« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月

2009年2月27日 (金)

沼津「創建の古い寺」平安時代 3

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 静岡情報へ←クリックどうぞ
にほんブログ村

沼津「創建の古い寺」平安時代 3 

Photo_6霊山寺 曹洞宗」 上香貫

曹洞宗永平寺派の寺である。昔は真言宗の寺院であったが、延享5年(1748)の火災に遭って寺記をことごとく焼失したため、創建の年代などは不詳である。伝説によれば、昔この辺が伊豆国であった時、天平の詔によって創立されたものといわれている。弘治3年(1557)に宗祖の道元禅師より12世の法孫である機外永宜和尚が、伊豆国北条村の真珠院の住職であった時、当寺に招かれて中興開Photo_7 山となった。このために真珠院を本寺とし、曹洞宗に改宗した。塔頭として、光明院・西光院があったが、後者は廃寺となり、前者は平成13年大岡三明寺に移転した。

境内にある梵鐘には、貞治3年(1364)の銘があり、県下で4番目に古いもので県指定有形文化財に指定されている。墓地には変形宝筺印塔が4基、五輪塔が3基あり、市指定史跡に指定されている。

宝筺印塔は本来「宝筺印陀羅尼経」を納めるものであるが、日本では供養塔また墓塔として作られている。4基あるうちの2基には嘉元2年(1304)、正和3年(1314)の年号が刻まれ、紀年銘を有する石塔としては、県下有数の古いものである。また、五輪塔は空、風、火、水、地の五大を、団、半月、三角、円、方の五輪にあて、順次積み重ねPhoto_8て塔としたもので、もとは舎利(仏骨)奉安のためのものであったが、後に転じて墓標となっている。藤原末期から作られ、鎌倉時代に盛んになった。中央の大きな五輪塔の下からは、青銅製の蔵骨器が出 土しその銘によって、元享3年(1323)に亡くなった成真大徳という僧侶の墓であることが判明した。本県の場合、中世の蔵骨器は陶製のものが主であるので、青銅製のものは珍しい。県指定有形文化財に指定されている。なお、墓地には、内膳堀を造った植田内膳の墓がある。

Dscn0253大泉寺 曹洞宗」 井出774

治承4年(1180)義経が平家討伐の兵を挙げると、この時、全成もこれを支援しました。全成はこの軍功により駿河国阿野庄(古家郷)を領し、「阿野」をもって氏とし、阿野全成と号しました。全成は城郭の一隅に草庵を造り、源氏一族の霊を安置し、「大泉寺」としました。全成は北条勢に抵抗しますが捕らえられて常陸国に流され、後に下野の国にて、建仁3年(1203)50歳にて首をはねられてしまいPhoto_9 ます。全成の首は家臣たちにより当寺に持ち帰りましたが、境内は北条勢の詮索が厳しく、止むなく門前の老松に首を掛け、 これが「首掛け松」の伝説となっています。全成の一子「時元」は、この首を葬り、これを開基としました(画像全成の墓)天正年間、曹洞宗の名僧梁山宗棟大和尚を請し、真言宗より曹洞宗に改宗、天正13年(1544)徳川家康は寺領16石5斗の地を朱印地として下付された。明治5年、「学制」が発布され、わが国の近代教育が始まりました。明治7年、大泉寺を校舎とし、第2大学区、第14番中学区、第50番小学校「公立・弘需館」が開校され、明治22年、現在の地に移されるまで、小学校は17年間、大泉寺にありました。

Img_0141西光寺 時宗」 本字宮町437

天長2年(825)2月、弘法大師開基の真言宗寺院として不動明王を本尊とし、伝徳山福応院と称しておりました。しかし、その後、延喜5年(905)7月のとき、蓮沼池の西より金色の光を放つものがあり、4世住職玄海法師が付近を調べると、阿弥陀如来像が出現したのでした。この事を朝廷に報告すると時の醍醐天皇より勅額を賜り、以来寺号を伝徳山福応院西光寺と改めました。弘安5年(1282)2度Img_0142 目の蒙古襲来の翌年、時宗の宗祖一遍上人は諸国遊行の途中三嶋大社に参拝し、数日後、井田郷(現在の沼津)宮町の浅間神社へ詣で、神社守護の西光寺に逗留されました。時の15世堯在法師は深く一遍上人の念仏に帰依し、遂に名を文阿と改め、西光寺第1世となり、時宗に改宗したのでした。それにともない、本尊不動明王は別所に安置し、先の蓮沼池より出現の阿弥陀如来を本尊とし祀られることになりました。


010長谷寺 時宗」  千本緑町

昔、駿河の海底に光るものあり。人怪しんで近づかなかったが大岡の荘の地頭某というものが漁師に網を入れさせたところ、金垢1寸2分の観音像が引き上げられたので松林中に仮の祠を造って祀った。天長2年(840)伊豆、駿河を御巡錫中の弘法大師がこれを聞かれ、里人に呼びかけて堂宇をを建立して安置された。その折り、土地の豪族牧野長者が信仰篤く、お浜御殿という荘園を寺の境内として019 寄進したのが千本公園になったといいます。弘安5年(1282)時宗の開祖一遍上人が西光寺に逗留された時の住職堯在法師が、上人に帰依して弟子となり時宗に変わったため、無人の堂宇を西光寺に面倒を見て貰ってそれまで大和の国初瀬にあった豊山長谷寺末寺真言宗の寺院から、総本山遊行寺の末寺となって今日に至っています。弘法大師ゆかりの寺院として名高く、駿河両国観音札場第13番札所、駿河一国観音札場31番札所、東海道百地蔵尊第95番札所となっています。寺堂として120版観音大曼陀羅 (明治8年制作)聖徳太子像、薬師寺如来像、開山上人弘法大師尊像があります。有名なのは『観音開帳』の祭りで、4月桜の花が咲くと千本に大きな櫓を組んで大曼陀羅を掲げお詣りする120反曼陀羅は、明治8年菊池金平受広こと一雲斉藤原国秀画伯が画きあげたものです。しかし、破損がひどく、昭和62年、沼津の画家志賀旦山画伯が布130反に画き上げ昭和の大曼陀羅として復元された。巾13メートルの大作。年1度の御開帳が市民に親しまれている。

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 静岡情報へクリックどうぞ
にほんブログ村

2009年2月25日 (水)

沼津「創建の古い寺」平安時代2

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 静岡情報へ←クリックどうぞ
にほんブログ村

沼津「創建の古い寺」平安時代2

Photo_4禅長寺 臨済宗」 西浦河内397

開山 弘法大師 雪巌清(がんしん)和尚(明僧) 開基 源 頼政(よりまさ) ・ あやめ御前 今よりおよそ1,190年前、大同2年、唐より帰朝され諸国をお歩きになり修行されておられた弘法大師が、達磨(だるま)の峰(みね)にお立ちになり、ここを極楽の地と観じ修法(しゅうほう)の道場をお造りになりました。泥中(でんちゅう)より清らかに咲く蓮の花に願いを託し、蓮華寺と名付けました。その時、自ら刻 Dscn0170_2 み安置した仏像が現在の大瀧不動尊(おおたきふどうそん)です。「頼政とあやめ御前」頼政は、以仁王(もちひとおお)の令旨を得るや諸国源氏に平氏追討の宣旨をしたものの事前に漏れてしまい、一族は宇治平等院において壮烈な最期を遂げました。42歳のあやめ御前は、遺品、遺髪を携え大師ゆかりの寺に入り、名を西妙と改め、念仏三昧の生活を送り、安貞元年1月15日、89歳の天寿を全し寂しました。

Img_0149桃蔭寺 臨済宗」 西浦立保49

開山 秀林紹隆禅師(しゅうりんしょうりゅうぜんじ) 開基 関東管領 上杉顕定公(うえすぎけんじょうこう)久寿2年(1155)現在の地より4キロメートル程離れた山中堂庭に、真言宗として開創され、寿永2年(1183)播磨次郎により、再興されました。文明17年(1485)上杉顕定公により、秀林紹隆禅師を請じて開祖とし、臨済宗に転じ、韮山町の天長山国清寺派となりました。

Img_0138不動院 時宗」  宮町437

弘法大師開基の真言宗寺院、伝徳山福応院西光寺の塔頭(たっちゅう)寺院として建立されました。1282年西光寺の時宗改宗後も不動明王をまつる西光寺塔頭寺院として伝承されてまいりました。大正時代(不動院一世 浅野智善)より、時宗不動院として現在に至っております。「沼津(宮町)のお不動さん」天長2年(825年)遍照金剛弘法大師駿州沼津に御留錫(ごりゅうしゃく)のみぎり松の木を切り苦行習練の末、不動明王を刻まれ一宇を建立し恭しく本尊として安置し奉り、衆生の苦を除かんがため、同大師により開基されたといわれています。

他に(大慈庵 臨済宗)(浄因寺 臨済宗) 

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 静岡情報へクリックどうぞ
にほんブログ村

2009年2月23日 (月)

沼津「井田・戸田」巡り

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 静岡情報へ←クリックどうぞ
にほんブログ村

Photo昨日は午後から沼津市井田・戸田方面に時間が有ったので出かけてみました。天候はあいにく曇天で風の強い日でしたが「井田の菜の花が綺麗」 という話を聞いて出かけた次第です。

天気がよければここからの富士山はトテモ綺麗なんですが今日は残念ながら、うっすらとしか見えていません。

Photo_2 井田の「菜の花畑

近くで見ればなんと美しいんでしょう!花の香りがなんといい香りなんでしょう!今が盛りの菜の花です。Img_0015夜はラImg_0034イトアップも

Img_0037

Img_0031

あいにくの天候ですが丁度トロール船が出航していきました。ここ戸田は高足かにや深海魚が有名です。Img_0030

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 静岡情報へクリックどうぞ
にほんブログ村

2009年2月22日 (日)

沼津「創建の古い寺」平安時代1

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 静岡情報へ←クリックどうぞ
にほんブログ村

沼津「創建の古い寺」平安時代1 

沼津市には現在106箇所もの寺(仏教会加盟)があります。この地にこれだけの寺があるのも驚きますが、各寺の歴史を垣間見ると更に歴史の深さや重さを実感します。沼津の古き時代に遡り少し調べてみたくなりました。沼津市誌下巻にそって古き時代に創建された寺を巡ります。

百済より仏教が伝来(552)聖徳太子が摂津四天王寺(587)大和に法隆寺(601)がわが国始めての官寺創立といわれています。その後地方豪族自らの信仰と権威を満足させる為寺院の建立を志すようになります。この地では大岡廃寺(大岡日吉)があります。最初は現存する一番古い時代、平安末期までに創建されたものと推定される寺院に関して調べていきます。

Img_1147_2広大寺 真言宗」 柳沢702

赤野山広大寺は、真言宗古義派に属し、高野山金剛峰寺の末寺である。寺伝によると、開創年代については不詳であるが、阿闍梨胎情(あじゃりたいじょう)が寺を開いたという。天文15年(1546)に13世の法印良宥(ほういんりょうゆう)が中興した。「赤野観音堂」駿河一国三十番札所及び横道十五番札所として知られている。江戸初期の建築様式を示す建物で、市指定有形文化財となっている。木Img_1159 造、茅葺き、寄棟造の平屋建てで、内陣は唐様式の鏡天井で、天井には龍、正面両側の壁面には飛天(天女)の舞う姿が描かれ、外陣・外回り軒裏は化粧天井になっている。左甚五郎が藁人形に手伝わせて一夜のうちに造ったという、わら人形伝説、近くの川原には八畳石と呼ばれる大きな石があり、石の上で白隠禅師が修行したという言い伝えや、ほら貝の伝説も伝えられている。境内にはカヤ・ナギの大木(市指定天然記念物)がある。観音堂は広大寺が管理している。

Img_0126光巌寺 真言宗」 鳥谷497

愛鷹明神を祭祀し、愛鷹山中に伽藍(がらん)を備えていたというものの、根古屋地先に光厳寺沢という地名があることから、松平玄番守の興国寺城築城(ちくじょう)についての引っ越し以後は確実なところと思われる。弘法大師を開宗の祖とする高野山真言宗の末寺として、境内に、四国八十八ヶ所の御砂踏霊場(おすなふみれじょう)を備え、2月節分の「星祭り」4月の正御影供(しょうみえく)として火渡り柴灯護摩(さいとうごま)の祭典が行われ、にぎわいをみせている。

Photo大聖寺 臨済宗」 幸町23-2

創立 文亀年間(約500年前)開祖 鏡山禅師(鎌倉建長寺より)慶長年間(約400年前)中興開山始祖接心禅師(清見寺より) 宝永年間当時、臨済宗中興の祖神機独妙正宗国師白隠慧鶴(しんきどくみょうしょうじゅうこくしはくいんえかく)禅師は大聖寺の徒弟として、当寺第5世息堂和尚のもと、禅の修行の第一歩を踏みだしている。

Photo_2祥雲寺 臨済宗」 今沢307

開山 秀江(しゅうこう)禅師  開基 久松和泉守(ひさまついずみのかみ)永禄元年(1558)正親町(おおぎまち)天皇の御代、久松和泉守が、鎌倉建長寺より秀江禅師を迎え、今沢の地に菩提寺として祥雲寺を建立されました。近隣の信仰を集めておりました慈覚大師作の今沢薬師如来を本尊とする薬師堂を移し以来篤い信仰を集めております。

Photo_3耕雲寺 臨済宗」 下石田1092

開山 太岳(たいがく)和尚  太岳和尚が戦国の武将や村人たちの支援を得て耕雲寺を開いたのは大永年間(1520年頃)のことでした。それまではそこに阿弥陀寺と呼ばれていたお堂がありました。このお堂の由来は奈良時代にさかのぼります。諸国行脚中の行基菩薩さま(薬師寺の高僧)がたまたま大岡にさしかかったとき、里人の困窮をあわれみ、阿弥陀如来をきざんで、「この阿弥陀如来様におPhoto 願いすれば、水難から救われますよ」と言い残して去っていきましす。この阿弥陀仏像を安置したのが阿弥陀仏寺であり、耕雲寺の前身だといわれています。あるとき戦に疲れた武田信玄が、ひとときの休息を求めてお寺にやってきます。このとき信玄を手厚くもてなしたのが開山の太岳和尚でした。この心暖まる接待に感謝した信玄は一夜切りと呼ばれる 竹笛の音色を自ら披露し、お守りとしていた天神像を添えて和尚にお礼として手渡します。

Photo_5大喜寺 真言宗」 東原

(参考沼津市仏教会HP・沼津市誌下巻)

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 静岡情報へクリックどうぞ
にほんブログ村

2009年2月14日 (土)

Numazu明治時代の別荘「13当時の絵図」

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 静岡情報へ←クリックどうぞ

Numazu沼津 明治時代の別荘

「13当時の絵図

沼津市史別編絵図集に掲載されている明治・大正の絵地図には「大山巌別荘」「西郷」「大木」「世古三島館・沼津ホテル」「保養館」「御用邸」などが記載されている。

81919

沼津町附近の略図」大正8年(1919)作成 

「大山邸」「御用邸」「保養館」等が記載され大正6年に進出した東京麻糸紡績株や東京絹毛紡織株等大工場も描かれている。

241891

駿河国駿東郡沼津町略図」明治24年(1891)出版

大山邸」「世古第2支店海水浴場」「川村邸」「大木邸」「西郷邸」が記載されている。

今回で「沼津、明治時代の別荘」は一区切り続編は調査進み次第叉載せる事にします。今回あちらこちら歩いてみました。明治時代の沼津を垣間見た気がします。沼津の貴重な財産としてもっと多くの人に紹介出来る様にして欲しいものです。沼津明治資料館様・沼津図書館様協力ありがとうございました。

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 静岡情報へクリックどうぞ
にほんブログ村

2009年2月12日 (木)

「息子の結婚式」東京デズニーシー

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリックどうぞ
にほんブログ村

「息子の結婚式」

006

昨日は東京デズニーシー「ホテルミラコスタ」で三男の結婚式でした。

Img_0001

デズニーランドに行ったのは20数年ぶり昔とは大違いですね。まさにおとぎの国人気もうなずけます。

Img_0042Img_0047 アモーレ!!

Img_0067

デズニーのキャラクターが出てきたり、楽しい結婚式でした!!

Img_0084

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2019年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

訪問者カウンター

「美味い店」

  • 「むさしの森珈琲」沼津店
    沼津近郊には美味しい店がいっぱいあります

「美味イタリアン」

  • 「チョコラータ」沼津
    沼津近郊ピッザやパスタが美味しいイタリアンの店

「美味い寿司店」

  • 「末広鮨」静岡市清水区
    沼津に来たら美味いお寿司をどうぞ

最近のトラックバック

フォト

静岡プログ村

ウェブページ

無料ブログはココログ