「画像で見る昔と今 5我入道」沼津南部
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「沼津市我入道」日蓮上人が鎌倉から逃げ舟で流れ着いた時”我この道に入る”デ我入道の名前が付いたとか~(画像 狩野川河口左岸に位置する地区が我入道)
江戸時代には我入道村は駿河国駿東郡に属した。江戸時代は山畑は僅かであり、村の主たる産業は漁業であった。明治元年(1868年)には駿府藩領(翌年には静岡藩と改称)、明治4年(1872年)には静岡県に属した。1889年(明治22年)の町村制施行に伴い我入道村は下香貫村・上香貫村・善太夫新田と合併、楊原村の大字となった[1]。1922年(大正12年)には楊原村の沼津町との合併及び市制施行により沼津市の大字となった。かつては軍人・大山巌の別荘があった。また作家・芹沢光治良の生誕地としても知られ、これを記念した芹沢文学館・詩碑が残されている。
「我入道より富士を望む」狩野川河口左岸に位置する我入道の不動岩から、観音川にかかる藤見橋その奥に富士山を見る事が出来る。明治19年東海道線の工事が開始され横浜から船で建築資材を狩野川河口に運び、それを沼津の市街地の工事現場まで運搬するという目的で敷設された蛇松線が最初の工事だった。その後昭和8年沼津港の建設等で周辺の景色は変わった。
沼津港外港の建設で沼津港は大きく変わり現在に至っている。
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