「沼津の観光資産 9-1 歴史上の人物 北条早雲」
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沼津に関係する歴史上の人物
9-1「北条早雲と興国寺城(沼津市根古屋428)」
伊勢新九郎盛時(北条早雲)の「旗揚げの城として名高い沼津興国寺城」当時50歳を超えた早雲が興国寺城を足掛かりに戦国時代関東一円を支配した後北条氏五代の祖である。沼津は早雲の伊豆討ち入りから、秀吉の小田原攻めの100年の間、後北条の西の境目にあり、常に駿河の国を領有する「今川氏」「武田氏」「徳川氏」と対峙して争奪の渦中にあり、合戦と和睦が繰り返された所である。
戦国時代の先駆け早雲は熟年の年齢から出世したシニア世代には頼もしい男である。その家紋は「三つ鱗」である。三つ鱗は鎌倉執権家北条氏の家紋であった。自ら北条氏の後裔を称し、北条氏にならって三つ鱗を用いたのだろうか。
初代早雲(1519年88歳で没)から始まり、以来「五代百年」 代々名君に恵まれ広く善政を敷き、東国一の繁栄と安定を保っていた。早雲が歴史の表舞台に出てきたのは、妹の嫁ぎ先である今川家の家督争いを早雲が解決し、その手柄として沼津市にある「興国寺城」を与えられた事から始まる。その後伊豆韮山・小田原と次々に手に入れ、着実に戦国大名としての道を歩み始めました。1495年伊豆の「北条早雲」が小田原を平定し五代約100年間、民百姓を大事にし、教育文化の高揚と海運を活用して商工業の振興を図る。1590年豊臣秀吉により攻め落とされ開城し北条五代は幕を閉じた。
北条氏に係る沼津の史跡 ①北条早雲旗揚げの城興国寺城 ②北条水軍長浜城址 ③深沢城(御殿場) ④葛山城(裾野) ⑤長久保城(長泉) ⑥泉頭城(清水町) ⑦徳倉城(清水町) ⑧大平城(沼津市) ⑨獅子浜城(沼津市) ⑩鷲頭砦 ⑪韮山城
※北条早雲が興国寺城から出陣し、堀越公方の茶々丸を滅ぼした1493年から、三枚橋城で秀吉が家康と作戦会議を行い小田原攻めを成し遂げた1590年までの戦国時代100年。沼津をめぐる北条・今川・武田の三国志は興味を持ちますね~
9‐2へ続く
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