【ぶらり下田市2】
浄土真宗。「お吉の眠る寺」。お吉記念館(8:00~17:00)には、お吉とハリスの遺品や写真などのほか、当時の下田の風俗をしのぶ資料を展示しています。嘉永七年(安政元年1854)三月に締結された日米和親条約によ
り下田開港となり、ここ宝福寺は新たに設置された下田奉行都筑駿河守が宿舎とし仮奉行所となった。たまたま訪れていた勝海舟が土佐 藩山内容堂に坂本竜馬の脱藩の罪許しを請い認められた。安政の東海地震では津波が本堂の床上まで達したという。場所下田市1-18-26
「泰平寺」臨済宗。下田初代領主・戸田忠次の墓があります。今も残る城下町としての下田の姿は彼によってかたち造られました。三河国田原の豪族であった戸田忠次は天正18年秀吉の小田原攻めに際し徳川氏の下で功をたて、伊豆国が家康の支配下になると下田5千石を封じられた。慶長2年(1597)死去しここ泰平寺に葬られた。
「長楽寺」真言宗。日露和親条約の調印(1854年)翌年、日米和親条約の批准書交換が行われた寺。下田市指定史跡。場所 下田市3-13-19
「下岡蓮杖の碑」下田生まれの画家・下岡蓮杖はペリー艦隊来航時の西洋の写真術を熱心に学び、日本の写真術の開祖となりました。寝姿山の山頂には、蓮杖写真記念館があります。また、豆州下田郷土資料館にも蓮杖に関連した資料や写真が残されています。
「ペリー上陸記念碑」嘉永七年(安政元年-1854年)再来したペリーと幕府の間でもたれた日米和親条約の交渉過程で、開港地として下田港が提示されると、ペリーは調査船を派遣した。下田港が外洋と接近していて安全に容易に近づけること、船の出入りに便利なことなど要求している目的を完全に満たしている点にペリーは満足した。条約締結により即時開港と
なった下田に、ペリー艦隊が次々と入港した。そして、ペリー艦隊の乗組員が上陸したのが、下田公園下の鼻黒の地であった。ここを上陸記念の地として、ペリー上陸の碑が建てられた。
この記念碑のペリー像は、故村田徳次郎氏の作品であり、記念碑の前の錨は、アメリカ海軍から寄贈されたものである。
「了仙寺」国指定史跡。”日米和親条約(1854年)の調印式が行われた寺。了仙寺は寛永12年(1635年)、第2代下田奉行・今村伝四郎正長によって創建されました。大阪夏の陣の時、目に病を持たれた徳川家康公は、家臣の勧めにより、当時目の神様として崇められていた身延山久遠寺第十一世の行学院日朝上人に病気平癒の願をかけられました。その祈願が
成就したため、徳川政権安定の時に寺を建立することを約束されました。今村正長公によって創建された了仙寺には、当時の幕府の将軍・徳川家光より朱印状によって領地が与えられ、家康公の祈願成就に奉じました。従って、了仙寺の寺紋は徳川家の紋である三つ葉葵です。1854年、日米和親条約が締結され、ペリー艦隊が開港された下田に入港すると、了仙寺はペリー一行の応接所兼幕府との交渉場所となり、和親条約の細かい取り決めである下田条約がここで結ばれました。アメリカンジャスミンで有名です。これからジャスミンの花の季節です。 場所 下田市3-12-12
「玉泉寺」米国総領事タウンゼント・ハリスの領事館当時愛用の品々や関連資料などを展示しています。その他、吉田松陰の遺品や、日本最古の銀板写真なども鑑賞することができます。場所 下田市柿崎31-6
「ナマコ壁の家屋」市街地の各所に残るナマコ壁や伊豆石の家屋。路地から路地を歩けば下田ならではの景観に出会えます。外見をそのままに中を改装した店舗などもあります。
「上原近代美術館」モネ、ルノワール、マティスらの西洋近代絵画、梅原龍三郎、安井曽太郎、須田国太郎、川合玉堂、伊東深水らの日本の絵画、マリーニやマンズーらの彫刻の中から、季節ごとにテーマを変えて展示しています。 営業時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)入場料: 大人800円/小人400円(団体20名以上10%割引) 場所 下田市宇土金341
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