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2008年3月27日 (木)

【ぶらり近くの東海道】沼津編Ⅸ

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ぶらり近くの東海道】 沼津編 Ⅸ

Photo 42【千本浜公園】公園入口の石柱は明治40年(1907)12月1日開園当時のもので、西園寺公望の書である。駿河湾に沿って松林が連なる自然公園【千本浜公園】は東海道随一の景勝地として、古くから知られています。美しい松林と秀麗な富士山、そして海の彼方に沈む太陽は文字通り風光明媚そのもの。千本松原は、戦国時代の「武田・北条」の戦いで切りImg_1756 払われたとき、千本山【乗運寺の開祖・増誉上人】が植えたものが今に至っていると伝えられています。またここは多くの文人とのかかわりも深く、千本浜公園には「若山牧水・井上靖・池谷観海・角田竹冷・明石海人」の歌碑や文学碑が建てられています。
 松林の中にある遊歩道は千本浜公園から原まで続いており、市民に親しまれるウォーキング・ジョギングコースとなっています。「潮の音プロムナード」は、沼津自慢の海辺の散策路です。多くの文人、著名人に親しまれた千本松原から志下海岸までの約6kmのプロムナードを、潮風といっしImg_1757 ょにそぞろ歩きしてみませんか。松林越しに富士山を見ながら多くの文学碑がある千本浜公園を散策し、若山牧水記念館を訪れ、さらに魚市場や我入道の渡しを利用して沼津御用邸記念公園まで続くウォーキングコースです(沼津市HP)

Photo_2 43【大聖寺】千本浜から浅間神社交差点に戻り左折し右にあります。文亀年間(1501-4)鎌倉建長寺より鏡山禅師を拝し沼津仲町開祖、7代後北条氏の乱に遭い全焼。その後法脈中絶、真言宗に属したが天正12年災害により寺運衰退、慶長12年沼津城主大久保右衛門忠佐より境内外地9石8斗寄贈、清見寺より説心和尚を招き、中興開山始祖として妙心寺に転宗。本尊は行基菩薩作の香木観音菩薩像あり、戦災にて焼失す。昭和51年本堂再建に際し、沢庵禅師記名の釈迦牟尼佛坐像(阿弥陀印指)入佛落慶す。

Photo_3 44【永明寺】臨済宗妙心寺派 足利3代将軍義満の代(およそ630年ほど前)に沼津の郷、春日岡(現在の下河原蛇松の地)に建立される。 開基無及禅師は、鎌倉建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)禅師の法を継ぎ、圓覚寺開山無学祖元(むがくそげん)禅師を宋の国から招聘(しょうへい)する特使となられた方である。開山無二禅師は、圓覚寺無学祖元禅Photo_4 師の仏光派に属し正宗禅師と勅謚(ちょくし)され明徳元年(1390)に示寂された。
その後、慶長16年(1611)狩野川の大洪水により諸堂を流失し、寺運衰退するが元和年中(1620頃)8代大清(だいしん)和尚(当山準開山)が、興津(清水市)清見寺説心和尚の法系を継ぎ永明寺の再興を図る。これより京都花園妙心寺派に属す。
その後、大いに人心の帰依を受け、慶安2年(1649)8月17日には、徳川3代将軍家光公より寺領15万石1斗余りの朱印地を賜り堂宇を再興されPhoto_5 る。萬治2年(1659)8月再び大洪水により諸堂を悉(ことごと)く流失する。再築を図るが志を遂げられず千本浜不動堂明星寺に仮寓し示寂す。
寛文中(1665頃)9代太傳(たいでん)和尚は、師の志を継ぎ水禍の地を避け、塩留城(沼津城)の南西(現在地)に寺域を定め再建した。
昭和20年7月17日に大東亜戦争の空襲で本堂及び諸堂を焼失する。時の23代宗眠(そうみん)和尚は、焼夷弾の中、本尊様を背負い池に沈め守り抜かれた。昭和39年24代大関(だいかん)和尚により本堂が再建され昭和56年には鐘楼堂も建立され境内も整備された。
Photo_6 火伏ひぶせの松(御幸の松)
 
永明寺には、高さ6尺余り東西6間半、南北4間半、枝数108枝の東海道一の名松「火伏の松」がありました。御用邸より昭憲皇太后様が6回行幸され「御幸(みゆき)の松」と呼ばれるようになりました。空襲により、焼失、現在2代目が育っています。(仏教會HP)


Photo_7 45【出口町見付跡浅間神社近くに出口町見付があったそうだ。沼津宿の西の出口にあたり、ここが沼津宿の中心の西はずれになる。少し行ったところに、出口町見付外の説明版がある。この場所の南側に出口町見付があったと書かれている。今でも地区の年配者はこの辺りを「出口」と呼んでいる。

Photo_8 46【蛇松緑道】かつて東海道本線沼津駅から沼津港へ貨物線が延びていました。正式名称は東海道本線沼津港貨物線ですが 終点の港と(蛇松貨物線の名前の由来は、狩野川河口付近に生えていた「蛇のように曲がりくねった松=蛇松」にちなんでいるそうです)と沼津駅を結んでいました。この線の歴史は非常に古く、静岡県 で最初の鉄道はこの蛇松線でした。Photo_9 (明治20年)当時工事が進められていた東海道本線(御殿場廻りの旧ル ート)の建設資材を運ぶために建設され、その後は沼津港で水揚げされる魚介類を運ぶために利用されまた。 廃止になったのは昭和49年です。この線路の跡は全線遊歩道として整備されて、地元の方々の努力もあり奇 麗に整備されています

47【慈光院】浄土宗慈光院は寛文13年(1673)に教誉臨相上人によって開設されます。境内にある延享3年(1747)に建てられた石塔の記録によれば当初は浄土宗捨世派の一心院の末寺であったようです。沼津の市街地をはずれて西の方、昔は東海道に面して小さなお寺がありました。これが慈光院なのですが、本堂の中に大きなお釈迦さまが安置されていたため、近所のみなさんは迦堂(しゃかどう)と呼んでいたようです。この釈迦堂Photo_10廬舎那仏(るしゃなぶつ)なのですが、高さが約2メートルもあるため、本堂中央の本尊さまの位置に安置されていました。この「廬舎那仏」は木造を彫って組み合わせた寄木造りで造られいて、内部に書かれいる胎内書(たいないしょ)によりますと、「作者は京都の仏師、天野朝重」「寛文12年の冬から制作をはじめ、13年の3月に完成」などのことがわかります。このように製作年代・製作場所・作者等が墨書銘で伝えられていることが貴重であるということから、昭和47年に沼津指定の文化財となりました。仏さまは4代将軍家綱公の時代に製作されたのですが、多くの江戸の方々の寄付によってできています。
本堂内に残る記録によりますと「釈迦如来造立の施主 武州江戸州」とあり、「本湊町1丁目 沼津屋孫兵衛」にはじまり、浅草・日本橋・本八丁堀などの町名、175名の方々の名前が残されています。どうして、沼津の地に江戸の人々が多額の財浄を寄進し、このような仏像を祀ったのかはわかりません。しかし、そんな謎もなかったごとく、お釈迦さまは今もおだやかなお顔をして静かに坐っていらっしゃいます。(HP)

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