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2008年3月20日 (木)

【ぶらり近くの東海道】沼津編 Ⅲ

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ぶらり近くの東海道沼津編  Ⅲ

Photo 12海軍工作学校記念碑11を出て交差点を左折し南へ約400mタクシー会社手前左折10m道路を入った所にあります。昭和19年海軍の施設として建設された沼津海軍工作学校の跡を記念して平成10年に建てられました。場所 清水町長沢

Photo_213東海道長沢松並木12より戻り先程の交差点を左折すると左側に松並木が見えてきます。臼井国際産業玄関前の松の木の下に、【夢舞台東海道 【長沢松並木 】の道標があります。松並木は参勤交代の便を図る為植えられたようです。慶長九年二代将軍徳川秀忠の命により街道の大改修が行われ、この松並木もその際整備されました。街道を行き交う当時の旅人も風雨を防いでくれたり、道に迷わず歩けたり、松並木に助けられたでしょうね。今はおよそ100mくらいしか残っていません。

Img_1801_214智方(ちかた)神社】13松並木を過ぎるとすぐ右手にあります。武2年(1335)、足利尊氏により鎌倉に幽閉されていた後醍醐天皇の第三子である大塔宮護永親王(建武の中興に大きな役割を果たした人物大塔宮とも呼ばれている)は、北条氏の生き残りである北条時行が鎌倉を攻めたときに尊氏の弟である直義の命により部下の淵野辺義博に暗殺された。お側に仕えていた宮入南の方(藤原保藤の)は御首を柩に収め、ご他Img_1803界の状況を中央(南朝)に報告するため追っ手を避けて足柄街道を当地まで来たが、黄瀬川が増水しており渡るのが困難であったため、止むなく小祠の辺りに、宮の御首級を葬り楠を植えて墓印としたという。北条時行がこれを神社として現在にいたっているとの事。境内右には清水町内最大の樹木である「大きな楠」(高さ28m周囲7m根回18.8m)がある。社殿右に宇迦之御魂命を祀る穂見神社もある。鳥居左に天保3年(1832)右に明治43年(1910)の常夜燈があり社殿前の灯籠は宝暦8年(1758)のもの。狛犬は昭和15年(1940)境内には湧き水が流ている。

15黄瀬川橋】14からすぐに黄瀬川に出ます。橋の手前左の階段を下りると土手下に寛政元年(1789)文字だけの庚申塔を始め地蔵や馬頭観音、蛇塚など8基の石仏、石碑群がある。橋は慶安2年(1649)頃かけられたの最初で昭 和初期頃まで板橋だった。現在の橋は昭和38年築である。黄瀬川は全長31㎞で富士山東麓を水源とし狩野川に合流する。以前は木瀬川とも呼ばれ鎌倉時代は手前に木瀬川宿(黄瀬川宿)があって足柄路と箱根路の分岐点として賑わい江戸時代には立場になっていた。橋を渡ると清水町から沼津市大岡Photo_3に 入る。橋を渡ると左手土手付近何やら工事中です。しばらく行くと昭和8年清水町にて創業した和菓子屋で平成14年の第24回全国菓子大博覧会で生クリームどら焼の街道いち(126円)が金賞を受賞した光来堂がある。近隣の名所旧跡にちなんだ名前の菓子を作り対面石(126円)源氏双柿(126円)沼津宿(115円)柿田の湧水(157円)亀鶴姫まんじゅう(130円)などがある。

1Photo_46潮音寺・亀鶴姫の碑】旧道沿いに暫く行くと右側にあります。臨済宗妙心寺派 文和元年(1353)文紹禅師が建長寺末寺の普門院として創建し慶長年間(1596-1615)に妙心寺派の天心和尚が現地に移転し改称した。本尊は聖観世音で恵心僧都の作といわれる。本堂は昭和48年築。入って左側に元禄10年(1697)建立の「亀鶴姫の碑」がある。もとは弘仁年間(810- 824)弘法大師が観世音菩薩を刻み建立した一宇が起源の亀鶴山観音寺にあっPhoto_5たが明治12年に廃寺になり移された。 亀鶴姫は駿河の国大岡荘黄瀬川村の長者、小野善司左衛門の一人娘として生まれ、世に聞こえた美女であった。この亀鶴姫は曽我兄弟が工藤祐経の寝所に討ち入ったとき添い寝をしていたという。建久4年(1193)、富士の巻狩の折、その美麗を伝え聞いた源頼朝が強く召されたが応ぜず、18歳の春Img_1813黄瀬川の上流鮎壷の滝に身を沈めたという。姫は亀鶴観世音菩薩として潮音寺に奉られており、諸病全快の菩薩と言い伝えられている。
観音寺本尊だった亀鶴観世音菩薩石像も観音堂に移され境内左にある現在の堂は昭和20年焼失後平成3年に再建されたもの。境内左には安政4年(1857)六字名号碑などの石塔石仏もある。駿河一国33観音霊場33番札所、両国横道33観音霊場11番札所、東海88ヶ所観音霊場66番札所。場所 沼津市大岡434

Img_1951 17沼津領傍示杭】少し先のアパート前の駐車場横に「従是西沼津領」 と書かれた[傍示杭]が建っている。江戸時代、水野出羽守忠友が城主であった頃の沼津領の東端を示している。水野出羽守は安永6年(1777)に沼津藩主になっている。この時代、伊豆は天領で、韮山に代官屋敷跡である江川邸が残っている。この江川代官が治める天領と沼津領の境界だったそうだ(水野出羽守忠友は、10代将軍徳川家治の命により、代官江川太郎左衛門英征支配の天領の一部を引き継いでいる)。東海道五十三次之内 藤川・棒鼻ノ図にもあるように、この傍示石も初めは「木製の傍示杭」だったそうで、幕末になって作り変えられたという。傍示石は3面に同じ文字が刻まれており、沼津領に入ってくる人が見えるように建っていたそうだ。つまり、文字のない面を西側の領内に向けていたのだ。元文5年(1740)の「村明細帳」では、当院所在の久保には29軒の農家があったという。まさに沼津領の端だったのである。沼津市西間門にも、従是東(沼津領)と書かれた傍示杭がある。2つの傍示杭の間が当時の沼津領という。

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