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2008年5月23日 (金)

【ぶらり裾野市1】国道246号編

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200805100900344861_2裾野市」は静岡県の東部に位置し、麗峰富士の裾野に広がり、東に箱根の山々、西に愛鷹連山と自然豊かな工業のまちとして発展しています。面積は138.39平方キロメートル、人口は約53000人で、便利な交通網と気候温暖で水と緑に恵まれた、自然と産業の調和するまちです。また、平成7年には『健康文化都市』を宣言し、「すがすがしく、すこやかに、たすけあいに生きるまちづくり」を目指しています。そして、裾野市の一番の自慢は雄大な富士山の眺望です。稜線が最も美しく、優雅で、気品に満ちた四季折々の富士山をぜひご覧ください。(裾野市HP)

裾野市の歴史

1193年源頼朝、富士山麓で巻狩。1221年承久の乱。大森氏・葛山氏、幕府軍に参加。1495年北条早雲、大森氏から小田原城を奪う。1516年今川の甲斐侵攻に「葛山氏」も出兵。1526年甲斐の梨木平で武田・北条の合戦。1537年今川・武田の縁組み。北条氏駿河に侵攻(河東一乱のはじまり(~1545))。1554年駿甲相三国同盟成立。(駿河郡の葛山氏支配の安定期)。1560年桶狭間の戦い今川義元、織田信長に討たれる。1568年武田・徳川、密約を交わし東西から今川氏を攻める。「葛山氏元」、武田信玄に内通して今川に背くが、北条氏政、すぐさま今川氏に援軍を差し向け、葛山氏の領国を制圧。1570年信玄、深沢城(御殿場)を北条氏から攻め取る。葛山氏の旧領には葛山氏ではなく御宿監物を置く。1573年武田信玄から反逆の疑いをかけられた「葛山氏元」、信玄の追求を受け諏訪湖で投身。その2か月後に信玄病死。1582年武田氏、織田信長によって滅ぼされる。駿河は徳川家康領に。1590年豊臣秀吉の小田原攻め。3か月の籠城ののち開城、北条氏滅亡。秀吉の天下統一。1592~98年秀吉の朝鮮出兵。1600年関ヶ原の戦い(全国支配の実権は徳川家康の手に)。1603年江戸幕府成立。1666~70年深良用水開削工事。1707年富士山の一番新しい噴火。宝永火口はこのときの噴火火口。1853年アメリカ海軍東インド艦隊長官ペリー"黒船"にて来航。1854年~ペリー再来航。この年から異国船対策のための臨時徴税が、駿東の各村にも本格的に課されるようになる。1867年大政奉還。江戸幕府滅ぶ。1871年廃藩置県。静岡県の誕生。1887年東海道線佐野駅開設。1952年泉村と小泉村が合併、裾野町誕生。1956年深良村が裾野町に合併。1957年富岡村と須山村、裾野町に合併。1971年裾野町、市制施行し裾野市となる。

河東一乱(かとういちらん)】後北条家の祖、早雲が国持ち大名になる以前より早雲の後見をしていた今川家は、北条氏が相模に入った後も同盟関係を続け、北の武田に共同して対峙してきた。しかし、1536(天文5)年、今川家の時の当主氏輝が急死し、花蔵の乱と呼ばれる家督争いが生じる。翌1537年、この争いに勝った義元は、家督を継承するとすぐに、それまで敵対していた武田信虎の娘と縁組みする。これに対して北条家の当主氏綱は即座に今川と断絶、軍勢を駿河に侵攻させる。河東一乱と呼ばれる8年あまりにもおよぶ戦争の始まりである。それまでの今川・北条対武田という構図は、今川とそれを支援する武田と北条という構図に一気に塗り変わった。
河東とは富士川から箱根までの一帯を指す。緒戦での北条軍の勢いはすさまじく、今川・武田の婚儀が行われた2月10日からほぼ一月の間に河東地域を制圧してしまう。これ以降、富士川西岸周辺や駿河郡(現在の駿東郡域)北部の甲斐国境をはさんで、両軍の争いは断続的に続けられた。しかし、河東一乱の直中である1541(天文10)年6月、武田家においてクーデターが起こり、当主信虎は嫡男晴信(信玄)によって駿河に追放される。こののち、1545(天文14)年まで、河東地域における武田軍の動きには、目立つものが見られなくなった。なお、同1541年、北条氏綱が没し、嫡男の氏康が家督を継いでいる。
1545年、それまで内々に行われていた京都聖護院門跡道増によって行われていた和議が不調に終わると、今川氏元の反抗が開始された。8月11日に富士郡善得寺城で武田信玄と合流した氏元は、9月16日に吉原(富士市)を奪還、今川・武田両軍は東進し、9月19Photo 日には長久保城(長泉町)周辺で戦っている。北条方は小田原から北条氏康が出陣するも抗いきれず、和睦して長久保城を開城、領国の三島(三島市)に撤退した。
ここに河東一乱はようやく終息し、6年後の1551(天文20)年、駿甲相三国同盟締結に至り、この地域にはしばしの安定をもたらす。
Photo_2 なお、河東一乱以前、一貫して北条・今川方につき、北の武田に対峙してきた「葛山氏」は、時の当主氏広が北条家出身の者と思われ、河東一乱の間北条方に与していたものと思われる。その間、「葛山氏」は北条氏に従属し、支配の実権は北条氏が持ち、「葛山氏」は前面からは退いていた感がある。しかし、河東一乱後の氏元の時代、今川氏との良好な関Photo_3 係の中で、「葛山氏はこの地域での支配権を確立していく

「裾野市史」2・8・9巻

葛山城址」葛山は室町・戦国期をつうじて東駿一帯に勢威を振るった今Photo_4 川氏国人衆の一人葛山氏の本拠地です。平時に住居とした館址と戦時に備えた城址があります。城は愛鷹山を背景に、宮川を東に館址から230m北西に位置し、城域東西350m南北70m余りです。城の構造は主郭、二の曲輪、東曲輪、曲輪、大手曲輪とその他小郭群、堀切からなり、山頂部を階段式に削平して主郭を中央に設け、その左右に曲輪を配している並郭式の山城といえます。市指定史跡。

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