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2008年6月

2008年6月27日 (金)

【ぶらり伊東市3】県道135号

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【ぶらり伊東市Ⅲ】県道135号

<伊東温泉七福神>泉都伊東に七福神巡りのコースがあります。風光明媚な自然を文学散歩とあわせゆっくり回ってもいいものです。

Photo 1「松月院・弁才天」知恵と富貴の神様。伊東駅の裏、伊東温泉を一望する高台にあります。松月院の名のとおり立派な松が植えられ、鐘楼と共に名月鑑賞で知られています。池をめぐらした美しい庭園には10月頃に咲く十月桜をはじめ、早咲きの彼岸桜からソメイヨシノまで植えられ、別名桜寺とも呼ばれている。境内には山本六丁子の句碑と内山雨海の筆塚があります。

Photo 2「朝光寺・大黒天」福徳円満、五穀豊饒の神様。子授け・子育ての守り神・鬼子母神と帝釈天、七面大明神が祀られている古刹。七面大明神が祀られている七面堂の垂木は四方垂木といわれている大変珍しいものである。山門を入った右側には樹齢二百年といわれるツツジの古木があり、花の時期には無数の花が咲き乱れみごとです。

Img_0179 3「最誓寺・寿老神」延命長壽と福徳の神様。市内中央を流れる松川畔、音無の森にある古刹。伊東祐親の娘・八重姫が法の王下と伝わる地蔵菩薩と本尊の阿弥陀如来が寺宝として祀られている。伊東家歴代の墓と碑(市文化財)、樹齢六百年という大ソテツ(天然記念物)があります。

Img_0200 4「東林寺・布袋尊」福寿財宝の神様。今から八百年前、工藤祐経のうらみを受け不慮の死をとげた河津三郎祐泰(曽我兄弟の父)の菩提をとむらって、父伊東祐親が建てた寺。
鐘楼堂の上の高台には曽我兄弟の首塚と祐泰の墓がある。境内に相撲四十八手の一つ「河津掛け」をあみだした祐泰を顕彰した碑が建てられています。

Photo_3 5「仏現寺・毘沙門天」厄除け祈願や当病平癒祈願にご利益があるといわれ全国からお参りが絶えない日蓮宗の古刹。厄除け開運のお礼や全国でも珍しい「逆さ曼荼羅」に人気がある。例年2月15・16日には毘沙門天まつり・厄除けだるま市が開かれ、大変にぎわいます。

Photo_2 6「新井神社・恵比寿神」伊東港、魚市場を見下ろす高台にあり、漁業の守り神エビスさまを祀り、漁師の厚い信仰を受けてきた。隔年(平成13年開催)正月七日には海上安全・大漁祈願の裸まつりが催される。フンドシ姿の若衆がミコシをかつぎ真冬の海に入る勇壮な祭りです。

Photo_2 7「林泉寺・福禄寿」知恵と出世の神様。伊東駅から南に5km離れた荻にあるフジの花寺。樹齢二百年の大木が二株あり、5月中旬には紫色の花が1m以上にも垂れて見事です。(県文化財指定)薬師如来、月光菩薩像、三十三体観世音が祀られ、5月8日には三十三観音の大祭があります。

Itocourse ←モデルコース

2008年6月22日 (日)

【ぶらり伊東市2】県道135号

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【ぶらり伊東市Ⅱ】県道135号

Photo蓮着寺のヤマモモ

1261年、日蓮大聖人は鎌倉幕府に捕らえられ、船で伊豆に流罪にされて、蓮着寺海岸下の俎板岩の上に置き捨てられた。家路を急ぐ小船に奇跡的に助けられ、二年後赦免になるまでこの地で過ごされた。大聖人没後、この地に御堂が建てられ、蓮着寺と名付けられた。「蓮着寺のヤマモモ」は境内から一段高い本堂へ至る石段を登った右手にある。国内第一のヤマモモの巨木として平成10年(昨年)秋、国の天然記念物に指定された。(国指定天然記念物)

20060901_212895八幡宮来宮神社

八幡宮来宮神社の本殿には、向かって右に八幡宮、左に来宮が祭られています。社殿は、本殿・幣殿・拝殿の三棟によって構成され、本格的な堂宮建築の手法で統一されています。平成9・10年の大修理とそれに伴う諸調査により現存の社殿は、本殿が寛政7(1795)年、拝殿が文政7(1824)年の建築であり、伊豆各地の優秀な大工職がかかわっ20060901_212903 ていることが判明しました。本殿は二間社流造、拝殿は入母屋造で、両者をつなぐ幣殿は両下造です。多くの神社建築が一間または三間の柱間となるのに対して、この本殿は二間となっている点で非常に類例の少ない形態であることが注目されます。伊豆石製の強固な基礎に支えられ、社殿を飾る精妙な彫刻群の存在とともに江戸後期を代表する神社建築として重要です。平成11年3月15日指定  伊東市教育委員会(県指定文化財)

Img_1391天照皇大神社本殿

伊東市役所の下手、仏現寺のやや下にある大行寺さんの上手に位置する玖須美神社は、天然記念物の大楠で知られる葛見神社と間違われるようだ。祭事を司り、神社をお守りする宮司様が、時代の転換と共に変わりながら今に至っているようである。伊東市芝町9-57 (県指定文化財)

Img_0180最誓寺のソテツ

最誓寺は音無神社の東隣りにある。ぐるりと回って玄関より入る。「最誓寺のソテツ」は本堂左手にある。樹高が高いのが特徴のようです。(市指定天然記念物)

Photo_6高見のシイの木

八幡野交差点を右折、500mほど山側に入った所に『高見のシイの木』がある。窮屈な崖地にこれほどの巨木が残っていたとは、全く想像外。場所 伊東市八幡野(市指定天然記念物)

Img_0212Img_0211アダムス胸像・洋式帆船モニュメント」徳川家康に外交顧問として仕えたイギリス人航海士・水先案内人・貿易家。日本名の三浦 按針(みうら あんじん)としても知られる。伊東市の「按針祭」は、盛大なパレードをはじめ、『按針讃歌』の合唱、イギリスほか各国の国歌吹奏、関係諸国の大使による祝辞の披露、コンサート、スポーツ大会、花火大会などなど、盛りたくさんのプログラムが用意され、街は熱気に包まれます。

Img_0164Img_0162(宇佐美地区)

宇佐美神社/庚申塔」宇佐美海岸旧道沿いにあります。庚申塔は伊東で一番古いものだそうです。

Img_0160大境1里塚の松

宇佐美海岸近くにあります(旧道と海岸道路の間)。

「御石ヶ沢の角石」

江戸時代初期に江戸城普請にあたり多くの大名が競って採石を行った痕跡が残っています。宇佐美御石ヶ沢の山中の角石(すみいし、石垣の角に組まれる重要な石)は代表的な史跡。伊東市内にはこのような採石跡が多く存在しています。採石された石は、伊豆石で安山岩。

2008年6月21日 (土)

【ぶらり伊東市1】県道135号

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Usamikaigann  【ぶらり伊東市Ⅰ】県道19号伊東・大仁線亀石峠を経て宇佐美~伊東に向かう。伊東市は伊豆半島の東海岸に位置し、中心部は比較的平坦だが、南部はリア  ス式海岸となっている場所が多い。中心部以外は丘陵地帯が多く、西端は高度のある山地であり、富士箱根伊豆国立公園として指定を受けている区域は広い。南部に休火山の大室山があることから、近辺は海岸線を含めその影響を受けた地形となっている。海岸沿いから中部は別荘地として開発された場所が多く、特に大室山の麓にある伊豆高原は有名。海岸沿いに伊東線・伊豆急行線と国道135号が縦断しています。

Map3伊東の歴史」富士火山帯の活発な活動の後、伊東に人々が住み始めたのは今から約1万5千年前といいます。静岡県は日本の中でも早くから人が住んでいたところの一つですが伊東の歴史も古く、市内では縄文遺跡や祭祀遺跡、古墳などが発見されています。伊東が歴史の舞台に登場するようになったのは、平安時代末期、豪族「伊東氏」「宇佐美氏」が台頭して以来。江戸時代は天領や旗本領など、幾度となく支配が変わりましたが険しい自然に阻まれ農漁業を営む寒村に過ぎませんでした。伊東発展の契機となったのは、幕末にできた温泉宿。明治時代には東京-熱海にSpot2汽船が航行し、温泉町へ変貌。昭和13年、国鉄(現JR)伊東線の全通をきっかけに近代的な温泉保養地として発展しました。同25年には国際観光温泉文化都市指定、同36年には伊豆急行電鉄の開通により伊豆周辺の観光拠点として躍進。現在に至っています。

Itousuketika1伊東祐親(いとう すけちか、生年不詳 - 寿永元年2月15日(1182年3月21日))は平安時代末期の武将。父は藤原南家の流れを汲む伊豆国の豪族伊東祐家。子に河津祐泰、伊東祐清、女子(三浦義澄正室)。東国における親平家方豪族として平清盛からの信頼を受け、平治元年(1159年)の平治の乱に敗れて伊豆に配流されてきた源頼朝の監視を任される。しかし祐親Sukechika の娘八重姫は、頼朝と通じて一子千鶴丸を儲けるまでの仲になってしまう。安元元年(1175年)、祐親はこれを知ると、平家の怒りを恐れ千鶴丸を松川に沈めて殺害、さらに頼朝自身の暗殺も図る。頼朝の乳母・比企尼の三女を妻としていた子の祐清が頼朝に知らせ、頼朝は夜間馬に乗って熱海の走湯權現に逃げ込み、北条時政の館に匿われて事なきを得たという。治承4年(1180年)に頼朝が挙兵すると、大庭景親らと協力して石橋山の戦いにてこれを撃破する。しかしやがて勢力を盛り返した頼朝によって逆に追われる身となり、富士川の戦いの後捕らえられ、娘婿の三浦 Img_0172 義澄に預けられる。義澄による助命嘆願が功を奏し、一時は一命を赦された祐親だが、これを深く恥入り自害して果てた。八重姫と千鶴丸のエピソードにより敵役のイメージの強い祐親であるが、地元の伊東市では毎年「伊東祐親まつり」が開催されるなど、郷土の英雄として親しまれている ようである。また曾我兄弟・三浦義村の祖父としても有名であImg_0200 る。"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E7%A5%90%E8A6%AA" より作成。「伊東家館跡物見塚公園」に「伊東祐親の銅像」があり、西300mに文化財でもある「五輪塔の墓」がある。坂を下ると菩提寺の 「東林寺」にいたります。「東林寺」には「河津三郎」(相撲中興の祖かわづがけ)の墓と「曽我兄弟」の墓といわれている物が有り、祐親や千鶴丸Img_0196 木造が安置され、位牌も拝む事が出来ます。又その近くには「葛見神社の大楠」があり、国指定の天然記念物になっています。

最誓寺平安時代後期~南北朝期の伊藤家累代先祖の墓所、五輪塔10基がある。駿河守であった藤原維職が京から伊豆国押領使となって伊豆国・狩野城へ移住。その子宮藤(工藤)大夫を称した狩野(工藤)家継は狩野から伊東へ進出し、祐継~ 祐経~祐時~祐光~貞祐~祐持と続き伊東の歴代地頭であった。この墓所は、南北朝 期に足利尊氏に従いImg_0175 Img_0177 日向国に移住した伊東家当主伊東祐持以前の先祖の墓である。この伊東家先祖の墓は、もともと現在の最誓寺から約500メートル離れた所の伊東家菩提寺東光寺にあったが、江戸末期に廃寺になり近くの東林寺に合併された際、特別に現在の最誓寺に移されたものという。(市指定文化財)

Img_0182源頼朝と伊東」韮山、蛭が小島で流人の歳月を送っていた頼朝は、いつしか伊東祐親の娘八重姫との間に千鶴丸をもうける。二人が逢瀬をした「音無神社」には、密会を忌める無灯の尻つみ祭が今でも行われています(奇祭としてしられる11月10日の尻摘祭が有名で、当日は社殿の灯火をすべて消し、話しをすることが禁じられ、暗黒の中で祭典が行われるImg_0191 ことから、御神酒を廻すときにお尻を摘み、合図をして杯を廻わすのでこの名がついたといわれている。祭典の当夜に社前で参拝客に授けるみかんの中の、種が入っているみかんを食べると子宝に恵まれるといわれている)祐親は平家に気遣い二人の仲を裂いた上に千鶴丸をとどろきの淵に沈めたという伝説が残されています。(市指定天然記念物タブ・シイの木がある)画像を良く見ると片方の木の枝がもう一方の木を抱いている様に見える。この木は縁結びの木というそうです。場所 伊東市音無町1-12

2008年6月19日 (木)

沼津根方街道【宝珠院】菩提樹の花

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Photo_6 沼津根方街道【宝珠院の菩提樹の花】が今年も咲いています。近ずくけばとてもいい香りがします。黄色の可憐な花、その独自な芳香は人を魅了する香り。ハーブテーや香水・石鹸やお線香・蜂蜜などに使われています。

Img_0086 「お釈迦様が悟りをひらかれたのが菩提樹の木の下だった」と言われています。花の咲いている期間は短い様です。花が散ると「数珠」になる実がつくそうです。「数珠」のことを記した経典の多くは、「菩提樹の実」を最上として います。たとえば「仏説校量数珠功徳経」には、真珠や珊瑚の数珠なら「誦カン(経 を読み珠を爪繰ること)すること一遍にて福の百倍を得Photo ん」、蓮子(はすのみ)なら 「福の万倍」、水晶なら「万々倍」、菩提子なら「その福無量にして算数すべからず」 と説かれています。その菩提子にも、金剛、星月、鳳眼、天竺等の種類があります。 星月菩提樹 星をちりばめたような点がある「菩提樹の実」です。

菩提樹の花言葉」は「夫婦愛」、「結ばれる愛、結婚、熱愛」花言葉の「夫婦愛」はギリシャ神話からきているようです。旅人に姿を変えたゼウスとヘルメスをもてなした貧しい老夫婦。褒美はなにがいいかとゼウスが尋ねるPhoto_2 と、今まで仲良く暮らしてきた夫婦であるから死によって離れ離れにならないようにと願いました。何年も経って老夫婦が仲良く腰をおろして話をしていると、お互いの身体から木の芽が吹き出して主人は樫の木に、妻は菩提樹に姿を変えたということです。

宝珠院」真言宗神道派 場所 沼津市東原566‐1  

当院は牡丹の花でも有名です。

Photo_3  Photo_4 Photo_5

2008年6月13日 (金)

沼津【島郷の桃】

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Img_0017 沼津【島郷の桃】かつてこの地は「桃郷」と呼ばれていたくらい「桃」の産地でした。今では桃を栽培している農家の方もめっきり少なくなりました。付近の住宅化が進み農地が少なくなった今いたし方ないのかもしれませんが、チョット残念な気持ちになります。小ぶりで赤みを帯びた「島郷の桃」の美味しい思い出は、ず~と昔の思い出なんですね。小さなダンボーImg_0018 ル箱に入って売っていた「とうごうの桃」を見たら懐かしくて買いました~帰り道桃畑はどんなになってしまったか「島郷の桃畑」の様子を見に行ってみました。やはり栽培している場所を探すのに苦労するくらい少なくなっていました。地元の名産として栽培されている方々に頑張って貰いたいですね~栽培されていた場所は沼津御用邸入口と象山の麓あたりに数軒見つけることが出来まImg_0030Img_0032したので画像を載Img_0026せておきますImg_0025

   

2008年6月 7日 (土)

【ぶらり熱海市2】県道135号

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【ぶらり熱海市②】

Photo_8お宮の松

尾崎紅葉の代表作『金色夜叉』で主人公貫一とお宮の別れの舞台となった場所に建つ二人の像。緑地帯には2代目となるお宮の松が植えられている。銅像のライトアップは日没から夜10:00まで。

Photo_11双柿舎

近代文学や演劇の発展に貢献、熱海をこよなく愛し、この地で 没した明治の文豪、「坪内逍遥」の旧居。邸内には塔の形の書庫や筆塚などがある。名は邸内の柿の大樹2本に因む。場所 熱海市水口町11-17

136483中山晋平記念館

大正初期から昭和にかけて大衆音楽の普及に貢献し た中山晋平の記念館。熱海の旧宅を移築・復元した晋平の住居は日本庭園を擁し、愛用のピアノや愛用品を展示している。場所 熱海市梅園町8-1(梅園敷地Photo_9内)

澤田政廣記念美術館

熱海出身の芸術家の澤田政廣氏の彫刻や絵画などの作品を集めて展示している美術館。等身大の木彫像のほか、生命感と詩情あふれる作品をケースに入れずに展示している。場所 熱海市梅園町9-46

Photo_10池田満寿夫・佐藤陽子創作の家

版画・油絵・陶芸・小説など多彩な才能を持った池田満寿夫と、世界で活躍したバイオリニストの佐藤陽子。二人がかつて住居兼アトリエとして過ごしていた家。場所 熱海市海光町10-24 

池田満寿夫記念館」は熱海市下多賀1130-1にあります。

Sai_enn彩苑

孤愁の岸(直木賞)滝沢馬琴(吉川英治賞)等の作品で知られ、文化功労者熱海市名誉市民でもある作家杉本苑子氏の旧宅で一般公開している。彼女の作品ほか、熱海市ゆかりの文化人の作品を展示している。場所 熱海市西熱海町2-12-3

Atami観魚洞隧道

熱海の温泉街の南・相模湾に向かって突き出た魚見崎を貫く総切石積みの隧道。明治43年竣工 場所熱海市熱海、 「平井家住宅」 場所熱海市網代 (いずれも国登録文化財)

2008年6月 6日 (金)

【ぶらり熱海市1】県道135号

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【ぶらり熱海市】

29熱海市」は、伊豆半島の東側付け根に位置し、市域内はほとんどが丘陵であり、別荘地や住宅なども高台の上に数多くあり、道路は角度の大きい坂道となっています。富士火山の脈の影響を受け、伊豆箱根温泉群の中心的存在で、古くから湯治場として知られ、国際観光温泉文化都市として発展してきました。「熱海の歴史」は、一説によると今から1200年前に、箱根権現の万巻上人が、漁民を救おうと海中に湧く温泉の泉脈1160101906692_1116397943912_normal_ を移して、熱海の中腹に導き、そこに湯前神社を作って、温泉を利用できるようにしたといわれています。湯前神社の隣に大湯があり、ここには「徳川家康」が入浴したこともあり、「出世の湯」ともいわれています。四代将軍の「徳川家綱」の頃から御汲湯と称され、毎年数回このお湯を江戸に運んでいました。徳川家康の天下となって、世が平和になると共に熱海も次99a12ed6第に 開けました。それまでは伊豆山神社を中心とした時代でしたが、大湯を中心とした温泉湯治場として発展することになりました。慶長9年(1604年)に、家康は五郎太丸義利と長福丸賴宣を連れ京に上る途中、熱海へ寄って17日間滞在したと「伊豆誌」に記されています。寛永3年(1626年)には、三代将軍家光は熱海に御殿をつくりましたが、1度も来らImgp3034れず、取壊しに なりました。その代わり、毎年数回期を定めて大湯の湯を江戸城本丸西丸へと送る事になり、これを“御汲湯”と称するようになりました。
御汲湯には厳格な規制があり、湯戸(一名湯亭)27軒が指定され、その主は将軍家から帯刀御免の特権が与えられました。江戸城献湯にあたっImgp3043ては、17軒の主が各自覆面をして長柄の槍柄杓で大湯の熱湯を新しい 檜桶にくみ、書夜兼行で江戸城へ運びました。また、その道中に日の丸をたててゆく習わしがあり、「熱海よいとこ日の丸たてて御本丸へとお湯がゆく」とうたわれました。御汲湯は、もともとは陸の交通によってされていましたが、後に船によって運ばれるようになりました。享保11年(1726Photo年)から8年間で3642樽を送り、天明4年(1784年)から翌年までの間に 229樽送ったと、記録が残されています。また、将軍家にならって、江戸の13軒の風呂屋も熱海から温泉を取り寄せ、営業成績をあげたといわれており、熱海の名は次第に有名になっていきました。元の本陣である今井半太夫方の宿帳をみても、江戸時代全体を通じて、熱海に来浴の諸侯大名がいかに多かったかがわかりますが、とりわけ寛文以降に多かったようです。

熱海はもともと「阿多美」であったが、海から熱い湯が湧き出ていたことから「熱海」になったと言われています。

Photo_2起雲閣」1919(大正8)年に別荘として築かれ、非公開の岩崎別荘、今はなき住友別荘とならび、「熱海の三大別荘」と賞賛された名邸が基となる起雲閣。1947(昭和22年)には、旅館として生まれ変わり、太宰治・山本有三などの多くの文豪たちにも愛されていました。市街地とは思えない緑豊かな庭園。日本家屋の美しさをとどめる本館と離れ、日本、中国、Photo_3 欧州などの装飾、様式を融合させた独特の雰囲気を持つ洋館。起雲閣の4棟1門は熱海市の有形文化財に指定されています。
2000(平成12)年より、熱海市の所有となり、当市の文化と観光の拠点として多くのお客様を迎えています。「7月6日迄池田満寿夫展開催中」開館時間   9:00~17:00休館日    水曜日(祝・祭日の場合は開館)入館料    大人 500円  高・中学生 300円

Photo_4伊豆山神社」古来伊豆大権現、又は走湯大権現、伊豆御宮とも走湯社とも称され、略して伊豆山又は走湯山と呼ばれていましたが、明治になって現在の社名に改称されました。)「走湯神社」は高水寺の鎮守として「源頼朝」が(熱海の)走湯権現を勧請したものと「吾妻鏡」に書かれています。平治の乱後、平氏により伊豆に流されていた「頼朝が源氏再興を祈願した神社です」その祈願も成就し、鎌倉に幕府を開いた後も箱根とともに二所詣(にしょもうで)と称し、頼朝以降源氏の崇敬はあついようです。「源頼朝と北条政子」ゆかりの古社で「縁結びの神様」としても有名。恋が叶うといわれる「ナギの木の葉」をお守りにしたものが頒布されている。境内の郷土資料館には貴重な資料も展示。

Photo_5郷土資料館」熱海市立伊豆山郷土資料館は、伊豆山神社境内にあります。県指定文化財の「走湯権現立像」や「宝冠阿弥陀如来像」など往時の貴重な資料を展示しています。又「北条政子」が「頼朝」の1周忌に自らの髪の毛を刺繍し伊豆山権現の法華堂の本尊として阿字一幅を奉納したと「吾妻鏡」に記録されている曼荼羅「頭髪曼荼羅」複製展示されています。入館料大人150円 高大生100円 場所 熱海市伊豆山

F0155795_122927来宮神社」は江戸末期まで「木宮明神」と称し、現在の「来宮」でなく「木宮」の字で古文書等に記されています。伊豆地方には「きのみや神社」と称する神社は10数ヶ所あり、各社とも樹齢千年以上の御神木があることから「木」に宿る神々をお祭りする神社として崇敬を集め、木に感謝する信仰を有していたといわれます。「来宮神社」にもは樹齢2千年を越す国Photo_6 の天然記念物「大楠」があります。幹の周囲は23.9㍍、高さは26㍍を越す巨大な御神木です。一週歩けば一年寿命が延びるといわれています。


旧日向別邸」昭和9年に建てられたこの別邸は貿易などで財を成したPhoto_7 「日向利兵衛」の別邸でした。日向氏の死後は企業の保養所として利用されていましたが平成16年11月に熱海市の所有となり平成17年の秋から一般公開されています。地上2階地下1階、雄大な相模湾を望む傾斜地に建つこの別邸の見所は世界的に有名な建築家「ブルーノ・タウト」による地下部分の内装の素晴らしさです。<見学はFAX・はがき・電子申請、予約制との事>入館料 大人300円 中高生200円 場所 熱海市春日町8-37

興禅寺」境内からは熱海温泉の巨大なホテル群が見え、目の前に海が光る。本堂は近代的な御堂で須彌壇が高く造られている。裏山への石段の登り口には石の不動明王を祀られている。場所 熱海市桜木町5-8

2008年6月 5日 (木)

【ぶらり西伊豆】持越~仁科峠~西伊豆

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Camr8dqz 今回は「湯ヶ島持越から仁科峠~西伊豆」県道59号(伊東西伊豆線)のぶらり紀行です。天城トンネル(明治38年)が完成する以前、南伊豆へ向かうルートは天城越えとこの猫越(ねっこ)越え街道の2本が伊豆を南北に結ぶ重要な通路であったといいます。

Hotaruyou_01天城ほたる祭り」夏の始まりを感じさせる「ほたる」 湯ヶ島、天城の蛍祭りは6月1日から始まりました。鑑賞スポッ トは猫越川と本谷川が合流する出会い橋Photo付近、源氏蛍(祭り前半時期)や平家蛍(祭り後半時期)が飛び交う中で太鼓・尺八演奏等のイベントも行われます。祭り期間6月1日(日)~6月25日(水) 鑑賞期間は7月上旬頃まで。

Photo成就院霊水」湯ヶ島温泉にある成就院の霊水

Motikosi1持越鉱山」で鉱区が発見されたのは、1914年(大正3年)であったという。1932年(昭和7年)に持越金山株式会社が設立され、1934年(昭和9年)に清越鉱山を買収して、清越鉱山が持越支山として本格的操業を開始した。1936年(昭和11年)には朝鮮半島の諸鉱山を買収して中外鉱業株式会社が設立され(日本国の中でも外でPhoto_2 も発展するようにと、「中外」という名が使われたという)、持越鉱山はその傘下に入った。そして1938年(昭和13年)、清越で新鉱脈が発見され、政府の産金奨励策と重なり、採掘が盛んに行われた、ということらしい。持越鉱山が最盛期を迎えた頃には、3000人といわれる鉱山町が鉱区に形成されたという。

Photo_3 平成11年、天皇・皇后両陛下による「植樹祭」を契機に開通したスカイラインが、登山口の仁科峠まで通じている。昔に比べたら随分道路はよくなりましたね。

西天城高原牧場」標高750mの爽やかな高原には、伊豆では珍しい牛のPhoto_4 放牧が見られます。眼下には駿河湾も一望でき、晴れた日の眺めは最高です。また、牛乳と空気の美味しい店「牧場の家」では、搾りたての牛乳を1杯210円で販売中!新作のソフトクリームも人気(250円)!コテージやキャンプ場も併設しており、泊まっても楽しいスポットです。

Photo_2天城深層水」採取塔の前には、平日なのに水を汲みに来た人が数人並んでいる。地下1000㍍から汲み上げられた水は、アメリカやヨーロッパなどの水質と死因別死亡統計の研究で、飲用によって脳卒中や心臓病などの循環器疾患による死亡率を低下させると考えられているカルシウムイオンが豊富(58㍉㌘/㍑)な硬水である。場所 静岡県賀茂郡西伊豆町大沢里(おおそうり)628-1

途中の滝」雨のせいか道路わきに滝が出現水量もかなりある、禰宜のPhoto_3畑を通過し仁科川沿いに下る。

Photo_12慈眼寺」国道136号線からは仁科川沿いに3km程上ったところに、堀坂という地区がある。その地区内を流れる堀坂川沿いに約300m入ると大悲山慈眼寺がある。この寺も伊豆横道観音33ケ所の1つであり、第6番目にあたる。延徳元年、復山によって開山され、松崎帰一寺の末寺とされている。観音様は小さな如意輪観音像である。この山門の外、鈴木氏墓地の中に赤穂四十七士(忠臣蔵)でなじみの「寺坂吉右ヱ門」の墓と呼ばれてきた地蔵さんが安Photo_5置されている。墓なのか供養のための地蔵なのかはさだかではないが、昔からの言い伝えによ ると、快挙の後、供養のため僧形となり、諸国遍歴の途にあって、鈴木権内方に滞在し、この地で一生を終ったと言う。この寺の過去帳では「寺坂吉右ヱ門事一相西円上座」、「但し、江戸の人四十七人の一人」とある。又、富貴野山宝蔵院に梵鐘を献納した話なども伝えられている。西伊豆町掘坂

Photo_13Photo_6 東福寺」県道伊東西伊豆線沿いに、仁科川の清流を前にし、山門鐘楼の奥にこの寺がある。天福年間(約750年前)天福寺としてに健立され、その後東福寺と称され、本堂の天井には、大正末期に通称のん兵衛安さんという職人により漆喰で描かれた五百羅漢がある。 場所 西伊豆町中24-1

Photo_7延命寺」臨済宗建長寺派

Photo_14

天満宮」仁科地区の奥まった場所にあり、学問の神様である菅原道真が祀られている。
境内は木々に囲まれこぢんまりとしている。渡ることが困難な石造りの太鼓橋が面白い。場所 西伊豆町仁科字小田瀬

Photo_16天王神社」仁科港のすぐ山手にスサノオノミコトを祀った社があり、毎年7月16日に「天王様のお注連あげ」という行事が行われる。稲ワラを太さ20~30-、長さ80mに編み上げ社の頭上に張り渡す。西伊豆町仁科

Mikagura天神社のみかぐら」弘化4年(1847年)の覚え書き帳に記述があり、そのころより伝わるものと思われる、御神楽に用いられる獅子頭は2つあり演技は三通りの舞いが奉納される。毎年11月2日夜と3日朝行われる。

Photo_15白岩山壁画」西伊豆町仁科沢田の船溜まりの北側に小さな丘を掘り抜いて作られた岩窟があり、その壁面中央に本尊金輪仏頂尊が鉄線描きで描刻され、刻線には墨が入れられており、円形の光背には朱色が施され上部に白岩山の文字が刻まれている。流麗な線の美しさと適格な筆力で描かれており、凡庸な作品ではない。製作年代は鎌倉時代のものと思われるが作者については不明である。現在では、破損を避けるため、格子ごしに見ることしかできない。場所 西伊豆町仁科沢田

Photo_8堂ヶ島薬師堂」古来行基が阿弥陀・薬師・釈迦の三如来像を刻し三堂と建立安置したのが始まりで、文永三年臨済走島山長平寺として寺となすと言い伝えられている。天正18年(1590)小田原北条氏の領土であったが豊臣秀吉軍の攻略にあい兵火によって焼き払われた。その後甲州塩山前住宗元和尚が堂宇建立、三尊を安置し以後300年余伊豆堂ヶ島薬師如来として今尚信仰を厚くしている。

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