カテゴリー「近郊の【神社】めぐり」の6件の記事

2019年5月21日 (火)

「熱田神宮」

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先日名古屋周辺まで出かけた折「熱田神宮」に参拝して来ました。

新緑がいっぱいで荘厳な神宮は神宿る場所ですね。

30年程前名古屋に2年ほど住んだことがあります。

丁度次男が七五三の祝いをここ「熱田神宮」で行ったのを今も覚えています。

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私も若かったし蝶ネクタイの次男の服装がこの神宮の森に恰好良かった良き思い出の場所です。

熱田神宮は「熱田さん」の名で古くから崇敬を集める名社です。

創建は景行天皇43年(113年)。静かな参道を拝殿目指して歩くだけで、

身が清められるような清浄な空気に満たされています。拝殿の奥に見える社殿が本殿で、

ここにご祭神である熱田大神が鎮まっています。熱田大神は、

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三種の神器の1つ・草薙神剣を神体とする天照大神とされています。

草薙神剣とは八岐大蛇の尾から出てきた太刀で、正式名称は天叢雲剣といいます。

皇位継承の印である三種の神器のひとつとして日本武尊に授けられました。

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日本武尊が賊によって焼き殺されそうになったとき、神剣が、

草を薙ぎ倒して事なきを得たことから「草薙神剣」と呼ばれるようになりました。

日本武尊はこの草薙神剣を現在の緑区大高町火上山に留め置かれたまま没しました。

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妃の宮簀媛命熱田の地に御鎮座したことが、熱田神宮の創祀であるとされています

以来、伊勢神宮に継ぐ国家鎮護の神宮として崇敬を集めています。

「信長塀」織田信長が桶狭間の戦いの前に熱田神宮にお参りをして大勝したため、
そのお礼として奉納したものだそうです

場所 名古屋市熱田区神宮1丁目1番1号

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2012年3月29日 (木)

熱海市「伊豆山神社」

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Sdsc_0021 古来伊豆大権現、又は走湯大権現、伊豆御宮とも走湯社とも称され、略して伊豆山又は走湯山と呼ばれていたが、明治になって現在の社名に改称された。Sdsc_0006 四季折々の美しい景色を眺めながら境内への長い階段を登ると、社の左右には神木である梛 (ナギ) の木が。災いを浄化する作用があるといわれるこの葉を持つと願い事が必ずかなうという言い伝えがある。Sdsc_0022 役小角や弘法大師など多くの仏教徒や修験者が修行を積んだ霊場で、後白河院皇が御撰した『粱塵秘抄 (リョウジンヒショウ) 』にもそのことが著されていることから、古くから神聖な場所として崇められていたことがわかります。平安時代には源頼朝が源氏の復興を願い、崇拝していたという源頼朝ゆかりの神社である。Sdsc_0033 流人・頼朝は伊豆山権現の住僧覚渕に学び、やがて北条政子と劇的な出会いを果たします。 治承2年の夏、北条政子は親の定めた山木兼隆との縁談を嫌い、婚礼の夜、宴席を抜け出し約七里の道のりを超え、かねて想いを寄せていた伊豆山の頼朝の元へ。 頼朝は政子を逢初橋(あいぞめばし:国道135号)の上で出迎えたと言います。 Sdsc_0018  (上の画像は訪れた二人を必ず結ぶという夫婦神を祀った結明神社)頼朝が鎌倉幕府を開いた後にも、伊豆山神社は源頼朝と政子に崇拝されました。僧兵3800人を有し、絶大な勢力を誇りました。戦国時代は小田原の北条氏により厚く庇護されていましたが豊臣秀吉の小田原征伐で 焼き打ちにあい消失するも徳川の時代に伊豆大権現は再建復興、徳川家康も参拝に訪れています。Sdsc_0003境内には、頼朝と政子が愛を語り合い仲良く座っていたとされる腰掛け石があります。源氏の守護神また縁結びの神として親しまれる伊豆山神社春の例大祭は4月14~16に行われる。神社の石段を約700段降りた広場までの行列、勇壮な御輿のお下りとお上り、神楽神女の舞がなどが行われる。、Sdsc_0024右手の資料館には政子が頼朝のために髪で作った曼荼羅 (マンダラ) が納められています。伊豆山神社の裏山にある白山神社。左手のまっ白な鳥居をくぐり、勾配のある山道を片道20分ほど歩くと静謐な雰囲気の森のなかに突如、大きな岩が連なる場所が。鳥居とご神木、さらにその上には本社があります。
この神社には頼朝を思う政子が手鏡の下に忍ばせ縁が結ばれたナギの葉にちなみ「梛の葉守 (ナギノハモリ) 」という特別なお守りもあります(女性がおナギ、男性がめナギを持つといい)。

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2009年3月29日 (日)

沼津近郊の「歴史ある神社4」

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沼津近郊の「歴史ある神社4

延喜式神名帳作成後に創建された神社

1旧県社「日枝神社」平町7-24

Photo 明治六年(1873)に郷社となり、大正十五年(1926)十一月二十五日県社に列せられた。平安時代からの神社で山王社とも称され、人々には山王さんとして親しまれてきた。
この地域一帯は平安時代の末頃には大岡庄と称され、関白藤原師通の領地であった。嘉保2年(1095)、源義綱が比叡山延暦寺の僧を殺害するといった事件があり、これに端を発し、師通は僧たちの呪詛により山王の祟りを受け、38歳で死亡した。師通の母は近江国の日吉神社の分祀を請い、これに大岡庄のうち八町八反を寄進して祀っPhoto_2 たといわれる。これが現在の日枝神社で、明治に至るまで近郷近在22か村の総鎮守の神としてあがめられ、9月24日の御輿渡御は10万石の格式による行列で、壮観であったという。祭神は大山おおやまぐいのみことで、相殿は大蔵神、大己貴神おおなむじである。毎年九月二十九日を例祭日としている。この神は治水をつかさどり、また造酒の神としても崇敬されている。神社には国の重要文化財に指定されている「紙本着色山王霊験記」1巻がある。奥書の冒頭の「弘安11年初春」という文字から、鎌倉時代に制作されたものとされ、作者は不明だが日枝神社の縁起を物語っている。また沼津城主大久保忠佐が奉納した助宗の槍や今川氏、北条氏など同社には古文書類が数多く残されている。

2旧郷社「浅間神社」浅間町4

Photo_3 延暦二十年(801)坂上田村麻呂が東征のときに当国に至り富士山に祈願し、凱旋の帰途に狩野川右岸(今の宮町)に奉斎したといわれている。建仁三年(1203)に今の地に遷座したという。祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)である。祭典は九月十五日で、沼津浅間祭といって遠近に有名である。江戸時代には、当社の神職の官位は従五位下であって、沼津城主水野氏も従五位下で同格であったが祭典の日は神職は領主の上についたという。また大名が参勤交代の時皆当社に参拝神主より武運長Photo_4 久・道中安全の神札を授けるのを例としたという。このように武門武将の崇敬厚く、社領の寄進や社殿の造営がしばしばあった。又祭神が木花開耶姫命であるために、古くから夫人の崇敬も厚く、安産の神として信仰された。大正十二年火災にあったが、のちに御料林の払下げを得て同十五年(1926)に復興した。昭和二十年七月に戦災をこうむったが、同二十三年再建された。

上記10神社以外にも沼津市内には約「121」箇所もの神社が存在しています。今後も個別に調査取材は続けていくつもりです。

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2009年3月17日 (火)

沼津近郊の「歴史ある神社3」

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沼津近郊の「歴史ある神社3

4 旧村社「大朝神社」下香貫字山宮前3056

Photo_2 牛臥山北東麓に鎮座する。寛保3年(1743)造営 江戸時代は[山宮][潮留明神」と称していた。古くから山宮と称せられていた。古代はじめてこの付近に上陸して土地を開拓した人たちが、牛臥山の美しい山に神の山としてこれを拝祀したのが当社の起原であつたと思われている。祭祀等が式内の楊原神社と全く共通であり、両社の結びつきが 深い。本来は楊原神社の「奥宮」的なものであったのではないかといわれる。

5 旧村社「玉造神社」黒瀬町6

Photo 狩野川にかかる黒瀬橋(香貫側)のすぐ東にある【玉造神社】今から1000年前に建立され、香貫地区では楊原神社・大朝神社と共に由緒ある神社です。玉造郷は一千年以上の昔 平安朝初期に伊豆と駿河の国境として狩野川の辺り香貫山麓一帯を指し玉造部氏族が住んでいた集落跡と言われています。玉作部は朝廷に貢納する丸玉や服飾用の勾玉管玉等を造る職業的部民で古代において祭祀用には欠くことのできない重要な役割をもった氏族でありました。全国に数少ない玉造郷として諸文献に記載されているとの事です。

6 旧郷社「大瀬神社」西浦江梨大瀬329

Oosezaki21 沼津駅から約28km大瀬崎に鎮座「伊豆国神名帳」に「正四位上瀬の明神」と記された古社で『豆州式社考案』には、式内社・白浪之彌奈阿和命神社として記されており『特選神名牒』などには、式内社・引手力命神社の論社となっている。駿河湾漁民の信仰を一身に集める海の守護神として知られ、船を新造するときは必ず神社に参詣し海上の安全を祈願したといわれる。古くから漁業の様子を描いた絵馬や漁船の模型が数多く奉納され、絵馬は明治から昭和の漁民の暮らしぶりを伝える貴重な資料として静岡県指定文化財となっている。例祭は4月4日に行われ大漁旗や杉、桜の小枝で飾り付けられた漁船が長襦袢を羽織って化粧した青年達が、笛や太鼓のお囃子に合わせ船上で踊る「勇み踊り」は天下の奇祭としてしられる。

7 旧村社「長浜神社」内浦長浜字水揚69

沼津駅から13km内浦長浜に鎮座。旧称を神明社といい官社の位階をしるした神階帳には、正四位上長浜明神とある。神社の鎮座している所を麻ノ坂おのさか、付近の海岸を麻ノ渓おのたにといい、昔は麻が自然に生え、一夜で成長したために、このように称されたと伝えられている。当社は社地が狭いため大正五年(1916)小比叡神社と合併しその地に遷座した。

8 「鮑玉白珠比め命神社あわびたましらたまひめのみことじんじゃ」木負赤崎

西浦木負の赤崎にある。神階帳には従四位上宮玉の明神としるされている。地名の木負は、和名抄にみえる「吉妾郷」に該当すると考えられているが、吉妾は美妻の意味で、この姫神の鎮座から起こったものといっている。社地赤崎の称も明光崎の意味で、此の祭神が容姿艶麗なのによって呼んだものともいわれている。合祀に御嶽神社・境内社に金刀毘羅神社がある。

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2009年3月15日 (日)

沼津近郊の「歴史ある神社2」

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沼津近郊の「歴史ある神社2

1 旧県社「丸子神社」沼津市丸子町→浅間町

Img_0046昔は大きな社で周囲には神楽免・油免・舞台・鳥居田・禰宜の後・宝蔵などの地名があった。市道の町名は丸子神社祭典に市が開かれた事から生まれた。書類は治承・文亀両度の兵火で消失さだかでないが第十代嵩神天皇の御宇国造に詔して丸子神社をこの地に鎮祭し、金山彦命を奉斎す。第十二代景行天皇の御宇、当社に国常立命を合祀す。第六十二代村上天皇の天暦年間天下泰平の祈願あり太刀一口を献ず。建武二年新田義貞の弟脇谷義助勅命にて鎌倉征伐の時、行光の太刀一口を献じ武運長Photo 久を祈願す。以上の如く朝廷の崇敬厚く住古の社領五百三十石、社地八町八反、社家八十六人、社地より二丁ほどの位置に東間門、西間門あり、当社の御門ありし所、市道町は商人の売買叉品物の交易をせし所。天保二年(1831)社殿炎上、明治十年(1877)十一月浅間町の浅間神社に移り二扉一社となった。旧社地は飛び地境内地として御旅所と称している。祭典は9月15日。(画像上段丸子町・下段浅間町)

2 旧郷社「桃沢神社」沼津市青野 

Img_0057本宮(愛鷹山頂)中の宮(宮本)下の宮(青野)の三社をいう。本宮の創建は孝霊天皇元年四月八日、中の宮は創建不詳、下の宮は建久年中に源頼朝が富士の巻狩りの際に勧請創建し愛鷹山一帯の芝地を神領とした。祭神が馬を愛すという事から牡牝の馬九十九頭を献じ、これを牧畜して祭典の料にあてた。以来愛鷹大明神として崇敬されてきた。永禄年中今川義元は神馬に保護を加え神領を寄進した。元亀年中、武田信玄も叉これを受け継ぎ、天正年中徳川家康も今川・武田の例にならって神馬を保護した。これにより牧馬は増殖し、寛政九年(1797)徳川幕府の命により、岩本石見守が牧場を経営し捕馬の牧三箇所を開いた。徳川幕府時代には、社領として除地高九石九斗二升、田畑六反余を有した。明治元年明治天皇が東幸の節、勅使として橋本少将・柳原侍従が当社に登山し幣料を奉納した。下の宮は本宮より三里のところにある。例祭は9月8日に行われている。(画像下の宮)

3 旧郷社「楊原神社」下香貫宮脇

Photo_3 昔の社地は今の楊原であったが、永禄年中、北条・武田の合戦のおり北条兵の為に焼かれ、その後天正年中になって今の社地に移したという。「神名紀」には従一位楊原明神とあり「伊豆山峯紀」に「昔は社人州人、別当八坊あり、両香貫より江の浦まで共に之を祭祀す」としるしてある。今は上・下香貫及び我入道の鎮守である。口碑によると、住吉明神大であった時代には、神領五百石を有し、社家三十余家があったという。又今の馬場の人家は、多く社家の子孫であるともいわれる。また馬場を今「ばんば」といPhoto_4 うが、ここは神馬・流鏑馬等の馬場であったことを地名によって知る事ができる。また境内には八幡神社・津島神社・吉田神社などがあり社域には古来樹木が繁茂し、古社地をなしていたが昭和二十年の戦災で跡形もなく焼けてしまった。文政三年頃堀を掘ったところ甕が出土した。また駿河国造の一族物部氏の墓誌が出たともいう。例祭は真冬の1月、楊原神社・大朝神社共同で行われる。両社の神輿が大朝神社近くの我入道浜に渡御し、神輿をかついだまま海の中に入る「御輿洗い の儀」が行われる。

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2009年3月11日 (水)

沼津近郊の「歴史ある神社1」

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沼津近郊の「歴史ある神社1

近郊の神社も数多く訪れましたが「日本の神社の格式、歴史や由緒」が我々素人には良くわかりませんね。まずはそのあたりの理解をする為に~

1 明治~戦前の社格の最高位、官幣大社であった。2 二十二社、特に上七社であった。3 延喜式に記された式内社の最高位、明神大社であった。4 現在の社格のようなものである別表神社である。5 律令国の一宮であった。6 四方拝の対象となる神社である。以上の要素があげられるという。これらを踏まえると日本の神社の格式の高い所は以下のようになるらしい。1 伊勢神宮 2 出雲大社 3 上加茂神社 4 下鴨神社 5 宇佐神宮6 石清水八幡宮 7 熱田神宮 8 伏見稲荷大社 9 春日大社 10 住吉大社・松尾大社日吉大社・八坂神社・諏訪大社・富士山本宮浅間大社・日前神宮・國懸神宮・氷川神社・鹿島神宮・香取神宮

延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)」延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」とされていた全国の神社一覧である。延喜式神名帳に記載された神社を、「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、または単に式内社(しきないしゃ)、式社(しきしゃ)といい、一種の社格となっている。

近郊であげられる式内明神大社は、駿河国「富士山本宮浅間大社富士宮」伊豆国加茂郡「三島大社三島」「伊古奈比め命神社下田」「物忌奈命神社若宮神社」「阿波命神社神津島」伊豆国楊原神社沼津」である。式内社明神小は「丸子神社」「桃沢神社」「楊原神社」「大朝神社」「玉造神社」あげられる。

延喜式神名帳に載っている沼津市の神社

1旧県社「丸子神社」

2旧郷社「桃沢神社」

3旧郷社「楊原神社」

4旧村社「大朝神社」

5旧村社「玉造神社」

6旧郷社「大瀬神社」

7旧村社「長浜神社」

8「鮑玉白珠比め命神社あわびたましらたまひめのみことじんじゃ」木負赤崎

延喜式神名帳作成後に創建された神社

1旧県社「日枝神社」

2旧郷社「浅間神社」

上記神社を巡ってみましょう~

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