7-7)の山門として移設され寺の境内には世古家の墓もある。宅内にあった神社は明治4(1871)芝町の氏神として祀ることとなり現在は楽寿園隣の浅間神社(芝本町6-3)の境内社・芝岡神社となっている。三島宿の脇本陣は明和9(1772)の記録では藤屋治郎左衛門とあるがのちに大中島の綿屋伊兵衛が交替し天明年間(1781-88)に小中島の銭屋伊三郎、大和屋善蔵が加わり幕末には3軒あった。    

2008年4月 8日 (火)

【ぶらり近くの東海道】三島編Ⅳ

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Misimataisya 101【三島大社創建の時は不明であるが、古くより三島の地に御鎮座し、奈良・平安時代の古書にも記録が残ります。三嶋神は東海随一の神格と考えられ、平安時代中期「延喜の制」では、名神大に列格されました。社名・神名の「三嶋」は、地名ともなりました。頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の崇敬篤く、又、東海道に面し、伊豆地方の玄関口として下田Img_0760_2 街道の起点に位置し、伊豆国 一宮として三嶋大明神の称は広く天下に広まっていきました。頼朝の妻、北条政子の奉納と伝えられる 国宝「梅蒔絵手箱 及び 内容品 一具」は、当時の最高技術を結集させたものとして知られています。平成12年には、御本殿が重要文化財に指定され、当社の文化的価値の高さも再認識されています。

Photo_21 102【鎌倉古道三嶋大社西側の鳥居を出ると変則五差路があります。西に向かう左の狭い道路(桜小路)が鎌倉古道です。位置は旧東海道の1本北側の道路です。広小路間の北側にあり鎌倉時代以前の道で通称「鎌倉古道」といわれています。三嶋大社から歩いて数分で(画像正面が三嶋大社)御殿川に掛かる赤橋に着きます。右に曲がると御殿川沿に白滝公園方向、古道を直進すると飲食街を通り源平川(広瀬橋)~伊豆箱根鉄道を渡り伊豆国分寺方向です。

Photo_22 103【長園寺】鎌倉古道から41号を渡り右に進み暫く行くと道路左にあります。長円寺(浄土宗)は16世紀初め、増譽上人の開山の古刹です。増譽上人は沼津の海岸に松の木を植え続け、現在の千本浜を作り上げた人物です。江戸時代初めの住職正譽上人もまた大きな業績を残し「中興号」を授けられています。寺の伝承によると『かつて朝鮮国王が来日し、世古本陣に宿泊した夜、ある方角に高僧がいるとの夢のお告げを受けた。国王が世古氏に尋ねるとその方角には高僧の誉れ高い正譽上人がおり長円寺の住職であるとの返事。そこで朝鮮国王は帰国ののち、数珠と袈裟を長円寺に贈った』という内容です。この山門は、江戸時代に諸大名が三島宿に宿泊する際に、泊まるよう指定されていた宿である旧世古本陣の表門が「長園寺」に移築されてきたものと伝えられています。(樋口本陣の門は円明寺に移築されている)

Photo_23 104【二宮八幡神社】三島駅から南に300M。楽寿園の東隣に鎮座。もともとは「伊豆三の宮」であったというが、「二宮八幡(若宮八幡)」が三嶋境内に移されてから二の宮に昇格したともいわれている。三嶋大社に次ぐ名社として、かつては富士山登山をするものは必ず当社を詣でていたという。

2008年4月 7日 (月)

【ぶらり近くの東海道】三島編Ⅲ

【ぶらり近くの東海道】三島編Ⅲ

Img_1298 92【新町橋】大場川を渡ると「新町橋」江戸時代には長さ19間(35m)幅3間(5,5m)で欄干のある板橋がかけられていた。(1737~1778は土橋)橋を渡ったところには江戸見附がありここからが三島宿だった。小浜山刑場で斬られた罪人の首を晒した場所でもあり今でも橋を渡り左折したところに引取り手のない無縁仏を土地の人が弔ったと伝わる「無縁法界地蔵尊」がある。

93【三島宿】古代には伊豆の国府が置かれていた。鎌倉時代以降は三嶋大社が幕府や武家の手厚い保護を受け門前町として栄えた。江戸時代は箱根越えの前後で泊まる宿場となり、山祝いをし遊ぶ旅人でさらに賑わった。三島大社正面からは伊豆への下田街道、西側からは北上し中仙道に通ずる佐野街道があり交通の要所でもあった。東海道分間延絵図からも大場川を渡ると人家も多くなり三島宿の東入口である事がわかる。

Photo 94【守綱八幡神社】新町橋を渡り暫く行くと右側にあります。創建は不明ですが寛永年間頃とされます。祭神は守綱大神、境内には秋葉さん常夜燈などがある。

95【妙行寺】日蓮宗。守綱神社の向かいに大きな題目搭があり正面に寺Photo_2 があります。山門は楽寿園の表門を昭和24年(1949)に移築したもの。墓地には幕末に寺の近くの長屋で塾を開き多くのを送り出した漢学者福井雪水の墓があります。門前と本堂前にある獅子像は自民党第二代総裁で総理大臣を務めた石橋湛山の縁で中国から贈られた物だそうです。戦時に供出し鐘の無いままの鐘楼も境内左にあります。

Photo_4 96【光安寺】時宗。元は真言宗で川原ヶ谷にありましたが延慶元年(1308)高弟真教上人に帰依し改宗した。南朝の後村上天皇の皇子が立ち寄ったともいわれる。本尊の地蔵菩薩像と秩父青石は市指定文化財である。駿河一国百地蔵尊100番札所。場所三島市日の出町2-29

Photo_3 97【三島暦師の館】三島大社の東にあります。昔はこの辺りは大社の神領域で社家の村があった場所です。ここより100m東の川を神川と呼んでいました。現在は大場川となっていますが、地元の人は今でも神川と呼んでいます。三島暦を作っていた河合家の元の建物は安政(1854)の大地震で倒壊してしまいました。韮山の代官江川太郎左衛門の計らいで建て直しされました。玄関は武家風で立派な式台が付いています。また奥の座敷は一段高くなった上段の間になっていて格式の高さをしのばせています。楽寿園にある郷土資料館にも三島暦は展示されています。

Photo_5 98【薬師院】高野山真言宗。創建は不明、三嶋大社の別当寺であった愛染院の末寺で弘法大師も泊まったいわれがある。本堂左には大師坐像と腰掛石がある。本尊は薬師如来 場所三島市大社町11-15

99【成真寺】真宗大谷派。薬師院のむかえにあります。北条時政の家臣Photo_6 平成真が安貞元年(1227)に建てたのが起こりで当初は真言宗だったが成真が親鸞と出会い改宗したという。現在は阿弥陀如来立像が本尊。

100【本妙寺】日蓮宗。デニーズ手前を左折すると正面にあります。文安5年日秦が京都妙満寺の菩提の為に開いた寺という。

2008年4月 6日 (日)

【ぶらり近くの東海道】三島編Ⅱ

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【ぶらり近くの東海道】三島編Ⅱ

85【石仏/石塔】松並木を下り、先の交差点を上り車線側にわたりすぐ左が旧道の石畳歩道になり愛宕坂に入ります。少し先の右側に馬頭観音などの「石碑、石仏」が集められています。手前右の墓碑は備前国出身の雲助親方の重吉の物、大名の人足頭を怒らせて斬られたそうです。

Photo_2 86【愛宕坂】この旧街道は急な坂道で人も馬も滑って大変な所でした。幕府は1680年に竹を敷いてあったものから、石を敷き詰めて「石畳の道」に改修したものです。その石畳を1769年に修理した記録によると「愛宕坂では、長さ140m幅3,6mを修理したとあり当時の道幅がわかります。江戸時代の石の上に現在の石畳やアスファルトが敷かれています。左の土手頂上には愛宕山と書かれた安永7年(1778)の大きな石碑が有ります。

Photo_3 87【川原ヶ谷】石畳が終わると分岐があるがそのまま左に下がっていくと踏み切り手前右に箱根旧街道入口の看板があります。東海道線踏切を渡ると今井坂、元は石畳の道でしたが戦後その上にコンクリート舗装をしたようです。明治時代には坂下に郵便馬車の停車場があり東西から来た郵便物がここで積み替えられたそうです。

Photo_4 88【庚申堂】山田川にかかる愛宕橋を渡る、江戸時代には今井坂下橋という橋で下。暫く行くと左から来た県道22号と合流します。合流地点左手に江戸時代高札場があった所で小さなお堂が有ります。林光庵という寺の跡で近くの山から出土したといわれる木造の庚申像が祀られています。

89【荻野山中藩陣屋跡】新町橋手前の右にある。小田原藩の支藩である荻野山中藩がこのあたりの川原ヶ谷一帯を飛び地として知行していた頃の陣屋で徴税、検察、などの藩政を行っていました。川原ヶ谷はもとは幕府領で宝永5年(1708)から荻野山中藩の支配下に入ったが宝暦9年(1759)幕領に戻り安永年間から再び荻野山中藩に戻り幕末を迎えた。

Photo_5 90【鞍掛石】陣屋跡の斜めまえのちいさな道路入口に左右一対の石があります。「鞍掛石」と呼ばれている石で神社に参拝する人が鞍を置いた、とか乗馬の際に踏み台にしたと伝えられています。

91【宝鏡院】鞍掛石の南側に見える寺です。宝鏡院は足利2代将軍義詮の開基で鎌倉建長寺大覚禅師の弟子普覚禅師が開山。義詮と韮山の足利政知の分骨が葬られたと言われ本道裏手に墓所がある。境内には頼朝が参拝の折、笠を置いたといわれる「笠置き石」もあり三島七石の一つPhoto_6 でもある。

2008年4月 5日 (土)

【ぶらり近くの東海道】三島編Ⅰ

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ぶらり近くの東海道】三島編Ⅰ

三島のスタートは何処からにしようか以前から考えてたんですが初音ヶ原からに決めました。箱根路は別の機会にとっておくことにします。沼津と原を「ぶらり近くの~」はじめてから半月、郷土の歴史に興味も一層深くなってきました。但し頭の中は大混乱なんです。比較的データが多い近くの東海道の事を選んではみたものの、文章を考える前に計画を練ったり、溜まっている写真の整理とかもしなければ~何処を選ぶかは本を読んだり、市の文化財の方に会ったり、ネットで捜したり、知人に聞いたり~このところ午前様で大変です(苦笑い)でもカメラ片手出かけると何故か多くの人が声を掛けてくれます。日常の話やお年よりの方は色々昔の話を聞かせてくれます。小さなデジカメでは声も掛かりませんがチョト大きい一眼レフだとカメラマンの雰囲気が出るのでしょうかね~照れ笑い~こんな楽しみや訪れたところの新発見は結構新鮮な刺激になります。最近はお地蔵さんを10cmくらい近くに寄って見るようになりました。石に刻まれた文字、これだけでも興味深いですね。さあ三島に出かけま~す。

82【初音ヶ原松並木

Photo_8 箱根の松並木も国道の拡張でこの辺りが三島で唯一の松並木ですね。今迄は車で通過するばかりでしたが、じっくり松を眺めて見るのは初めてです。箱根旧街道は徳川家康によって慶長九年(1604)に整備され道の両側に松や杉の並木が植えられたんですね。又街道一里ごとに塚が作られたのもこの時代です。この初音ヶ原付近では現在の国道1号線上り線に旧東海道はあったといいます。松並木の北側には初音ヶ原石畳遊歩道が整備されています。ここからは下りだし松並木と景色や桜を眺め旧東海道を味わえますね。ちなみに初音ヶ原とは頼朝がここを通過した時鶯の初音を聞いた伝説にちなんで名づけられた地名だそうです。国道の近くには遺跡もあったり静岡県街並み50選にも成っているようです。

83【錦田1里塚

Photo_9 松並木を少し下ると国道左右の囲いの中に【錦田1里塚】があります。明治22年に谷田村と川原ヶ谷村が合併し出来たのが錦田村とのことで、北の1里塚は初音ヶ原1里塚とも呼ばれる。左右とも榎が植えられています東海道に4つしかない国指定史跡の1里塚で貴重ですね。4つの1里塚の中で一番早く指定された(大正11年)参考までに他は愛知の太平1里塚、阿野1里塚、三重の野村1里塚、だそうです。ここからは北には雄大な富士山が眺められ、街道を進む方向には三島・沼津・駿河湾が一望できる絶景の場所です。

84【田福寺

Photo_10 時宗 松並木を暫く下ると左に寺の屋根が見えてきます。街道を左折すると左にあります。冠木門(かぶきもん)といわれる二本の柱の上部に冠木を貫き渡し、上に屋根をかけた門である。屋根のないものが多いとの事である。鎌倉時代に武家の館に用いられ、室町時代以降は将軍御所や諸大名の邸の外門に多くみられる。江戸時代の大名表門に良く使われ各宗の寺でも用いたが、今日では時宗総本山遊行寺の門が有名である。この門は時宗Photo で七ヶ寺目のもので昭和59年3月の建設である。

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「美味い店」

  • 「CAFE LEONカフェレオン」函南
    沼津近郊には美味しい店がいっぱいあります

「美味イタリアン」

  • Osteria「Casa di ranaカーサ・ディ・ラナ 」清水町
    沼津近郊ピッザやパスタが美味しいイタリアンの店

「美味い寿司店」

  • 「海鮮丼専門店 伊助」沼津港
    沼津に来たら美味いお寿司をどうぞ

「素敵なカフェ」

  • 「CAFE LEONカフェレオン」函南
    チョット一息美味しいコーヒーでも如何ですか

「和食」

  • 「ごはんや 里庵りあん」函南
    蕎麦・うどん・鰻・天麩羅・カツ、和食が美味しい店

沼津近郊の寺

  • 伊豆市「實成寺じつじょうじ」日蓮宗
    沼津近郊の【寺】を紹介しています

神社・史跡

  • 沼津 旧県社「丸子神社」
    沼津近郊の神社・史跡の紹介

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