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2008年5月 4日 (日)

【ぶらり伊豆市1】国道136・414沿線

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Character_2伊豆市】は伊豆半島の中央部に位置し、直線距離で東京から約100Izumap_01 km、静岡市から約60kmとなっています。豊かな自然環境に恵まれ、南側は天城山系の山並みに囲まれ、西側では青く澄んだ駿河湾に面しています。中央部には天城山から発する狩野川が流れ、北部はその沖積層により形成された田方平野となって開けています。

修善寺温泉歴史の始まりは、平安初期に弘法大師が修禅寺を開基した頃からである。Image1104 当時は地名を桂谷と呼び、寺名を桂谷山寺といっていたが、鎌倉初期には、寺名を修禅寺というようになっており、地名も寺領だったところから修禅寺と呼んでいる。この時代には源範頼、頼家が幽閉され暗殺されるという源氏興亡の哀史の舞台となっている。室町後期に至り、現在呼ばれImg_0540 ているように、寺名を修禅寺、地名を修善寺と区別するようになった。徳川初期には、金山奉行の大久保長安が瓜生野金山を開発し、慶長小判などの金が採掘された。また、紙谷では修善寺紙が漉かれ、これを色よし紙といって上流社会で珍重された。徳川末期になって、下田開発と共に街道宿として、本立野宿が栄えている。温泉場としては、明治に至るまでImg_0497 には既にある程度開けていたが、この頃の宿は共同浴場を利用していた。明治になってから湯治客専用の内湯旅館が誕生し、交通機関などが整備されて、多くの文人墨客が訪れるようになった。大正末期には駿豆線が修善寺まで開通し、修善寺駅前周辺が整備されて急速に発展した。このとき、修善寺は他村に先がけ、郡下最初の町制が施行された。昭和30年代に至り、下狩野村、北狩野村と合併。その後、平成16年4月1日に修善寺町、中伊豆町、天城湯ヶ島町、土肥町の4町が合併し、伊豆市となった。

修禅寺」重要文化財

Img_0495 修善寺温泉発祥の寺で、温泉場の中心にある。平安初期の大同2年(807年)に弘法大師が開基したもので、当時は地名が桂谷と呼ばれていたところから桂谷山寺といわれ、伊豆国禅院一千束と正史に記されたほど格式の高い寺だった。
鎌倉初期になって建長年間(1250年頃)に蘭溪道隆(臨済宗鎌倉建長Img_0496 寺開山の宋禅僧)が住し、桂谷の風致が支那の廬山に似ているところか ら当時は肖廬山と号した。
南北朝時代の康安元年(1361年)になって畠山国清と足利基氏との戦禍を受け、応永9年(1402年)には火災を蒙り、永徳元年(1489年)に至り、韮山城主の北条早雲が外護者として再興し、叔父の隆溪繁紹(遠州Photo石雲院)が住して曹洞宗に改宗され山号も福地山と改められ今日に至っ ている。ここで源頼朝の弟・範頼[のりより]が自刃し、長子頼家が暗殺された。岡本綺堂[おかもときどう]の戯曲『修禅寺物語』はこの史実を題材にして書いたものとして知られる。

日枝神社」 修禅寺より少し北にある「日枝神社」、昔は修禅寺の鎮守さまであった。境内には夫婦杉の大木や県の文化財に指定されている一位樫がある。また、源範頼が幽閉され住んでいたという信功院跡(庚申塔のみ現存)がある。

Img_0539独鈷の湯

大同2年(807年)に、弘法大師がこの地を訪れたとき、桂川で病みつか れた父の体を洗う少年を見つけ、その孝心に心を打たれ「川の水では冷 たかろう」と、手にした独鈷杵(仏具)で川中の岩を打ち、霊泉を湧出させたという。
そして、大師が父子に温泉療法を教えたところ、不思議なことに、父の十数年の固疾はたImg_0506ちまち平癒したと伝えられ、その後この地方には温泉療 法が広まったという。いわゆる修善寺温泉発祥の温泉で、伊豆最古のものといわれている。

指月殿・源頼家の墓

指月殿境内にある。頼家は正治元年(1199年)に、父頼朝の死により家督を継いで、鎌倉二代将軍となった。幼少から才気活発で弓馬に長じ、Img_0505建久4年(1193年)の富士野の狩場で高名を挙げたこともある。
しかし家督を継いで間もなく、北条氏など元老の干渉も多く、さらに建仁3年(1203年)に罹病した時、相続のことが議せられて、北条時政と母政子 (時政の娘)が、子の一幡と弟実朝に分譲する案を出した。これに対し、一 幡の独裁を主張する一幡の母である若狭の局の父、比企能員と意見がImg_0501対立し、北条氏との間が次第に険悪化していった。
また、北条氏に対抗して頼家は、源氏の実権の回復に努め、能員と組んで北条氏を討とうとしたが、かえって能員と一幡は、殺され、頼家は修禅寺に幽閉されてしまった。そして翌年の元久元年(1204年)に時政の密計に より、修禅寺門前の虎溪橋際にある箱湯で暗殺された。このとき頼家は23歳という若さであった。現在、7月17日には地元の町内会により頼家忌が催されている(命日7月18日)。

Img_0531奥の院
温泉場より約5Km西の湯舟地区にあり、延暦10年(791年)に18歳の「弘法大師」が修行した所といわれている。ここには馳籠の窟という岩洞があり、その岩壁には阿吽の滝と呼ばれる滝が懸っている。滝の横には弘法大師降魔壇という修行石がある。これは大師が禅定を修する勝境を桂谷に求め、適地としてこの地を選んだが、天魔地妖が多く修行の妨げとなり、住民をも煩わすので、天空に向かって大般若の魔事品を書いたところ、金色に輝く六書八体の経文がはっきりと空中に現れたという。これにImg_0521 より魔衆はことごとく岩谷に閉じこめられてしまったといわれ、その後仏法 は広まり国土は治まったと伝えられている。現在、春季弘法忌には大師像を修禅寺より御興で運び1日安置するお上り、お下り、という行事が行われている。

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