古刹巡り「最勝禅院」伊豆市
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伊豆市「最勝禅院」曹洞宗吾宝五派1400余ヶ寺の本山。
古刹で風格もある。あちこちに苔が,まさに伊豆の苔寺!
最勝院の創建は天文元年(1433)、当時の鎌倉管領であった上杉憲清が祖父重兼の菩提を弔う為、吾宝禅師を招いて開山したのが始まりと伝えれています。当初は西勝寺と称し真言宗の寺院でしたが、中興開山を期に最勝院と寺号を改称し曹洞宗に改宗しています。
その後、寺運が隆盛し、江戸時代には伊豆国の曹洞宗僧録所にもなり最盛期には宝五派1400余ヶ寺を擁する大寺となります。文政10年昭和15年と火災により多くの堂宇が焼失しましたが其の都度再建されています。
総門を潜ると禅寺特有の心字の池と苔むした太鼓橋、池の築山に学問・芸術の守護神弁財尊天があり、本堂の脇には三十三観音、六地蔵も苔むしている。お水取りに使われる翫月溪(かんげつけい)水も豊かな最勝院です。
本堂裏手にある五輪塔は山内上杉氏最後の関東管領となった上杉憲政の嫡子龍若丸(たつわかまる)のものとされ、人質として小田原北条氏に送られる途中に逃げ出し、追手により追い込まれこの地で自刃したと伝えられています。このときの逸話が国士峠の名前の由来ともされている。父・憲政が相模国の北条氏康に敗れ、居城の平井城から越後国の長尾景虎(上杉謙信)の元へ逃れる。その後長尾景虎を養子として上杉政虎と名乗らせ、関東管領の職と山内上杉家の家督を譲った。
吾寳宗禅師が朝お説法をしていると、熱心な老夫婦が、何か所望かと尋ねると戒名を受けたいという。老夫婦は毎日やってくる。師はその熱心な老夫婦に「周伯(しゅうはく)」「傳中(でんちゅう)」の戒名をあたえ、名を尋ねると、人でなくこの裏に住む天狗だという。驚く禅師に天狗はお礼に何か願い事があればという。当時寺は水が乏しく困っていたので、師は水がほしいと所望すると、天狗はたやすいことですといって帰っていった。その夜、沢から水の音が聞こえ、澄水がこんこんと湧きだしたという。その時天狗が置いていった宝札(ほうさつ)は今も残されている。最勝禅院には火防大薩た菩薩(秘佛)が安置され左右に天狗が守護し、この縁により毎年4月24日に火防尊大祈祷会が行われている(火防さんとして知られている) 湧きだした清水は豊富な流れとなって今も流れている。4月24日火防尊、8月19日施餓鬼の例大祭がある。
文政10年春、火災にあい殿堂などすべてを消失、その後天保6年10月、38世無學が伽藍圓備のすべてを復元。当時は七堂伽藍をもった雲水真参弁道の道場として多くの修行僧を世に送りす。昭和15年3月山火事の類焼で全伽藍を消失したが、昭和29年本堂に始まり、祖堂、総門の再建が行われ今日に至っています。 境内入口に案内図がある。場所 伊豆市宮上48
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