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2008年4月29日 (火)

【ぶらり香貫(かぬき)・静浦・伊豆の国14】

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20【伊豆の国市1】伊豆の国市は、伊豆半島の北部、田方平野のほぼ中央に位置します。東は箱根山系の連山に、西は城山、葛城山などの山々に囲まれ豊かな自然環境を保っています。平野部は南北に狩野川が流れ、豊かな田園地帯が広がっています。
 また、狩野川に沿うように国道136号、伊豆箱根鉄道が走り、周辺に市街地を形成しています。Ithizu

かの源頼朝と北条政子のロマンスが、この地に芽生えたのは平安末期。鎌倉時代の日本はここ伊豆の国からゆっくりと動き始めたのです。

北条政子産湯の地

Dscn0188源頼朝の妻・政子は北条時政の長女として1157(保元2)年、この地に誕生した。このあたり一帯はかつての北条館の跡であり、付近の字名を「御産所」といい、この井戸の水は安産に霊験ありとの伝承から近年まで妊婦に飲ませていたという。場所 伊豆の国市韮山町寺家

蛭ヶ島

Dscn0196源頼朝配流の地。平治の乱に敗れた源頼朝は、平清盛に継母・池禅尼の命乞いによって伊豆の蛭ケ小島に配流され、1160(永暦元)年2月の14歳の少年期から、1180(治承4)年8月に旗挙げする34歳までの20年間をこの地で過ごしたとされる。流人とはいえ、その監視は比較的ゆるやかであったと思われ、伊東祐親の娘・八重姫との恋、北条政子との結婚のほか、箱根・伊豆山・三島の三社詣、天城山での巻狩りなどの伝承も残されている。当時の蛭ケ島は洪水の度に田方平野を縦横に流れていたであろう狩野川の中州、あるいは湿田の中の微高地(田島)であ ったと考えらDscn0195れる。他にも蛭ケ小島と称する中州がある中で一番小さかったことから後年「蛭ケ小島」と呼ばれるようになったものであろう。江戸時代の末に伊豆の地誌「豆州志稿」を著わした秋山富南が、この場所を頼朝配流の地と考証したことを記念する」蛭島碑記」(町指定文化財)が立っている。周辺の公園整備が進む中で平成16年3月18日、富士に向かって頼朝と政子が寄り添って立つブロンズ像「蛭ケ島の夫婦(ふたり)」が除幕された。

西琳寺/あやめ御前

Photo_2あやめ御前」は今からおよそ800年前、長岡古奈に生まれました。後、源頼政と結婚し、幸せな家庭を築きますが、源平の戦いで頼政は亡くなり、「あやめ御前」は長岡の地に戻り、頼政の霊を弔いました。
源氏あやめ祭は、あやめ御前の霊を慰める為に開催されます。祭り期間 中は、供養祭をはじめ、あやめ御前パレードや芸者衆の踊り、演芸会等Photo_3開催され盛大に祭りが繰り広げられます。

場所 伊豆の国市長岡古奈

願成就院

Photo_4「運慶作仏像」の寺。国指定史跡。1189(文治5)年、源頼朝の奥州攻めの成功を祈って、北条時政が建立した寺であるが、北条氏の氏 寺的性格を強く持っていた。その後子どもの義時や孫の泰時によって堂塔が整備され、壮大な寺院となっていった。戦火にあって堂宇は失われたが、発掘調査で大御堂・南新御堂・南塔・池畔などの跡が明らかになっている。Photo_5寺には1186(文治2)年、運慶が30代の時に造った阿弥陀如来・毘沙門天・不動三尊と、その胎内銘札(いずれも国指定重要文化財)や北条政子の7回忌に造られた政子地蔵、本堂の阿弥陀如来像(ともに県指定文化財)など多くの寺宝が伝えられている。境内には北条時政の墓・足利茶々丸の墓・茶々丸首洗いの池などがある場所 伊豆の国市韮山町寺家83-1

香山寺

Dscn0214頼朝に打たれた「平兼隆」の寺。頼朝の旗挙げの際、真っ先に血祭りに挙げられた平兼隆(法名は香山寺殿興峰兼隆大禅定門)を祀る寺である。境内には兼隆供養塔や室町時代の六地蔵石憧という石塔などが残り、アーチ状の山門は明治のころ存在した伊豆国生産会社の門を移築したものである。場所 伊豆の国市韮山町山木868-1

山木判官平兼隆館跡

Yamaki 1180(治承4)年8月17日の夜、折しも三島明神の例祭で山木館の郎党が祭に出かけ手薄になるのを見越して頼朝は兵を挙げた。一行は真夜中に北条館を出発、牛鍬大路を通り先ず多田館の堤信遠を討ち取ってから、天満坂を越えて山木館へと向かった。山木館も激戦の末ついに陥落、平兼隆は加藤景廉によって討ち取られた。
 館にかけられた火は、北条館で今や遅しと戦勝を待ちわびる頼朝へ勝利を知らせるとともに、源氏再興の狼煙となった

真珠院

Dscn0885Dscn0889頼朝との悲恋の人、「八重姫」の寺。中世に始まる曹洞禅林としての真珠院は、歴代の住僧たちによって、近隣の寺を末寺として取り込み 壮大な寺院に発展した。
 山門を入ってすぐ右側には八重姫(静姫)の供養堂がある。伝承によれば、頼朝のあとを慕って伊東から山を越え北条館を訪れた八重姫は、頼朝の心変わりを知り、この寺の前にある真珠ケ渕に身を投じて果てたという。場所 伊豆の国市韮山町中条2

成願寺

Photo源氏再興の悲願を胸に、若き頼朝は三島明神への百日詣でに通う道すがら、折にふれ原木にある餅売りの媼の店に立ち寄った。媼は不遇な源氏の御曹司を励まし、時には蛭ケ小島を訪れ餅を献じることもあったという。1180(治承4)年8月、頼朝は兵を挙げ平家を倒して鎌倉幕府を開いた。頼朝は旧恩を忘れず、媼を訪ね「何なりと望みをかなえよ う」と言ったPhoto_2ところ、媼は「私は老い先短いので、阿弥陀仏を拝んで余生を送りたい」と願ったという。頼朝は早速阿弥陀仏を与え、一寺を建立して媼の望みをかなえてやった。成願寺は媼の「我が願い成る」と喜んだ言葉を寺号としたものである。本堂に向かって左側に餅売媼の墓がある。場所 伊豆の国市韮山町原木158

  「成福寺

Photo_7北条氏ゆかりの蓮の寺。鎌倉幕府8代執権・北条時宗の第3子正宗(幼名満市丸)が、鎌倉幕府滅亡の年、1333〔正慶2)年に北条一族の菩提を弔うために一宇を建立したという。正宗の長子・宗仁がこれを修造し成福寺となった。本堂北側には北条一族の供養塔がある。境内には世界中から集められた200種・300鉢の花蓮があり、毎年6月中旬から8月初旬の早朝Photo_6から午前中にかけて開花し見学者で賑わう。伊豆の国市韮山町四日町981

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