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2008年11月27日 (木)

江川太郎左衛門(江川英龍ひでたつ) 3

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江戸湾の海防

天保8年(1837)6月、突然見たこともない船が来て国中が驚く。ペリーの黒船ではなく、中国のマカオを根拠地にしているアメリカ商船「モリソン号」で海外に漂着した日本人たちを引き替えに日本との貿易を開こうと目論んでいたのだが。
商船モリソン号が江戸の海にやってきた翌1838年末、海防担当の老中「水野忠邦」は今後に備えるため、江戸近海の調査を計画した。そこで「川路聖謨」からの推薦もあって「江川英龍」を副使に任命する。「江川英龍」は「江戸の海防」を以下の様にまとめ、幕府に提案した。「房総、三浦両半島や富津の沖に人工島作りを大砲を据えて、外敵の侵入をふせぎ、守備隊に農民を当てる」と言う要旨のもので海防のため、砲台の位置など具体的な配置まで作ったという。しかし、折角作った「江川」と「崋山」の草案も幕府の強力な推進者がなかったのか、具体化されないまま、幻の国防案として温められてしまった。
その14年後にやってきた「ペリー艦隊」は、遥か相模湾から江戸湾に我が物顔で航行し、その異様な姿をさらす示唆行為に江戸ばかりでなく、日本全体を震撼させた。軍艦7隻に驚かされて日米和親条約を結ばされる。その後、前水戸藩主「徳川成彬」を幕政に参与させ、国防充実する必要性から江戸湾に「台場」を気付くなどの安政の改革を行い江戸幕府末期から明治新政府の手によって、ようやく具体化され「英竜」の遺志は継がれた 。やって来た一隻の舟が国防意識を高め、「大砲や農兵隊」作りの芽を作ったのは言うまでもない。

西洋砲術と江川塾

江川英龍」は国外に唯一門戸を開き、西洋文明に直に接した長崎の「高橋秋帆」から洋式の砲術を始め、兵制や蘭学を学んだ。これが前述の江戸防衛の建白書の提案に繋がっている。この学問なり技術は「佐久間象山」「桂小五郎」「大山巌」に伝授した。のちに「佐久間象山」が我が国が誇る開明的な蘭学者として兵学や砲術、地勢学に精通した第一人者になる。江戸に出てから象山書院を開設、「吉田松陰」や「橋本佐内」、「勝海舟」など人材を育てた。「一橋慶喜」に招かれて海防問題に関する顧問を勤めた。

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母屋左側の一部はかつて塾になっており、その塾生に「佐久間象山」などの逸材が当所で育ち、羽ばたいて行った。近代日本の国家作りの為の人材作りの面でも「英龍」の役割は大きかった。担庵が他藩の者に韮山で教授したのは天保4年(1843)より10年あまりである。担庵の没後は江戸芝新銭座大小砲習練場において、担庵の嫡子、英敏を中心に担庵より指導を受けた門弟たちが、その数4000人とも言われている。

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