サラっとこんな人生「5、別の世界に挑戦しようと動き出す」
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大学4年の時、仲が良かった仲間と
教職免許は持っているが教員になる気はなく会社勤めに。我が家は父も祖父も教育関係で高校の校長だった。幼いころから教員の世界を垣間見て絶対にならないと決めていた。一番嫌いになったのが日教組、先生多数が団交で校長と徹夜で対峙、凄まじい雰囲気だった。身の危険もあり嘗ての親父の教え子たちが団交の場から救い出した事もあった。親父が血を吐いたのがこの時期だった。築地のがんセンターに連れて行ったり暫くは静養を勧められたが親父は数日休んだだけで学校に出て行った。この一件が教員になんか成るものかと決めた理由。
会社に入ってからは総務で組合対策も進んでやった。(この労務対策も色々苦労が有ったが話は又別の機会に)入社即200名の県外入寮者と一緒に寮長をやる事に。当時共産党民青活動が活発で未成年入寮者は盛んに楽しい集いに勧誘されていた。人事関係の仕事を8年。30歳を機に営業に移る事になった1回目の引越しは沼津、2回目は転勤で名古屋だった。女房が九州実家に里帰りして長男を出産。3回目転勤は東京へ、33歳次男が九州にて誕生。石神井から桜新町に4回目引っ越し35歳3男世田谷病院で誕生。5回目引越しは磐田本社へ汎用エンジン100万台計画担当。6回目は東京主任長欠で東京へ転勤久我山社宅入居、7回目は磐田本社、8回目沼津市木の宮、9回目香貫台、10回目藤井原、11回目やっと新居大久保、12回目菊川単身赴任、13回目掛川単身引越し、14回目実家に戻る。(その後の単身赴任を入れると16回の引越しをした)
アフリカや南米、インドネシアの同僚と宴会。
営業、商品企画、生産現場、会社の色々なセクションを体験したが、50歳を機に別の世界にチャレンジしようと前々から考えやってみたかった珈琲の勉強を始めた。今迄の会社は世界に拠点が有り、珈琲産地の友人も多くいたので生豆は容易に入手できた。この時期管理職対象に有りがたい制度が出来た。会社の延長線にある仕事の細部計画書を書き応募、2番目の採用となった。1年間休職しその間給与も出る。1年の間に目標に向け活動できる制度だ。会社関連の海外拠点からコーヒー豆や衣料などを仕入れ販売する計画書だった。珈琲豆の仕入れ交渉や焙煎技術取得喫茶学校入校、調理師免許取得、結婚式用インドネシア更紗生地縫製など新しい世界に挑戦忙しく動き始めた。
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