カテゴリー「【史跡・記念碑】めぐり」の6件の記事

2024年9月 7日 (土)

「廣大寺・明野観音堂」沼津

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大泉寺の近くの「廣大寺&明野観音堂」

 

「赤野山廣大寺」は、真言宗古義派に属し、

高野山金剛峯寺の末寺である。

寺伝によると、開創年代については不詳であるが、

阿闍梨胎情(あじゃりたいじょう)が寺を開いたという。

 

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天文15年(1546年)に13世の法印良宥が中興した。(沼津市HP)

場所  明野山廣大寺 沼津市柳沢702  

 

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「明野観音堂」

江戸前期の建築様式を示す建物で

市指定有形文化財。

木造茅葺き寄棟造の平屋建てで、外陣は唐様式の鏡天井で、

天井には龍、正面両側の壁面には飛天(天女)の

舞う姿が描かれ、鏡天井の周囲は化粧屋根裏になっている。

 

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このお堂は、左甚五郎がわら人形に手伝わせて

一夜のうちに造ったという、

わら人形伝説も伝えられています。

お堂の北側に駿河三十三観音の石仏が並びます。

 

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境内の大カヤの垂れ下がった葉が

お堂の存在を依り荘厳にしています。

 

亡くなって1年経ったとKさんの奥さんから

先週連絡を貰った。Kさんとはここにも来た

後輩のKさんだがいい奴だった。

逝去されたMさんKさん思い出します。

 

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境内のカヤの大木(市指定天然記念物)

目通りは3.9メートルで樹齢600年樹勢もさかんである。

以前あった記念物”なぎの大木”は倒壊し今は無い。

 

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お堂の間から見下ろす景観は抜群!  

「駿河三十三観音霊場」の第30番札所

場所 沼津市柳沢712-2 赤野観音堂

 

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「益山寺の石仏」伊豆市

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村田さんの訃報に接し寂しい、気心知れた友人が他界

死別という最も残酷な出来事

心落ち着く古刹や石仏を見て彼を偲ぶ。

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益山寺( ましやまでら)

伊豆市にある高野山真言宗の寺で

弘法大師が創建と言われます。

県指定の天然記念物「大楓」樹齢860年と

市指定「大銀杏」樹齢400年の巨木がある。

 

 

境内の静寂さは何とも言えず落ち着きます。

本堂右奥に延喜式内社伊加麻志神社がある。

 

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参道には百体は有るといわれる”石仏”が見られます。

これだけ多くの石仏は珍しいそうです~

 

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観音石仏は西国三十三ヶ所、秩父、阪東豆駿河両国の

三十三ヶ所観音がそろい、百三十三体あるという。

観音堂前から山田の部落を経て、

大仁橋まで道しるべふうに続いているといいます。

 

場所 伊豆市堀切760

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2024年9月 5日 (木)

「朝散歩で見つけ寛文七年の石碑」

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今朝は昨日より更に爽やか~まさに散歩日和~

6:50に家を出て歩き出したが気分爽快だ!

富士山も久しぶり青空に聳える~

 

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散歩中墓地の入り口に古い石碑が有る。前からに気になっていて今日じっくり見たら「寛文七年・南無妙法蓮華経‥‥・」の文字。寛文(かんぶん)は万治の後、延宝の前。1661年から1673年までの期間を指す。寛文七年は1667年、今から355年前になる。

 

この時代の天皇は後西天皇、霊元天皇。江戸幕府将軍は徳川家綱とある。寛文二年1662年には近江・若狭大地震が連続発生。
沼津の歴史をみると大久保忠佐が三枚橋城の城主になったのが1601年、内膳堀が完成したのが1644年、その時代に近い頃だ!

 

周辺の歴史を遡って見よう(※これより戦国のいくさと沼津より)

天正8年(1580年)、駿河へ兵を進めた武田軍とこれをむかえうった北条軍とが、千本浜の沖で海戦をおこなった。そしてその後、千本付近で両者の地上戦がおこなわれ多数の死傷者が出る激しいものであった。

 

このころ、武田方は、小田原の北条氏にそなえて、三枚橋と呼ばれるようになっていたかっての「車返」の地に三枚橋城を築き、勝頼の家臣高坂源五郎が守ることになった。一方、狩野川をはさんで南側には、わずかの距離のところに北条方の戸倉城(清水町徳倉)や大平新城があった。天正9年(1581年)には、戸倉城の城主笠原新六郎が、北条方を裏切って高坂源五郎に降伏したということもあったようで、両者の間には、常に激しいかけひきや戦いがおこなわれていたのであろう。

 

高坂源五郎を城代とした三枚橋城は、その後松平康親・中村一栄がつぎつぎと城主・城代となり、慶長6年(1601年)、大久保忠佐が城主となった。沼津は、城下町としての性格をもつようになった。

 

 

(※武田対北条 香貫古戦場 2019年10月ブログ)

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「東駿河の戦国要図」

天分14年(1545)~永禄3年(1560)今川支配図

 

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武田氏対北条氏の「香貫古戦場」

”千本沖合戦”は多くの人が知っているが、同じ時期に沼津香貫で両軍の合戦があったことは余り知られていない。三枚橋城(武田氏)と戸倉城(北条氏)は狩野川を挟んで僅か10kmの距離のところにあったから小競り合いは常に絶えなかった。

 

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国道414号の香貫一帯は武田と北条の「古戦場」があった地区と伝えられています。天正8年(1580)9月香貫周辺で行われた「武田勝頼」対「北条氏政」の「合戦の布陣図」(東間門田中家文書)。「武田方の三枚橋城」と「北条の戸倉城」を出た兵は、今の八重坂を越えたあたり、この下香貫の地で戦った。

 

(下香貫、此の辺古戦場と記載されている)昔この地区で建物を建てようと掘削すると人骨が良く見つかった。皆おおっぴらにするのをいやがって内々で処理したと今は亡き老人からよく聞いた。天正8年といえば御館の乱と武田・北条の手切れ直後のことで、すごく生々しいものを感じます。(甲州方が勝利)

この石碑のあった場所はまさに古戦場の真っ只中、

石碑の文字が判読できず残念だが

家の近くの歴史を遠く遡って想像するのもまた楽しい!

 

今朝の散歩は3000歩 時間は石碑あちこち見て1時間の散歩だった。

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2024年9月 3日 (火)

9月3日㈫「朝散歩 古い記念碑」

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雨が止んだので朝散歩に出かけた。朝顔が綺麗!

 

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柑橘の実や葉に未だ雨粒が残る。

 

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富士山は雲の中、通勤の車が行き交う。

 

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上皇陛下が誕生された記念碑を住宅街の中、

自治会館の隅で見つけた。

石碑の裏に昭和9年7月10日建とある。

この通りは滅多に歩く所でないので存在は全く知らなかった。

 

※散歩していると古い石仏や石碑、

縁結びや安産もあるという道祖神、

お地蔵さん、色々見かける。

調べて見るのも面白い!やってみるか!

 

ブログを始めた頃近くの寺巡りにはまり150位の寺を

まわり仏教全般を調べた。歴史にも興味が出た。

その後神社も多く回った。難しい事は別にして

寺や神社に行くと和む!落ち着く!静寂がいい!

これが「和の心」かもしれない。

季節を感じ色々歩いて捜すのもいいかも~

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2011年7月24日 (日)

沼津「真夏の赤野観音堂」

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真夏の炎天下でもここ「赤野観音堂」は古木・大樹に囲まれ涼しいし心休まる所です~Sdsc_0013 【赤野観音堂】は天平9年十一面観音菩薩をご本尊に開山、江戸時代より駿河一国三十番札所及び横道十五番札所で知られる。Sdsc_0004 江戸初期の建築様式で市指定文化財、木造茅葺き寄棟造りの平屋で天井に龍、側面に天女が舞う姿が描かれている。Sdsc_0014 左甚五郎のわら人形伝説、カヤ、ナギの大木(市指定文化財)、白隠禅師が幼い頃修行した八畳石等の言い伝えがある。Sdsc_0003「カヤの大木」は目通り3.9m樹齢600年(市指定天然記念物)樹勢も旺盛で観音堂前の地面まで垂れ下がり、真夏の今は丸い実をたくさんつけています。

Sdsc_0009_2 「ナギの大樹」3.72m樹齢700年(市指定天然記念物)、樹勢もさかんです。昭和34年の伊勢湾台風で主幹が折れてしまいましたが樹姿はかえって良くなったと記されていました。Sdsc_0010 古木・大樹の下にいるとこの暑さも気にならず樹木の力を感じます。なお、この近くの川原には八畳石と呼ばれる大きな石があり、石の上で白隠禅師が修行したという言い伝えや、ほら貝の伝説も伝えられています。Sdsc_0020 観音堂近くを新しい第2東名が走ります。工事もかなり進んでいます。所在地 沼津市柳沢

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2008年2月27日 (水)

沼津と【文楽】

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沼津町にある平作地蔵が文楽と関係が深い事は知っていましたが、「文楽を歩く」という亀岡典子さんの記事を見ました詳しく掲載されていましたので勉強の為載せておきます。

平作地蔵↓  と説明版↓ 場所 沼津市平町    

 

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【文楽を歩く】親子の別れ見守る富士 伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)

ああ、富士山が見えた。
 さっきまで雲に隠れていたはずなのに、空気がきりりと澄んできたと思ったら、まるでわれわれを迎えるかのように、松林の向こうにその雄大な姿をくっきりと現した。
 「素晴らしいですね。沼津まで来たかいがありました」。文楽人形遣いの桐竹勘十郎さん、吉田玉女たまめ)さんはそう言ったきり言葉もなく、ただただ日本一の山をながめ続けた。
 静岡県沼津市の千本松原。冬だというのに海岸沿いに果てしなく続く松林の緑は濃く、空を見上げると、とんびがのんきそうに輪を描いている。白砂青松とはまさにこのこと。
 『伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)』より                    「沼津の段」は文字通り、沼津の街道筋が舞台。幼いころ生き別れになった老父・平作と息子・十兵衛。しかし二十数年ぶりに再会したとき、2人は敵同士の立場に立たされていた。平作は命をかけてある決意をする。

 

Photo 〈親子一世の逢い初めの、逢い納め〉
                                      

事前に沼津出身の友人に聞いてはいたが、まさかこんなにはっきり見えるなんて…。
 『伊賀越道中双六・沼津の段』の主人公、呉服屋十兵衛もきっと、この雄大な富士山をながめながら、足取りも軽く、のどかな街道筋を旅していたのであろう。ところが悲劇はここ、沼津で起こった。
 〈『旦那(だんな)申し、お泊りまで参りましょうかい。…けさから一文も銭の顔を見ませぬ。どうぞお慈悲』〉
 沼津の街道筋を急ぐ十兵衛に声をかけてきたのがよぼよぼの老人足、平作。見ればつぎはぎだらけの衣服。かわいそうに思った十兵衛は荷物を持ってもらうことにするが、平作の足もとはおぼつかない。人のいい十兵衛は銭を払って自分が荷物を持つ-。
人間国宝、竹本住大夫が語る平作の第一声は、その善良な人となりやその日暮らしの生活まで見事に映し出して笑いと涙を誘う。「一方の十兵衛も町人ではありますが、侍のように気骨のある男。すっきりした足取りに二枚目の雰囲気を出さねばなりません」。昨年12月の東京・国立劇場の文楽公演で十兵衛を遣った吉田玉女さんは言う。
 実は平作は十兵衛が幼いころ生き別れた父親。しかし再会したとき、2人は義理がからむ敵同士の立場。平作の娘お米の夫が仇と狙う沢井股五郎を逃してやったのが十兵衛だったのだ。
 娘のために十兵衛から何とかして股五郎の居場所を聞き出そうとする平作は、ついに十兵衛の脇差しで自分の腹を突き、冥途(めいど)の土産に聞かせてくれとすがる。

 〈『股五郎が落ちつく先は九州相良、九州相良。道中筋は参州の吉田で逢うたと人の噂』〉。実の親の命をかけた願いについに股五郎の居場所を教える十兵衛。文楽屈指の名せりふである。

 

 「平作は最期、息子に看取られて死んでゆく。そこに救いがありますねえ」。勘十郎さんはもう一度富士山を仰ぎ見ながらぽつりと語った。

【文楽を歩く】伊賀越道中双六 多くの文人愛した千本松原

 なだらかな弧を描く駿河湾の海岸沿いに、緑の松林が果てしなく続く。松の木が一様に斜めにかしいでいるのは海風のせいだろうか。

 “日本の白砂青松100選”にも選ばれた静岡県沼津市の千本松原は、いかにも日本の懐かしい風景を映し出して郷愁を誘う。

 Photo_2 〈東路に、ここも名高き、沼津の里…〉

 老父・平作と息子・十兵衛の悲しい情愛を描いた『伊賀越道中双六・沼津の段』は東海道五十三次のひとつ、沼津の宿あたりが舞台。しかし物語は行き交う人々でにぎわう宿場町ではなく、のどかな街道筋や老人足(ろうにんそく)・平作のあばら家、そしてこの千本松原で展開していく。

 「平作は貧乏暮らしをしていても、人間としては筋の通った老人です。着てるもん、住んでる所はこれ以上、下がないほどですが、決して卑屈にならないよう遣っています」。昨年12月の東京・国立劇場の文楽公演で平作を遣った桐竹勘十郎さんはきっぱりと語った。

 その平作の最期の地が千本松原。この地を愛した文人は多く、若山牧水や井上靖の碑が建てられている。

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