小田原「万能薬ういろう」
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小田原市内を通る旧東海道、国道一号線沿いに、城かと間違えてしまうような堂々とした店舗を構える店がある。小田原名物の「ういろう」を売る、その名も「ういろう」という薬屋兼菓子屋だ。菓子のういろうは説明するまでもなく、よく知られたういろうだが、ここでは薬の「ういろう」(「透頂香」)も販売している。
「ういろう」透頂香は形が仁丹の大親分のようで透ける香りがすばらしく、守備範囲が広いため、万病に効くように思われていますがそうではありません。主な効力は閉塞された緊急の気付けによいという。主成分の麝香(麝香鹿のホルモン)が、開きょう薬(詰まった孔を解き通過させる)からだ
を温たためて開きます。薬用人参は大補元気薬で虚脱を救います。龍脳は樟脳のことで開きょう醒神薬で混乱した精神を覚醒させます。甘草(お釈迦様にかける甘茶の大親分)がここにも登場しますが、これには痙攣などを和らげ痛みを止め、薯薬を調和させる作用があります。 生薬のよさは、副作用が出にくいことですが,誤用や乱用では意味を成しません。不思議なのは西洋薬と比べると、あわせることで単体を足したよりも掛け合わせたようにそれぞれの病態に対応して作用するところです。むしろ単体での使用よりも合わせた方がより効力を増すところは、現在の合成薬の作用と異なる摩訶不思議なところです(HPより)
多くの人に愛用されている透頂香の歴史は古い。14世紀の元朝滅亡後、日本へ亡命した旧元朝の外交官(外郎の職)であった陳宗敬の名前に由来すると言われている。陳宗敬は明王朝を建国する朱元璋に敗れた陳友諒の一族とも言われ、日本の博多に亡命し日明貿易に携わり、輸入した薬に彼の名が定着したとされる。室町時代には宗敬の子・宗奇が室町幕府の庇護において京都に居住し、外郎家(京都外郎家)が代々ういろうの製造販売を行うようになった。戦国時代には、本家四代目の祖田の子とされる宇野定治(定春)を家祖として外郎家の分家(小田原外郎家)が成立し、北条早雲の招きで小田原でも、ういろうの製造販売業を営むようになった。小田原外郎家の当主は代々、宇野藤右衛門を名乗った。後北条家滅亡後は、豊臣家、江戸幕府においても保護がなされ、苗字帯刀が許された。
江戸時代には去痰をはじめとして「万能薬」として知られ、東海道小田原宿名物として様々な書物やメディアに登場した。『東海道中膝栗毛』では喜多さんが菓子のういろうと勘違いして薬のういろうを食べてしまうシーンがある。歌舞伎十八番の一つで、早口言葉にもなっている「外郎売」は、曾我十郎祐成がういろう売りのせりふを物真似したものである。ういろうを売る店舗は城郭風の唐破風造りの建物で、一種の広告塔になったが、関東大震災の際に倒壊し、再建されている。
明治十八年築のお蔵を利用した小さな博物館を平成十七年夏に開設。初祖 陳延祐より六百余年、二十四代にわたり代々伝統を守り続ける外郎家は、五代目 定治が当地に移住してから五百年が経ちました。独特の店構えの理由、「ういろう」の名の由来、お菓子と薬の起源、歌舞伎十八番「外郎売」との関係などを、小田原で最も古い商家ゆかりの品々を紹介している。場所 小田原市本町1-13-17 定休日水曜・第3木曜 10:00~17:00
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