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2008年3月22日 (土)

【ぶらり近くの東海道】沼津編 Ⅳ

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ぶらり近くの東海道】沼津編 Ⅳ

Photo 18【耕雲寺】17からほどなく旧国1旧道と新道が合流している。この合流点に東海道であることを示す道標が立って久保川が交差している、以前は黄瀬川が通っていた場所で大雨が降るとしばしば黄瀬川の本瀬になってしまったと言う。確かにこの辺りだけくぼんでいる。合流点の右奥に耕雲寺がある。【耕雲寺】は臨済宗妙心寺派に属する由緒ある寺だそPhoto_2 うで、白鳳時代にさかのぼる大永年間(1520頃)に太岳和尚が阿弥陀寺を増改築して開山し、本尊は阿弥陀如来。北条との戦いで、武田信玄がこの地まで進軍した時にこの寺で休憩をとり、太岳和尚に授けたと言う一夜切の笛と菅原道真縁の天神像を寺宝としているとの事。

Photo_6 19【大岡新田川】18から少し行ったところに新田川がある。とても小さな川で見逃してしまいそうだが、実はこれは用水路である。当時、大岡の荘には水がなく、平坦な畑であった。貧しい農民はなんとか米のとれる豊かな村にしたいと、慶長7年(1602)に小林村、上石田・中石田・下石田村、黄瀬川村、日吉村、沼津村が協 Dscn0512 力して黄瀬川の鮎壷上流に牧堰をつくり、そこから水路を掘削したと言う(牧堰用水)下石田村を流れる部分は新田川と呼ばれ、東海道往還を横断するところには石橋を架け、新田橋と名付けられた。その後、浪人川など用水路は網目状に広がり、大岡の荘だけでなく沼津村、東間門村まで潤すようになると灌漑用水が不足し、正保2Img_0215 年(1645)牧堰の改良工事と門池を拡張して溜池とし、そこから水路を設置している(左画像・大正14年作成の駿東郡大岡村絵図、門池から発した多数の用水が村を潤している様子が良くわかる)大岡の荘一帯では飛躍的に米の収穫が増え、流域の人々に大きな恵みをもたらせた重要な水路であったと言う。この看板あたりも両側松並木だったようだ。江戸時代の下石田村の様子はルネサンストーアスポーツクラブ陸橋下歩道に「歴史マップ沼津市大岡」に記載されている。看板横5mには「東海道駿府まで15里」の矢印の付いた道標がありました。

Photo_3 20【平作地蔵】道標から少し行き二又路を左に再び旧道に入ります。暫く狩野川の土手と平行に歩くと平作地蔵尊】が左手にあります。いつの頃創建されたか明らかではありませんが有名な浄瑠璃「伊賀越道中双六」に出てくる沼津の平作にゆかりの深い地蔵尊としてその名を知られています。この地蔵尊は延命子育地蔵として長い間土地の人々の信仰を集めています。例祭は7月15日地元民の手で行われています。 場所 沼津市平町 

Photo_4 21【沼津平作地蔵と文楽】沼津市の千本松原。冬だというのに海岸沿いに果てしなく続く松林の緑は濃く、空を見上げると、とんびがのんきそうに輪を描いている。白砂青松とはまさにこのこと『伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)』より「沼津の段」は文字通り、沼津の街道筋が舞台。幼いころ生き別れになった老父・平作と息子・十兵衛。しかし二十数年ぶりに再会したとき、2人は敵同士の立場に立たされていた老父・平作と息子・十兵衛の悲しい情愛を描いた『伊賀越道中双六・沼津の段』は東海道五十三次のひとつ、沼津の宿あたりが舞台です。
Img_1374 〈『旦那(だんな)申し、お泊りまで参りましょうかい。…けさから一文も銭の顔を見ませぬ。どうぞお慈悲』〉沼津の街道筋を急ぐ十兵衛に声をかけてきたのがよぼよぼの老人足、平作。見ればつぎはぎだらけの衣服。かわいそうに思った十兵衛は荷物を持ってもらうことにするが、平作の足もとはおぼつかない。人のいい十兵衛は銭を払って自分が荷物を持つ-。人間国宝、竹本住大夫が語る平作の第一声は、その善良な人となりやその日暮らしの生活まで見事に映し出して笑いと涙を誘う。「一方の十兵衛も町人ではありますが、侍のように気骨のある男。すっきりした足取りに二枚目の雰囲気を出さねばなりません」。昨年12月の東京・国立劇場の文楽公演で十兵衛を遣った吉田玉女さんは言う。実は平作は十兵衛が幼いころ生き別れた父親。しかし再会したとき、2人は義理がからむ敵同士の立場。平作の娘お米の夫が仇と狙う沢井股五郎を逃してやったのが十兵衛だったのだ。娘のために十兵衛から何とかして股五郎の居場所を聞き出そうとする平作は、ついに十兵衛の脇差しで自分の腹を突き、冥途(めいど)の土産に聞かせてくれとすがる。Photo_5 〈『股五郎が落ちつく先は九州相良、九州相良。道中筋は参州の吉田で逢うたと人の噂』〉。実の親の命をかけた願いについに股五郎の居場所を教える十兵衛。文楽屈指の名せりふである。平作の自害を蔭で見ていた娘(数馬の妻)は、股五郎の行方を数馬に伝え、数馬は本懐を遂げる。

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