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2008年4月 3日 (木)

【ぶらり近くの東海道】原編Ⅴ

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ぶらり近くの東海道】原編Ⅴ

Photo 70【帯笑園植松家】すぐ先信号左折。沼津市原にある帯笑園は、旧東海道の宿場町、原宿の豪農であった植松家の庭園として造園され、街道きっての名園といわれた庭園であり、多くの大名や公家たちが立ち寄ったと言う。(庭園、盆栽(松等)、桜草、マツバ蘭、オモト等の鉢物が有名)その美しさは幕末の博物学者シーボルトも絶賛したと伝えられています。当Photo_9 時の庭の在り方を示す、貴重な歴史資料ともいえる。一方で、書画骨董の収集に努め、コレクションは江戸時代後期から近代初頭の日本を代表する作家たちにより構成されていた。

71【浅間神社】原交番先街道右にある。原「浅間神社」は慶弔14年Photo_2(1609)武田家臣の植松平次右衛門季重が創建、明寺2年の火災で社殿は再建大正2年境内を拡張し社殿を移築、昭和13年に本殿、拝殿を改築した。原交番東交差点の左右の道は、興国寺城通りと命名されている、興国寺城は伊勢新九郎長氏(後の北条早雲)の旗揚げの城として名高 い、根古屋と青野の境の篠山という愛鷹山の尾根を利用して築かれた山Photo_3城で、後北条氏の祖である北条早雲が最初に城を与えられ、旗揚げした城。 城の南部には、原宿のある東海道に通じていて交通の便はよいが、途中に広大な浮島ヶ原湿原があったため、難攻不落の城だったようである。 交差点を越えると西町になり神社の前には原宿と浮島マップと いう絵看板があり、それを見ると愛鷹山の山麓に多くの寺院が集まり、原Photo_4宿周辺には神社が多いことがわかる。太古から原宿の北西には富士の湧き水が溜まる浮島ヶ原湿原が広がり、これが地元民の生活に支障をきたしていたようである。墓地は安全な高台に、生活の場には安全祈願の浅間神社を祀ったということだろう。ここには、夢舞台東海道 原宿の道標があり、吉原宿まで二里三十二町(11.3km)と表示されていた。

Photo_5 72【昌原寺】浅間神社向かい。日蓮宗、大仙院日耀の開山。開基は、徳川家康の側室、お万の方(養珠院日心大姉)である。元和元年(1615)春、東海道原宿の渡辺本陣にお万の方が宿泊されたとき、南無妙法蓮華経のお題目が、聞こえてきた。ただちに本陣渡辺八郎左衛門ともない庵に入り、読経を聴聞されたのち、庵主、地主庄司七左衛門を呼び、こPhoto_6 の地に一山を構えるように要請した。お万の方は、法華経の信者として朝暮に日蓮大聖人の御真影を敬拝していた。この御真影は、日蓮聖人の自点眼尊影として、昌原寺落成のとき駿府城を通じて当山に寄進され寺宝となっている。また、徳川幕府より境内地5反30畝、大門40歩のほか、御真影供養料田地1反5畝を賜った。そして元和8年に念願が成就し、寺院を、建立して現在にいたっている。場所 沼津市原216

Photo_873【原宿問屋場西跡】原宿の問屋場は、本陣跡よりすぐのキタムラ手芸店付近にあったらしい。原宿の問屋場は西問屋場と東問屋場があり隔月交替で業務を行っていたが東問屋場が火災で焼失し以降は昌原寺入口と本陣との間にあった西問屋場だけで業務を行った(問屋場には長たる問屋、年寄り宿役人の下に帳付け、馬指などの下役人等が働いていた)

Photo_7 74【渡辺本陣跡】問屋場からすぐ左に有る。西問屋場西側には代々渡辺家が務めた原の本陣があり、本陣が賄いきれない時に利用された脇本陣は始めは東町の高田家が務めていたが火災に会ってからは幕末の一時期、香貫屋、若狭屋の旅籠が務めた。一般旅籠は天保前期には中小約25軒位あったが、その後度々の火災で軒数の移動があった。原浅Photo 間神社西側には幕府の禁令、定書等を記し掲げた高札場があり、西問屋場隣には人馬継立が宿内で賄いきれない時、付近の村々に人馬調達させる助郷制度の下で村々から選ばれた総代が務める助郷会所があった。他に幕府に治める年貢米、凶作の為の備蓄米等を保管する郷蔵が昌原寺南側にあり、松蔭寺附近に宿の治安警備の為の自身番所があった。先の門構えの家の前に、「東海道原宿本陣跡」の標石があった。本陣は、阿野全成(源頼朝の弟)の末裔という渡辺家が、代々平左衛門を名乗り、幕末まで務めた。

Photo_10 75【徳源寺】子安さん、内海ふとん店の先に看板と石柱。臨済宗妙心寺派、建久4年(1193)源頼朝公が行った富士の巻狩りの際、陣屋が置かれたことから始まりました。境内地は、現在「御殿場」という地名として残っております。その後「今津寺」という律宗の寺院を経て、鎌倉円覚寺開祖仏光国師(無学祖元禅師)の弟子帰化僧賢宗が、北条時宗の帰依を受けてPhoto_11 弘安元年(1278)に徳源寺として創建しました。賢宗は、円覚寺建立に尽くされ、その功績により後光厳天皇から圓満護国禅師の諡号(しごう)と紫衣(しえ)を賜っております。円覚寺派を経て戦国時代には、吉原宿今泉にあった今川家公寺善徳寺の末寺となり、その後承應3年(1654)妙心寺派中本山興津清見寺の松巖宗蜜(しょうげんそうみつ)老師を拝請し準開Photo_12 山とし清見寺末寺となり妙心寺派となりました。江戸時代には、徳川家光から修復料百両と寺領14石の朱印状を受けております。時の権力者の影響を常に受けていたお寺といえます。境内には「頼朝お手植えの松3代目」とされる数百年たった松があり、庭は東海道の名園といわれた原宿の有徳家植松本家の「帯笑園」の名残を残す富士山の溶岩の庭「対笑園」があります。
原宿は、江戸時代宿場町として栄え、公家、武士、朝鮮の陶工等多くの文人墨客が江戸時代後期に訪れ、これらの方々が残した墨蹟・画・書等を画帳にまとめた「搨(とう)錦帳」やオランダ商館長ヤン・コック・ブロンホフの書や岸派(がんぱ)・四条派の絵、白隠禅師の墨蹟等有しております。 場所 沼津市原297

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