« 【ぶらり近くの東海道】沼津編 Ⅳ | トップページ | 【ぶらり近くの東海道】沼津編Ⅵ »

2008年3月23日 (日)

【ぶらり近くの東海道】沼津編 Ⅴ

にほんブログ村 地域生活ブログ 静岡情報へ

ぶらり近くの東海道】沼津編 Ⅴ

Photo 22【沼津日枝1里塚】21からほどなく右手に小さな公園が整備されている。そこに江戸から数えて29番目、およそ30里の【日枝1里塚】がある。ここは日枝神社の旧参道入口だったという。江戸時代の初期(慶長年間)、幕府は交通政策の一環として主要街道の整備を行い、従来の6町1里を36町1里に改めた。そして、街道1里ごとに道路の両側に塚を築き、その上に榎を植えて旅人の標識とした。日枝神社の旧参道の小丘は、旧沼津宿の面影を残している唯一の一里塚跡で、もとは反対側の狩野川の方にもあったと思われるが、現在はない。江戸からこの一里塚までの距離は、30里9町ある。伏見一里塚からの距離が合わないが、沼津宿になるのでその手前につくられたものだろうという。
ここに植えられた榎は、つい近年まで残っていたが、枯死してしまい、新しい立木に植え替えられている。

Photo_2 23【玉砥石】22の1里塚と同じ公園にある。古墳時代(1000~1500年前)この地方に装身具の玉類を作るのを業としていた人たちが住んでいた玉造郷という村があったといわれ[承平年間(931~938)に編纂された和名類聚抄に、駿河国駿河郡に玉造郷の名があり、香貫地区(ここより南)一帯で、玉が生産されたという説がある]この石は、その人たちが玉を磨くのに使用したものと思われている。この大小二つの柱状石には数条の直線的な溝があり、これは古代に玉を磨いた痕跡であると伝えられているが、詳細は不明である。。 一里塚公園内にあるこの玉砥石は県指定有形文化財(考古資料)に指定されており、近くには式内社(延喜式記載の古社)の玉造神社がある。

Photo_3 24【玉造神社】23から少し歩き狩野川にかかる黒瀬橋を渡ると(香貫側)のすぐ左にある。今から1000年前に建立され、香貫地区では楊原神社・大朝神社と共に由緒ある神社です。玉造郷は一千年以上の昔 平安朝初期に伊豆と駿河の国境として狩野川の辺り香貫山麓一帯を指し玉造部氏族が住んでいた集落跡と言われています。玉作部は朝廷に貢納する丸玉や服飾用の勾玉管玉等を造る職業的部民で古代において祭祀用には欠くことのできない重要な役割をもった氏族でありました。全国に数少ない玉造郷として諸文献に記載されているとの事です。  場所 沼津市黒瀬町

Img_0961 25【霊山寺】24の横交差点を南に進むと大杏の木が見えてくる。そこが地元では【霊山寺(れいざんじ)】と呼んでいる曹洞宗永平寺派の寺。当寺は西暦1557年宗祖の道元禅師が当寺に招かれ中興開山になったといわれます。境内には県下で4番目に古い(指定24から黒瀬橋下交差点を香貫山方向の南へ暫く行くと大銀有形文化財)梵鐘が有るこの鐘は青銅製で表面に貞治三年(1364)の銘Img_0955 があり、引佐郡細江の長楽寺、静岡市興津清見寺、韮山の本立寺の梵鐘についで静岡県で四番目に古い物で県文化財に指定されています。銘文によると最初は遠州府中(磐田)の蓮光寺に奉納、後に三河岡崎の法蔵寺さらに(1505)浜松の普済寺に移されたという事です。いつ頃霊山寺に移されたかはわかっていません(梵鐘の説明版に記載)。墓地には変形宝筺印塔が4基、五輪塔が3基あり、市指定史跡に指定されている。宝筺印塔は本来「宝筺印陀羅尼経」を納めるものであるが、日本では供養塔また墓塔として作られている。4基あるうちの2基には嘉元2年(1304)、Img_0198 正和3年(1314)の年号が刻まれ、紀年銘を有する石塔としては、県下有数の古いものである。また、五輪塔は空、風、火、水、地の五大を、団、半月、三角、円、方の五輪にあて、順次積み重ねて塔としたもので、もとは舎利(仏骨)奉安のためのものであったが、後に転じて墓標となっている。藤原末期から作られ、鎌倉時代に盛んになった。中央の大きな五輪塔の下からは、青銅製の蔵骨器が出土しその銘によって、元享3年(1323)に亡くなった成真大徳という僧侶の墓であることが判明した。本県の場合、中世の蔵骨器は陶製のものが主であるので、青銅製のものはImg_0773 珍しい。県指定有形文化財に指定されています。墓地には、内膳堀を造った[植田内膳]の墓がある又裏の香貫山香稜台と近くの狩野川大橋たもとに内膳の記念碑がある。本堂は昭和40年に現在の鉄筋コンクリート造りになった又山門は市の有形文化財に指定されています。 

所在地  沼津市上香貫(香貫山上り口近く)

26【香貫山香貫山は市民に親しまれている沼津の山、沼津駅からImg_07762.5kmにあります。ここを基点に 横山~徳倉山(象山)~鷲頭山~大平山と続く沼津アルプスのスタート地点でもある。伊豆連山の北端に位置する山で、海抜193メートル。眼下には沼津市街と駿河湾に注ぐ狩野川が一望出来ます。富士山の眺めも素晴らしく三島市、長泉町、清水町も見渡せます。春には桜の名所として市民に親しまれ、夜景スポットしても訪れる人も多い所です。中腹の香陵台には、沼津市慰霊平和塔(五重塔は日清、日露、第一次、第二次世界大戦における沼津市出身の戦没者および戦死者を祀り、併せて世Img_0779界恒久平和を祈念して慰霊平和塔として建てられた。)若山牧水の記念碑(牧水は この香貫山の麓に住んでいた事がある)植田内膳碑が建っており、ハイキングコースにもなっています。

Photo_527【日枝神社】25から黒瀬橋を戻り沼津警察署の前の横断歩道を渡り斜め左沼津駅方向に少し行くと右側にあります。平安時代からの神社で山王社とも称され、人々には山王さんとして親しまれてきた。平安時代から鎌倉時代にかけて、沼津周辺は、大岡荘、金岡荘、阿野荘、三津荘など藤原氏の荘園になっていた。[大岡荘の荘官であった牧氏は武士となり、牧宗親は源平両氏に仕えた。宗親の娘、牧の方は北条時政の夫人となったが、鎌倉幕府の内部抗争に破れて滅亡した。阿野荘を治めていた阿野全成(義経の兄)も同様に北条に敗れている].関白藤原師通の領地Photo_4であった大岡荘は、嘉保2年(1095)、源義綱が比叡山延暦寺の僧を殺害するという事件があり、これに端を発し、師通は僧たちの呪詛により山王の祟りを受け、38歳で死亡した。師通の母は近江国の日吉神社の分祀を請い、これに大岡庄のうち八町八反を寄進して祀ったといわれる。これが現在の【日枝神社】で、明治に至るまで近郷近在22か村の総鎮守Photo_6の神としてあがめられた。神社には国の重要文化財に指定されている「紙本着色山王霊験 記」1巻があり古文書類が数多く残されている。又境内には「芭蕉の句碑」がある。 境内左に天満宮、左奥に高尾山穂見神社。昭和7年銅製灯籠や石灯籠、鳥居は文久2年と昭和9年、狛犬は昭和3年。境内右に元沼津兵学校教授で大正初期日枝神社神宮になった佐野照房の謝恩碑がある。   場所 沼津市平町7-24

にほんブログ村 地域生活ブログ 静岡情報へ

« 【ぶらり近くの東海道】沼津編 Ⅳ | トップページ | 【ぶらり近くの東海道】沼津編Ⅵ »

【東海道ぶらり歩き】」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 【ぶらり近くの東海道】沼津編 Ⅴ:

« 【ぶらり近くの東海道】沼津編 Ⅳ | トップページ | 【ぶらり近くの東海道】沼津編Ⅵ »

2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

訪問者カウンター

「美味い店」

  • 「ロールケーキ#バトン」沼津
    沼津近郊には美味しい店がいっぱいあります

「美味イタリアン」

  • S20190406_152648
    沼津近郊ピッザやパスタが美味しいイタリアンの店

「美味い寿司店」

  • 「海鮮丼専門店 伊助」沼津港
    沼津に来たら美味いお寿司をどうぞ

最近のトラックバック

フォト

静岡プログ村

ウェブページ

無料ブログはココログ