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2018年12月14日 (金)

「画像で見る昔と今 4香貫・楊原」沼津南部

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Postcard2_2「楊原村」

狩野川の南に位置する。1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、駿東郡下香貫村、上香貫村、我入道村、善太夫新田が合併して発足。1920年(大正9年)8月 - 若山牧水が転居してきた。1923年(大正12年)7月1日 - 駿東郡沼津町と合併し市制を施行、沼津市となった。

「香貫山から狩野川河口~大瀬崎を望む」Photo_3
「昭和20年代の香貫地区」大瀬崎や狩野川河口の位置から見ると香貫山から撮った画像の様です。下香貫地区は一面田んぼですね。

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香貫山の南麓地区の地名の由来も知っておきましょう!

「玉江町」この地の小字名を江間田と称していましたが、昭和初年に玉江町と呼ばれるようになりました。これは江間田を逆に呼んでしゃれた地名にしたかったためと言われています。

「宮原町」楊原神社の近くの平担な土地ということで、称されるようになったと言われています。

「二瀬川」二つの瀬がある川ということで、この地で川が二又に分かれていたところから付けられた地名と言われています。

「宮脇」楊原神社の脇にある土地ということから付けられた地名です。

「八重」香貫山と徳倉山の尾根が接する山あいの地域で、山が幾重にも重なっているところから付けられた

「馬場」この土地が楊原神社の社地で、神馬や流鏑馬(やぶさめ)などの馬場であったところから付けられた

「楊原」楊原神社にあやかって付けられた地名です。神社の南東の八重原(やえはら)の地域が楊原神社にゆかりの土地であるということから、昭和の初めごろは楊原と呼ばれました。一説には八重原は楊原のなまった呼び方と言われています。(沼津市HP)

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