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2008年3月26日 (水)

【ぶらり近くの東海道】沼津編Ⅷ

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ぶらり近くの東海道】沼津編 Ⅷ

Photo_11 34【浅間神社】33から交差点を右折し次の交差点手前右にあります。地元では浅間さんと親しまれ、七五三・初宮参りなどの祈祷や例祭・夏越大祓式・初詣・節分祭など、多くの参拝者で賑わいます。 「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」をお祀りすることから、境内には桜の木が目立ち、2月下旬に開花する早咲きの桜は参拝者を驚かせます。古くよりPhoto_12 縁結び・安産の神として篤く信仰され、結婚式を始 め人生儀礼のお参りが多いです。同じ社には延喜式内社「丸子神社」も祀られ、剣・鏡・鍬など、鉄工芸の守護神「金山彦尊(かなやまひこのみこと)」を祀っています。例祭(9月15日)・夏越大祓式(6月30日)・初詣・節分祭には多くの参拝者で賑わいます。

Img_0410 35【真楽寺】 34の西側前にあります。浄土真宗大谷派 親鸞聖人を開基とする国府津の勧堂が北条時代の戦火を避けて富士郡蓼原村(現:富士市蓼原)へ移り更に天正年間(1573-1592)に現在地に移転した。本尊は阿弥陀如来。昭和20年の戦火で全焼し昭和29年に再建。現在はビルになっている。場所 沼津市末広町  寺院左側に昭和8年創業の和菓子屋いせや本店(幸町2、9:00-19:00第三水曜休)がある。粒あんの中に和三盆糖が入っている平作最中(大137円小95円)やそばまんじゅう沼津五万石(116円)などがあり沼津御用邸記念公園の特製菓子も作っている。

Photo_9 36【乗運寺】35から交差点を越え南に行くとすぐ右にあります。浄土宗京都知恩院の末寺で「三枚橋城主松平康親」、「沼津城主水野忠友」の菩提所である。旅の「僧長円(増誉上人)」が土地の人々の潮風の害に苦しむ姿を見てお経を唱えながら松の苗を植え続けた、人々はその行いと徳をたたえ草庵を建てた(1537年)庵は初め成鳴寺といわれたが乗運寺とPhoto_10 変わり現在に至っている。天正8年(1580)武田勝頼が北条氏政と対峙するため、兵を率いて浮島原に本陣を置き、北条方の伏兵に備えて千本松原の松を伐り倒させたため、土地の人々が被害を受け難儀をしていたのを、巡錫中の長円が心を動かされて松苗を植えたという説もある。ただ、伝えられる増誉上人の没年(天正8年)から考えると、増誉上人の植樹と関係のある合戦は、天文6~23年(1537~54)にこの地域で繰り広げられた、「後北条氏と今川・武田氏」による「河東一乱」と考えられる。
寺にはこのほか、千本松原をこよなく愛した歌人・「若山牧水の墓」、寺内で「斯道会」という漢文の講座を開いていたという「池谷観海の碑」などもある。平成6年「静岡県都市景観賞優秀賞を受賞」 場所 沼津市千本

Photo_13 37【東方寺】36のまえにあります。臨済宗妙心寺派 明暦元年(1655年)天岫雲(てんしゅううん)和尚再興にて開山。以前は円覚寺派の鎌倉円覚寺の末寺だったが現在は妙心寺派の興津の清見寺の末寺となっている。江戸時代より昭和50年頃まで清明丹東方寺目薬という漢方薬を製造販売しており切疵、胃潰瘍など塗ってよし、飲んでよしの万能薬とされ一時期は薬の売り上げで寺が運営されていたという。大正5年より80年余、座禅会と講座が行われている。場所 沼津市浅間町260

Photo_14 38【妙海寺】37から駅前(燦燦)通りに戻り狩野川永代橋交差点を右折し暫く行くと左にあります。日蓮宗の寺で、開基は山本重安、開山は日蓮の弟子中老僧日実である。日蓮真筆の十界曼陀羅3幅を本尊としている。正嘉元年(1257)8月23日、相模湾を震 源とする大地震があり、当時の首都鎌倉では数千人に及ぶ死傷者がでました。この震災の渦中にあっPhoto_15 た日蓮聖人は、地震が起こったのは人々の仏教信仰のあり方に誤りがあったからだと考えました。その考えを確かめるために、富士市の富士川のほとりにある岩本実相寺の経蔵に向かったのです。
翌正嘉2年(1258)正月、日蓮聖人は沼津に到着しました。伝説では海から舟で来られたそうです。そのとき沼津は大変風が強く、民家の方まで高Photo_16 波に洗われていました。沼津の人々の困り果てた様子を見た日蓮聖人は、千本浜付近にあった釈迦堂(如来堂)にて8日間にわたり法華経1部8巻の祈祷をし、津波除けを祈願しました。
祈祷が終了する8日目の朝、如来堂の脇に立つ松ノ木の枝に神々しい光が差し、八大龍王が現れました。八大龍王は日蓮聖人の祈祷を受けたPhoto_17 喜びを告白し、聖人に沼津を津波や高波から守ることと、法華経を信じる人を守護する事を誓いました。そしてその日から高波は治まりました。
その様子の一部始終を見ていた山本弥三郎重安は妻と共に日蓮聖人に帰依し、優婆塞日安(うばそくにちあん)という法号を戴きました。後に、日安は如来堂を改築して寺院と成し、日蓮聖人から御本尊を頂戴し、聖人の直弟子但馬公日實聖人を初代住職に迎えて妙海寺を創立しました。
妙海寺は現住職で54代目となり、730年余りの法灯を護り続けています。妙海寺を引退した後にお寺を創建したり再建した住職も多く、松長の蓮Photo_18 窓寺や函南の妙法寺、香貫の塩満寺、大平の円教寺などのお寺に、歴代の住職が深く関わっています。室町時代末から江戸時代の初期には寺領も1万坪を越え最盛期を迎えていました。古くは北条早雲、戦国期には武田信玄や北条氏康などから寺領を安堵された書状などが多く残っています。
平安時代作の釈迦座像や江戸時代の日蓮聖人像と、開山の折りに戴いた聖人自筆の大曼陀羅御本尊は今も受け継がれ、毎年1月8日の午前6時半、約30分間御開帳が行われます。(沼津市仏教會HP)

場所 沼津市下河原町 466

Photo_7 39【妙覚寺】37の南すぐです。日蓮宗の寺で、開山は日安、文永年中に創建された。寺伝によると、「平維盛の子六代は、仏門に入り文覚の弟子となって妙覚といった。建久年間文覚の謀叛に連座して、相模国手越川原において誅せられたが、その臣斎藤六範房が、六代の首級を抱いて千本松原に至り、以前の擬刑の地に埋めて、ひそかに下河原に移り住Photo_8 み、朝夕香花をたむけて六代の冥福を祈った。範房は正治2年(1200)に伊豆にのがれ住んだが、再び沼津に来住した。その孫に当たる利安は、日蓮が来沼して法を説くのを聞き、これに帰依して名を日安と改め、自宅を精舎として、満松山妙覚寺と号した。

Photo_5 ちなみに「あすなろ物語」では渓林寺として登場。井上靖の記念碑は門を入ってすぐの場所にあります。井上靖の碑文を中心に、井上、藤井、岐部、金井、露木の沼中時代の短歌や詩も刻まれています

思うどち 遊び惚けぬ そのかみの 香貫 我入道 港町夏は夏草 冬Photo_6 は冬濤]  井上靖

私は沼津中学時代、三学年に進級した大正一三年(一九二四年)四月から下河原町の妙覚寺に下宿させて貰った。正確な言い方をすれば、預かって貰ったのである。そして翌一四年四月に沼津中学校の寄宿舎に入るまで、一七歳の春から一八歳にかけて、妙覚寺を根拠地として、なんと自由に、少年らしい明暮を持たせて貰ったことか。妙覚寺には、たいへんお世話になった。と言って、お世話になったのは、私ひとりではない。私を取り巻いている友Photo_7人全部と言わなければならぬ。藤井寿雄、岐部豪治、露木豊、金井廣らの面々で、いずれも、少年詩人でもあり、少年歌人でもあった。詩を書いたり、詩を作ったり、香貫山を歩き廻ったり、千本浜で泳いだりした。この間の消息は「夏草冬濤」に詳しい。それから、いつか、茫々六十余年、藤井、岐部、露木の三君は故人になっているが、金井上はまだ健在で、顔を合わせる度に、遠い妙覚寺時代を偲び、自分たちはあのすばらしい青春の泉から出発したと、そうした思いを深くしている。平成二年六月  井上靖

場所 沼津市下河原町1147-1

Photo_19 40【長谷寺】今から千百余年前弘法大師が全国を游行なさってこの地に立ち寄られた折、当時の漁師が信仰していた観音様をお堂に安置しお祭りしたのが始り。平安時代朝廷直願により大和に初瀬(はせ)寺が立ちその後観音信仰が盛んとなり全国で百十余の長谷寺が生まれその一ヶ寺として現在に至っている。ご本尊は「十一面観世音菩薩」で頭に慈悲・慈愛・Photo_20 怒りの相を示す十一の顔を持ち私達人間の煩悩や苦悩を、お救いくださる。年1度4月に開帳の法要が営まれその際大曼荼羅が開帳されます。昔航海の安全を祈願して船主は無事帰還の礼に船の命綱と帆に霊像を写し奉納したのが始まりといわれる。大きさは200畳の綿布に精巧に描かれている。長谷寺は江戸時代より駿河一国三十一番札所に成っている。境内には杉田玄端の墓碑があります。所在地沼津市千本緑町(千本浜入り口に有ります)

Photo_3 41【本光寺・首塚】千本松原に隣接する本門法華宗【本光寺】日蓮大聖人が文永11年(1274年)車返しの里(現在の三枚橋付近)に霊場本光寺として開山したとの事。沼津城(江戸時代)築城の際、車返しの地より旧境内地八幡町に移転再興した。昭和25年千本の現在の地に移転した。本光寺の北角にある【首塚】 戦国時代沼津周辺では小田原北条氏と甲州Photo_4 武田氏の勢力争いが激しく特に天正8年(1580年)の千本浜の合戦は激戦であった。明治33年暴風雨で倒れた松の大木の下から多くの頭骸骨が発見され鑑定した結果この時代のものと確認された。地元市道町の人が今も霊を厚く弔っている。

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