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2008年5月24日 (土)

【ぶらり裾野市2】国道246号編

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Photo_7Img_0070_3景ヶ島渓谷と依京寺」名勝地

景ヶ島渓谷は黄瀬川の支流にあり集塊岩や溶岩 流が侵食された奇景に富む渓谷です。景ヶ島渓谷中央の依京寺は、空海の作と伝えられる由緒ある聖観音像が自然のままの岩に彫られており古くから信仰の対象になっています。境内には各種の石仏や石造物があります。

屏風岩」県指定天然記念物

Img_0073富士山裾野の縁を流れる佐野川が富士山の玄武岩溶岩流を600mにわたり侵食して出来たのが景ヶ島渓谷です。その末端の谷壁に見事な柱状節理が高さ10数m、幅50m滝壺から10mの範囲で露出しています。これは溶岩の中心部が冷却に伴って収縮し垂直に割れ目が入ったもので六角形の柱が何百本と谷壁を作っており侵食により谷壁状に露出し直接観察でき学問的にも価値の高いものです。

深良用水

Ysui_map  箱根山の外輪山をくりぬき芦ノ湖の水を箱根西麓の地域に流し込む深 良用水は、1670(寛文10)年の完成以来、現在に至るまで重要な農業・生活用水として、この地域に暮らす人々にとってかけがえのない産業・生活基盤の社会資本として利用されている。従来、深良用水開削以前の裾野市域は水に乏しかったと言われてきたが、深良用水を単に日損田への水Dsc006871 不足対策という一義的な見方をするのではなく、新田開発が数多く行われた当時の世相をも鑑みて語る必要がある。深良用水が開発されたころ、つまり江戸時代初期のようやく幕府の支配が固まってきた17世紀後半は、全国各地で投機的な新田開発がブームのように行われた時期で あった。江戸町人による開発は、駿河以外でも、武蔵・相模・下総・上野・Dsc006941 下野に確認できる。近隣でも、阿田野原(小山町)・東山新田(御殿場市)・小倉野新田(小山町)で町人請合による新田開発が行われている。こうした事例に見られる投機的側面をそのまま深良用水開削に当てはめるのはいささか無理があるかもしれないが、開発に至った時代背景として理解 しておく必要がある。深良用水開発の発起人は文献の上でも当時の深良Dsc007181 村の名主・大庭源之丞の名前になっており、彼が計画の構想をし、友野与右衛門ら元締衆に工事を託したと伝えられる。友野与右衛門は江戸浅草の町人で、本業は不明だが、深良用水開発前にも、現在の横浜伊勢佐木町周辺にあたる「吉田新田」の埋め立て新田開発にたずさわっていた人物で、深良用水の開発は彼を中心とした元締衆により進められた。
Yousui1 1663(寛文3)年、与右衛門らは箱根神社の別当快長を通じて箱根大権現・東照大権現(徳川家康を神格化したもの)へ立願状を提出する。芦ノ湖は箱根権現(箱根神社)の「御手洗池」と言われ、領有権自体は幕府が持っていたものの、箱根神社とは密接な関係にある芦ノ湖の水を使わせてもらうということから、まずは箱根神社への立願をもって許可取得の運動をはじめたのであろう。しかし、このとき開発願いは認可されず、それから3年後の1666年、ようやく開発請負手形を小田原藩と幕府に受理され開発許可を得る。

Dsc007151 1666(寛文6)年夏、工事は着工された。本来こういった工事の場合、目論見帳と呼ばれる工事計画書や出来高帳と呼ばれる工事完了報告書を作るものだが、深良用水の場合は工事費元締負担ということで作成されなかったらしい。そのため工事方法は今もって不明であるが、金堀とよばれた鉱夫の存在を確認できることから、鉱山技術が利用され掘削されたWebimg_2047_1_syusuimon_2 ものと考えられている。隧道の中程に高さ約1メートルの段差がある。これは両側から掘り進んだための誤差であろうと永年言われてきたが、水流の勢いを変えるための細工ではないかとの説もある。隧道は所々蛇行して掘られており、これは岩石の質によるものと考えられている。また本道とは別に、換気のために掘られたと思われる坑道が確認されている。この坑道は隧道から地上に2箇所堀抜かれていて、それぞれ本道の天井裏に掘られた副道につながり、本道天井にいくつか掘られた息抜き穴へと通じている。
1670(寛文10)年春、掘削工事は完了し湖尻峠の地下に長さ1.28キロメーDsc006941_2 トルのトンネルが完成した。また、翌年には小田原藩によって新川が作られ、用水を黄瀬川に通水させることにより、より多くの村々に水が行き渡るようになった。

1707(宝永4)年の「箱根水懸り村々高帳」という文献によると、深良用水の水を使う村々の総石高約11,344石のうち約4,324石が用水掛り、つまり深良用水を通る水によって収穫された分が、実に全体の38%にも及ぶ。仮にこれがすべて用水開発によって増えた分と考えると、1.6倍も収穫量が増えた計算になる(*深良用水の定義は隧道部分のみでなく、各堰を通じた末端の用水路までを含む)。
 深良用水の開発には堰の整備も含めて9,700両かかったと言われており、このうち6,000両は幕府からの借金である。大きな利潤を期待して開発にあたったであろう元締たちの負担はたいへん大きく、借金返済に追われ自己資金の回収もままならなかったものと思われる。その結果、用水の維持管理を十分に行うことができず、1689(元禄2)年、ついに用水権を幕府に取りあげられてしまう。友野与右衛門の名前はそれ以後文献には一切登場せず、どのような晩年を過ごしたのかは分かっていない。

※ 米1石=米約150kg※ 1両=米価換算で現在の約10万円(江戸時代初期)

『裾野市史』6・8・9巻

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