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2008年11月22日 (土)

江川太郎左衛門(江川英龍ひでたつ) 1

36代江川太郎左衛門(江川英龍ひでたつ) 1

静岡東部の歴史を紐解いていく中で、興味を抱く人物は多いが中でも「源頼朝」「北条早雲」「江川太郎左衛門」は特別な人物である。前回「北条早雲」を取り上げ「早雲の生立ち」→「駿河下向」「興国寺城址」→「伊豆討ち入り」「韮山城址」→「小田原城」まで調べてきた。歴史は学ぶほど興味が湧く、興味が湧くと足を運び調べてみたくなる。早雲が伊豆に討ち入り韮山城に入った時に、「23代江川英住」が「早雲」の家来にとなり「後北条」に仕える。早雲と江川家の接点がこのあたりにある。又「頼朝」伊豆旗揚げに「9代宇野親信」が参加したとも云われています。歴史とはこんな繋がりが興味をそそる大きな要素でしょうね。

Tannan江川家」と「英龍

初代は大和源氏の祖とされる「源頼親みなもとのよりちか」8代までは大和国(奈良県)に居た。「9代宇野親信うのちかのぶ」が、従者と共に伊豆のヤマキと呼ばれた現在地に移住し鎌倉幕府・室町幕府に仕えヤマキの豪族として勢力をもったようです。「23代英住ひでずみ」が早雲の家来となり、以後、後北条氏に仕えたこと、江川酒を醸造して名声を得ていたことは良く聞く話です。「28代の江川英長ひでなが」が、「徳川家康」に仕えて「代官」になり、以後明治に至るまで代々「代官」が続く。家督相続した当主は「皆太郎左衛門」を称しました「韮山代官」の役所は「江戸と韮山」の二か所にあり、「江戸役所で武蔵・相模・甲斐」「韮山役所で伊豆・駿河」の支配を担当していたといいます。「英龍ひでたつは、文政7年(1824)から代官見習として父英毅(ひでたけ)の仕事を補佐し経験を積んだ後、天保6年(1835)に「韮山代官」となりました。

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