« 【ぶらり近くの東海道】原編Ⅱ | トップページ | 【ぶらり近くの東海道】原編Ⅳ »

2008年4月 1日 (火)

【ぶらり近くの東海道】原編Ⅲ

にほんブログ村 地域生活ブログ 静岡情報へ

ぶらり近くの東海道】原編Ⅲ

Photo_2064【清梵寺(お地蔵さん)】臨済宗妙心寺派 今からおよそ1200年前、安房の国に帰国途中の勤得萬長者がこの地で息を引き取り、大きな塚に葬られました。そして、この地を大塚と呼ぶようになったといわれています。この長者の死を知らされた妻は、梵貞尼という尼になり、夫の死んだ原宿を訪れお墓参りをしました。このとき休ませて戴いた網元の網に亡きPhoto_21 夫が朝夕拝んでいた一体の地蔵菩薩がかかりました。これを聞いた網元は心を打たれ、自ら清信禅居士と号し、梵貞尼と力を合わせて、お堂を建て地蔵菩薩の尊像を安置しました。そして、この地に山号を得萬山と号し、清信、梵貞の二文字を取り「清梵寺」というお寺を建立しました(清梵寺の縁起) 平成12年、お地蔵さんと呼ばれ信仰を集め地域の皆様に親しPhoto_22 まれている地蔵菩薩が約5百年ぶりに完全修復され、金色に輝く姿に復元されました。このお地蔵さんがいつ頃造られたか確かな文献はありませんが、修復時に後頭部内から出てきた文字から「文亀2年」を読み取ることができ、ちょうど5百年ほど前の室町時代末期、戦国時代にかかる1502年には存在していたことが確認されました。その後、1573年と記した文献には無色とあり、金色を取り戻したのは「彩色あり」と記された1502年以来、約5百年ぶりであります。また、残された文面に「万民快楽心身安泰二世願望成就」とあり、この時代に人々が楽しく暮らせ、子宝に恵まれることを願って造られた事がうかがわれます。場所 沼津市大塚278

Photo_23 65【長興寺(こんぴらさん)】臨済宗妙心寺派 ミニストップの先に看板と石柱があり左折し正面。約640年前、康安年間(室町時代)のこと、鎌倉・建長寺の開山、大覚禅師のお弟子の友獄和尚が行脚中に原の浜辺にさしかかりました。その時、海の響きに感応道交して身心脱落(しんしんだつらく)。歓喜雀躍して、念持仏の虚空蔵菩薩を奉安し一堂宇を建立しPhoto_24 ました。その場所が砂州の上にあり、満潮の時にはあたかも海の上にあるかのように見えたので、山号を海上山としました。江戸時代なかば、白隠禅師の道友(どうゆう)であった、大義(だいぎ)和尚(当山準開山)によって清見寺(せいけんじ)末となり、妙心寺派となりました。このような開創の因縁により、当山は海と御縁の深いお寺で、海の神様、金毘羅山大権現Photo_25 を鎮守神としておまつりしています。昔、駿河湾ではマグロやカツオなどの漁が盛んでした。お祭りには大漁や海上安全を祈願する漁師が、地元のみならず西浦方面からも舟でお参りし、にぎわったと伝えられております。近年、金毘羅堂も再建され、毎年5月の最終日曜日に開催される例大祭には、赤ちゃんのすこやかな成長を祈願する恒例の「奉納泣きずもう」がPhoto_26 行われます。江戸時代、お隣の松蔭寺には、日本臨済禅中興の祖として仰がれる白隠禅師の指導を求め、全国から修行僧が参集。その数、数百であったと記録されています。その折り、当山も宿坊として使用されました。修行者が松蔭寺へと参禅にかよった道が今も残っており「白隠道」と称されています。場所 沼津市大塚299

Img_1709 66【松陰寺(白隠さん)】長興寺から暫く行くと石柱がある左折正面にあります。一休や沢庵和尚と並んで庶民に親しまれた江戸中期の名僧 「白隠禅師」(1685~1768)ゆかりの寺です。 臨済宗の古寺で、歴史は約700年あり、名僧白隠が住職になってから特に有名である。現在は臨済宗白隠派大本山である。「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とうたわれた【白隠禅師】は、駿河国原宿長沢家の3男として貞享2年(1685)に生まれ、幼名を岩次郎といった。10歳で出家14歳で慧鶴の名を得て19歳からは諸国修行を重ねた。1704年美濃大垣瑞運寺~Img_1728 宝永3年伊予松山正法寺~宝永5年越後高田英厳寺~信濃飯山正受老人~1712年遠江龍谷寺~1714年伊勢山田建国寺~若狭円照寺~河内法運寺~和泉蔭凉寺~信濃保福寺~1715年美濃巌滝山~1716年父の病で松陰寺に戻る。享保2年(1717)松蔭寺の住職となり、翌3年34歳の時京都妙心寺の第一座となった。その後、禅の大衆化を図り、ついに50Photo_27 0年に1人と言われるほどの高僧となり、臨済宗中興の祖と仰がれた。その他白隠は禅画を確立した事でも有名 好んで釈迦,観音,達磨等を描きその名も高い。「擂り鉢の松」特に親交の深かった備前岡山池田氏は白隠の求めに応じて備前焼の大擂り鉢を贈りました。白隠はある日、庭の松が台風で裂けたため、雨よけにと擂り鉢をその裂け目にかぶせました。松はこの擂り鉢をのせたまま育ち、今も「擂り鉢の松」として親しまれています。原宿の旧本陣(渡辺本陣)の門と松が、松蔭寺内に移築されています。山門手前に「白隠の里案内図」が設置(2008年3月)されました。

« 【ぶらり近くの東海道】原編Ⅱ | トップページ | 【ぶらり近くの東海道】原編Ⅳ »

【東海道ぶらり歩き】」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 【ぶらり近くの東海道】原編Ⅲ:

« 【ぶらり近くの東海道】原編Ⅱ | トップページ | 【ぶらり近くの東海道】原編Ⅳ »

2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

訪問者カウンター

「美味い店」

  • 「ロールケーキ#バトン」沼津
    沼津近郊には美味しい店がいっぱいあります

「美味イタリアン」

  • S20190406_152648
    沼津近郊ピッザやパスタが美味しいイタリアンの店

「美味い寿司店」

  • 「海鮮丼専門店 伊助」沼津港
    沼津に来たら美味いお寿司をどうぞ

最近のトラックバック

フォト

静岡プログ村

ウェブページ

無料ブログはココログ