カテゴリー「【139号富士~富士宮】」の12件の記事

2013年6月22日 (土)

「富士山世界文化遺産に登録」 沼津「蕎麦SEIYAせいや」

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にほんブログ村   富士山世界文化遺産に!!三保松原も勧告を覆して登録されました!!Numazu今朝は梅雨の一休み久しぶりの青空です。富士山も綺麗な姿で世界文化遺産登録にふさわしい日になりました!

V2 お店はもうじき20年位になるんでは~いつも夜6時過ぎにはお店は閉まっているんですがこの日はあいていたので何年振りかに寄ってみました。Scimg4580 ランチ時にはSEIYAセット¥900を頼んでいましたが今日は夕方なので「かつ丼セット¥1400」をお願いしました。かつ丼はかつも大きく丼ぶりも並みの大きさ。お蕎麦も結構量があり、お新香や煮物まで付いています。冷たい蕎麦も色々ありますが天麩羅皿そば¥1500やかきあげ皿そば¥1200なんかもこれから暑くなると食べたい一品です。

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私が入った時は3人ほどお客さんがいましたが私が最後になったみたいで閉店の準備をしていました。やはり終わりの時間は早い様です。2 こちらの「鶏のから揚げ」美味しいですよ!売り切れが早いので予約しないとなかなか食べれません。場所 沼津市御幸町9-26 月曜定休

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2010年4月14日 (水)

富士市「医王寺」浄土宗 山本勘助供養塔

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天平11年(739)己卯国分寺として創立。永禄年間(1558~69)改宗するとともに医王寺に改称。薬師如来(市指定文化財)には十二カ条の本願があり、すべての病から人を救う仏様で、この医王時の薬師如来は眼病を治す霊験あらたかで堂内には満願お礼の絵馬が多数奉納されています。御開帳は50年に1度という秘仏。本堂の東側の高台に「薬師堂」があります平安末期の作とされる富士市文化財 木造薬師如来坐像があります。

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境内には、武田信玄の名参謀、山本勘助の供養塔があります。

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富士市文化財 木造薬師如来坐像、医王寺経塚遺物、医王寺のマキ、
場所 富士市比奈1546

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2010年4月 4日 (日)

富士市「瑞林寺ずいりんじ」黄檗宗

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「瑞林寺」黄檗宗(おうばくしゅう)の縁起は1674年この地を治め、開発事業に精を出した、古郡文左衛門の命により招かれた「鉄牛道機禅師」が開創したといわれています。本尊「木造地蔵菩薩坐像」は平安時代末期の慶派の仏師の作といいます(重文指定)場所は富士川の水勢をくい止めるために築かれたという、「雁堤かりがねづつみ」の近く富士市松岡489にあります。

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「山門」切妻屋根の中央部分が一段高くなった、切妻造段違の本瓦葺の山門は、萬福寺総門を髣髴させる造りとなっており、いかにも中国色を残す黄檗宗の寺らしい造りとなっています。中華街の牌楼に何処か似ています。安政の大地震(1854)以前の建立とされています。黄檗宗は宇治の「萬福寺」が本山中国禅を伝える宗派。

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山門を抜けると、参道が鍵型になっており、左右の石垣と、朱塗りの太鼓橋、そして竹林が、何とも言えない雰囲気を醸し出しています。富士市指定文化財(本堂・鐘楼・山門・参道石垣)

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本堂の右手にある「鐘楼」は明治の1882年に造られたといいます。聞いた所によると一見二階建てに見えるのですが、実は平屋建ての建物なんだそうです。

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修復された「毘沙門堂」 お堂は唐破風と千鳥破風をあわせた重厚なこけら葺き。小ぶりな造形ながら、組物の造りは凝っており、四方に麒麟や双魚、十二支など縁起物の彫刻を施している。

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境内に咲いていた「みつまたの花」(3月15日撮影)

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寺の近くにある「松島園のたんきり」ピーナツだけと思ったらアーモンドもありました。白砂糖と黒砂糖味があります。以外と薄くカリッとしていて歯が悪い私も美味しくいただきました。

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2010年3月29日 (月)

「国道139→358で山梨へ」桃の花咲き始め、プラムの花が見頃

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28日国道139号から358号で甲府まで行きました。Dsc_0502 

朝霧高原ではハングライダーが十機ほど舞っています。ス~イスイふんわり上手く気流を掴んで気分よさそう!山肌にはまだ少し雪が残っています上空はきっと冷たいんでしょうね~

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本栖湖、精進湖を抜け境川へ出ると一面の白い花が目に付きます。車を止めパチリ、太陽の光を受けた「プラムの花」は宝石のように輝いて見えます。今が見頃なんでしょうね!

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「プラムの花」近くで見ても爽やかで可憐です。花言葉の忠実、貞節もうなずけます。純白の花は桜に負けず非常に美しいですね。咲く時期は梅より遅く、桜より少し早い頃だそうで果実用に栽培される木なので上に伸びる枝は剪定されて背の低い木になっていることが多いいようです。

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もう少しするとこのあたりは山全体がこの「桃の花」のピンクに覆われます。まだ見頃は少し早いようでしたが山麓一帯がピンクの桃源郷になるのも、もうじきのようですよ~

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4月上旬桃の花が満開になると見ごたえがありますよ!道路沿いは桜の花がまだ綺麗でした(染井吉野や下垂桜)、家々の庭先に転々と白木蓮やコブシも咲いています。(3月28日撮影)

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2010年3月21日 (日)

富士市「實相寺」

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春の暖かい季節になりました。約1年ぶりに「寺巡り」再会です。以前沼津、三島、伊豆、地区の多くの寺院を巡りました。これからは「富士→富士宮→静岡地区」「小田原→鎌倉→三浦半島」をゆっくり廻りたいと思っています。静岡は今川・武田。小田原は北条、鎌倉は源頼朝、三浦半島は三浦一族等、時間はかかりますが面白い旅取材になりそうです。

富士市「本山 實相寺」日蓮宗

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日蓮聖人が、『立正安国論』執筆の構想をねった實相寺は富士市の西方、富士川の東岸にあります。岩本山から駿河湾を見下ろす小高い丘の麓にあり、境内を通って岩本山に登ると、春には梅や桜、初夏にはツツジや紫陽花が咲き、北東には富士山がそびえています。

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寺は久安元年(1145)鳥羽上皇が比叡山横川の智印法印に命じて創建した天台宗の寺であったという。この寺の一切経蔵に籠もって、『立正安国論』を著されたといわれているため、現在宗門の霊跡本山となっている。宗祖当時は49院50坊を数えたという。
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宗祖が鎌倉で法華経の弘通活動を初めてまもなくの頃、 異常気象や地震がおこり、疫病がはやって天地が乱れていたため、その原因と対策を究明するため当山の一切経蔵に入蔵して閲読し災害から諸人を救済する方策を『立正安国論』にまとめあげた。

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宗祖入蔵のおり、学頭智海法印が宗祖に帰依して日源の名を賜わり、全山あげて日蓮宗に転じた。また、この時、のちの六老僧、日興・日持はここで宗祖と師弟の縁を結んで、常時、宗祖に給仕した。
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宗祖を開山と仰ぎ、日源は2祖となって、後には碑文谷の法華寺、谷中の感応寺、雑司ヶ谷の法明寺等を開くなどして中老僧の一人として仰がれた。当寺の古い経蔵と日朗給仕の米とぎ井戸は、今も昔の名残を留めている。

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富士市指定文化財として木造仁王像並び木造一切経蔵 七福神、實相寺一切経がある。

場所 富士市岩本1847

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2008年10月21日 (火)

ぶらり富士宮4 B1グルメ「富士宮焼きそば」

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富士宮でB1グルメ

富士宮焼きそば」に触れな

いといけませんね。

コシのある麺が特徴

炒めるための油は、ラード

やきそばに加えるのが、「肉かす」

振りかけるのは、イワシの

「削り粉(だし粉)」

添えるものは、紅ショウガ

食べてみると癖になりますね。

2008年10月16日 (木)

ぶらり富士宮市3「朝霧高原~」

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ぶらり富士宮市3「朝霧高原~Photo

富士山西麓に広がる標高700~1000mの高原で、牧草地が多く放し飼いにされた乳牛は一見外国の牧場風景。雄大な富士山をバックに春から夏はまぶしいほどの緑に、秋は一面のススキに覆われ、どの季節に訪れても見所たくさんあります。

Photo_2 見所は「富士花鳥園」8000平方mの巨大温室内に、世界各国のベゴニアとフクシア約1万株が1年中花を咲かせ、色鮮やかな花々が訪れる人々の目を楽しませてくれる。

富士養鱒場」富士山の豊富な湧水で約20万尾のマスを飼育。場内の一Photo_3 部が釣堀になっていて、手軽にマス釣り1500円(1kgまで、竿・エサ付き)が楽しめる

まがいの牧場

Inennasimaps富士山の麓に広がる朝霧高原に位置する牧場。動物ふれあいゾーン、森と草花散策ゾーン、体験と遊びのゾーン、お買物とお食 事ゾーンからなる。

白糸の滝」この滝は、富士山の雪解け水が、上部の水Shiraito_03を通す地層である新富士火山層と下部の水を通さない地層である古富士火山層の境の絶壁から湧き出しています。高さ20m・幅200mの湾曲した絶壁から絹糸を垂らしたように流れる様子からこの名がある。、大小 数百の滝が流れ落ちています「日本の滝百選」

Otodome_01音止の滝」大量の水が水柱となって高さ25mから、爆音を響かせて落下する音止の滝。
この滝は、白糸の滝と隣り合わせに芝川本流にかかっています。
その昔、仇討ちの手はずを話し合う曾我兄弟の声が、滝の轟音にかき消され、嘆いた二人は神に念じました。その思いが通じたのか、話合いの間、滝の音は止まったと言われています。

Jinba_01陣馬の滝」 五斗目木川にかかる滝で、上流からの水の流れと、溶岩層のすき間から湧き出す水が滝をなしている。「陣馬の滝」という名は源頼朝が行った富士の巻狩りの際、滝の近くに一夜の陣を敷いたことから名づけられた。滝の近くに一夜の陣を敷いた夜のこと、滝壷からドンドンと太鼓を打つような音がしたので不思議に思った頼朝は、次の日家来に滝壷を探らせてみた。すると、滝壷から中が空洞になった太鼓の胴のような石が出てきた。その石は、太鼓石と名付けられ今に伝えられている。

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Tanuki_02田貫湖」東西1km、南北0.5km、周囲4kmの湖水は霊峰富士はもちろん、伝説をひめた天子ヶ岳を映し、まさに神秘的な湖です。
湖畔には桜や各種ツツジのほか、北側には広葉樹林も広がり、春の桜から秋の紅葉まで、雄大な富士山をバックに美しい風景画が広がっています。

2008年10月14日 (火)

ぶらり富士宮2「曽宮一念と富士宮」

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「曽宮一念」1893-1994(明治26-平成6)Yatsugatake 

日本近代洋画の確立期に活躍した画家「曽宮一念」晩年「富士宮」に住み活躍された事はご存知の方も多いと思う。東京日本橋に生まれる。本名下田喜七。まもなく曽宮六佑の養子となる。1911(明治44)年早稲田中学を卒業し、東京美術学校西洋画科に入学。後期印象派の作風に親しみ、1914(大正3)年第8回文展で≪酒倉≫が褒状を得る。1925(大正14)年第12回二科展で樗午賞を受賞。1944(昭和19)年静岡県吉原に疎開、翌年より051富士宮市に住む。1971(昭和46)年失明し、画家を廃業した。1987(昭和62)年、静岡県立美術館で回顧展が開催された。101歳で富士宮にて没する。現在駿府博物館にて「曽宮一念企画展」が10月13日まで開催されている。

2008年10月13日 (月)

【ぶらり富士宮市1】

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【ぶらり富士宮市

Map_02富士山本宮浅間大社の門前町として栄え、元は大宮と称した。「富士宮市」という名称は元々富士郡であったことと、中心が大宮町であったことから合わせて名付けられた。富士山の登山道の富士宮口として多くの人が利用し、富士山の山頂部の半分近くを富士宮市が占めている。市北部に富士山の恩恵を受けた朝霧高原や日本の滝百選の1つである白糸の滝、平成の名水百選に選ばれた湧玉池といった自然観光地を持つ。近年、富士宮で広く食べられている富士宮焼きそばがメディアに取り上げられ有名になっている。

歴史

Syaden_1 ○806年(大同元年)、平城天皇の命により坂上田村麻呂が現在地の大宮の地に富士山本宮浅間大社の社殿を造営 ○貞観6年 富士山が噴火(貞観の大噴火)し、大きな被害を受ける。 ○源頼朝が富士山本宮浅間大社の社領を寄進。 ○源頼朝により、朝霧高原で富士の巻狩りが行われる。 ○建久4年5月28日(1193年6月28日)、曾我兄弟の仇討ちが起こる。 ○北条義時・足利尊氏・足利持氏が富士山本宮浅間大社の社殿を造営○永禄9年(1566年)に今川氏の朱印状により、楽市がこの地に広まる。 ○武田信玄・武田勝頼が、富士山本宮浅間大社の社殿の修造を行う。 ○豊臣秀吉が富士山本宮浅間大社の社領を寄進。 ○1604年(慶長9年)徳川家康によって富士山本宮浅間大社の社殿が造営される。

○1942年6月1日 富士郡大宮町、富丘村が合併し富士宮市誕生。郡より離脱。 ○1947年4月6日 第1回公選市長誕生。 ○1948年10月6日富士宮市教育委員会発足。 ○1955年4月1日 富士根村と合併。 ○1958年4月1日 北山村、上井出村、白糸村、上野村を編入。

名所・旧跡

Red_fuji_southern_wind_clear_morn_21「富士山」ユネスコの世界遺産に登録しようという運動が行われている。当初は世界遺産のうちの自然遺産への登録が検討されていたが、地元調整がつかず環境管理(特にゴミ問題)が困難なため国は推薦を見送った 。現在は文化的景観という観点から世界遺産のうちの文化遺産への登録手続きが進められており、2007年に暫定リストへ登録され、今後国際記念物遺跡会議による調査が行われることとなる。

Map_keidai_m 2「富士山本宮浅間大社」FUJISAN HONGU SENGENTAISHA 富士宮市にある神社である。式内社(名神大社)駿河国一宮で、旧社格は官幣大社。日本国内に1300余にのぼる浅間神社の「総本宮」、富士信仰の中心地である。大宮浅間とも呼ばれる。富士山を神体山とし、頂上に奥宮(富士宮市富士山頂上官有無番地)がある。<重要文化財>「本殿 」「絹本着色富士曼荼羅図 」「太刀 銘南無薬師瑠璃光如来 備前国長船住景光 」「脇指 銘奉富士本宮源式部亟信国 一期一腰応永廿四年二月 日」<特別天然記念物>「湧玉池」

3「朝霧高原」富士宮市北部・富士山西麓の高原。一部は山梨県富士河口湖町にかかる。標高800mから900m程度で、夏期に霧が発生しやすいことからこの名前がついた。広々とした草原が広がっている。水が得にくいことから、近代まであまり開発されず、鎌倉時代には源頼朝による富士の巻狩りが行われ、第二次世界大戦前には陸軍の演習場となっていた。戦後、長野県などから開拓団が入植し、本格的に開発されるようになった。最初は畑作が試みられたがあまりうまくいかず、1954年(昭和29年)に集約酪農地域に指定され、酪農が盛んに行われるようになった。1971年(昭和46年)にボーイスカウトの世界ジャンボリーが開催され、その跡地が静岡県立朝霧野外活動センターとして整備された。このころより、富士山麓の雄大な自然が注目され、観光が盛んになった。見所はぶらり富士宮NO3にて

2008年8月31日 (日)

【ぶらり富士市3】

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富士市の昔話

曽我物語】1192年征夷(せいい)大将軍となった源頼朝はその翌年、富士の裾野で大規模な巻狩りを行いました。その一行にまじり、父親のあだ討ちを行った兄弟がいました。それが曽我十郎祐成(すけなり)と曽我五郎時致(ときむね)の兄弟です。兄弟のあだ討ちは、兄弟の祖父、伊東祐親(すけちか)と工藤祐経(すけつね)の相続争いが原因でした。不満を抱いた祐経が、家臣に祐親と祐泰(すけやす)親子の暗殺を命じました。祐親暗殺は失敗しましたが、兄弟の父である祐泰は殺されてしまいました。父を殺された悲しみから、幼い兄弟二人は、どんな困難にも耐えていつか必ずあだ討ちをしようと心にかたく決めたのです。数年後、巻狩りという絶好の機会がとうとう訪れました。青年に成長していた兄弟は、巻狩りの騒ぎに紛れ、父のかたき工藤祐経を討ち取ったのです。しかし、長年の思いは果たせても、鎌倉時代にあだ討ちは禁止されていたので、兄弟はそれぞれ処刑されてしまったのでした。しかし、兄弟二人で長年の苦難を乗り越えてのあだ討ち事件は、人々の同情や共感を呼び、文芸演劇の世界にまで広がっていきました。さらに、美男子で大柄だったという十郎と、踊り子でとても美しかったという虎御前の悲しい恋愛もますます人情をあおることになりました。そして多くの人に脚色されながら、「曽我物語」として数々の遺跡とともに今に残っています。曽我八幡宮(厚原)幼い兄弟がいつか親のかたきをとろうと誓い合う像が立っています。曽我寺(久沢)兄弟の菩提寺(ぼだいじ)である曽我寺兄弟が仲よく並んで葬られています。虎御前の腰掛け石(伝法)十郎の恋人・虎御前が兄弟の悲報を聞き、崩れるように腰をおろした石が残っています。

中島の子育て地蔵】昔、富士の中島にカヤ積み揚がありました。昔の家はほとんどカヤぶき屋根だったので、人々は富士山のすそ野からカヤを刈り、一ヵ所に積んでおいたのです。あるとき富士川がはんらんし、カヤ積み楊に八十センチメートルくらいのお地蔵さんが流れ着きました。お地蔵さんは長い年月をかけて流れ着いたらしく、汚れていて、首も取れていました。そんなお地蔵さんを見つけた村人は大変かわいそうに思い、取れていた首の代わりに、丸い石を乗せ、社(やしろ)をつくってお地蔵さんを祭りました。そして、カヤ積み場の周辺をお地蔵さんの地所にして、そこからとれるお米をお地蔵さんへの年貢として、お祭りも行うことにしました。そんなある日、子供ができずに困っている村人がお地蔵さんに「子宝に恵まれますように」とお参りしました。すると、すぐに子供が授かりました。また、子供の体が弱くて困っていた村人が「子供が丈夫になりますように」とお願いすると、間もなく子供はすっかり元気になりました。それからいつの間にかこのお地蔵さんは「子育て地蔵」と呼ばれるようになったのでした。

馬車鉄道】鈴川駅を起点として吉原、伝法、入山瀬を経由して富士宮市大宮町に至る「馬車鉄道」が開通したのは、東海道線鈴川駅が開駅した翌年の明治二十三年でした。
 「馬車鉄道」は道路に敷いた線路の上を馬車で人や荷物を運ぶ、当時の最新式交通機関でした。人なら十人くらいが乗れる箱型の車を馬が引く乗り物で、その馬を手綱で操る人を「別当(べっとう)」と呼びました。そして、ところどころに「すれ合い」という馬車が相互に行き交うために四本の線路を敷いたところがあり、手を挙げて合図をすれば、途中でどこでもとめて乗り降りができる便利な乗り物でした。また、客車だけではなく、郵便物などを運ぶ郵便車もあり、物資の運搬にも利用されていました。その利益は、明治三十八年の半期だけで旅客、貨物を合わせて千七百七十五円という記録が残っています。一区間二銭ほどの当時としては、大変需要があったことがうかがえます。しかし、当時の人々の重要な交通機関であった馬車鉄道も、富士身延鉄道の開通など、文明の進歩とともに大正時代の末に廃止されました。

大渕小僧】昔、大淵新田におばあさんと男の子が暮らしていました。男の子は小さいときに両親と死に別れ、おばあさんに育てられました。物心がつくとお母さんやお父さんが恋しく、ほかの家の子供たちをとてもうらやましく思っていました。そのうえ、近所の子供からは「親なしっ子」といじめられ、だんだん心がすさんでいきました。そして畑を荒し回ったり、子供に石を投げたりして、悪いことをするようになり、「大淵小僧」と呼ばれるようになりました。小僧は人々に嫌われれば嫌われるほど、物を盗んだり、人をだましたりと、さらに悪いことをするようになりました。困った村人はおばあさんに注意するように言いましたが、おばあさんも村人の言うことを聞こうとしません。村人は小僧を捕まえて遠くへ置き去りにしましたが、すぐに戻ってきてますます悪いことをするようになりました。とうとう村人の中に小僧を殺してしまえと言う者が出て、村中が殺気立ち、名主の反対を押し切って小僧を殺してしまいました。それから、小僧を殴った人が次々と急病で死に、村じゅうに原因不明の病気がはやりました。だれからともなく「これは小僧のたたりだ」と言うようになりました。村人は「ひどいことをした」と悔やみ、子供の霊を神として祭りました。すると、村人の病気はたちまち治ったということです。

今宮の火祭り】昔、昔のことです。今宮では毎年のように火事が起きていました。それに加えて相次ぐ干ばつで不作が続き、村人の生活は大変苦しい状態に追い込まれていました。そこで村人たちは、「この災いを払いのけるように何か祭りをしよう」と相談をしました。ところがそれから三日後、またも火事が発生しました。その日は風が強く火は瞬く間に広がり、大火事となってしまいました。村人たちは、すぐに祭りを行おうと話し合い、火を清めるための「火祭り」を行うことに決めました。季節は八月の初めを過ぎていたので、お盆に合わせて祭りをすることにしました。そして、名主が三晩連続の「火祭り」をするように、村じゅうにおふれを出しました。いよいよお盆です。村の中心に火床をつくり、そこから火をもらったたいまつにひもをつけてぐるぐる振り回しながら、村の一軒一軒を回っておはらいをしました。三日目の晩には、村じゅうの人が神社の鳥居の前に集まり、大きなかがり火をたき、名主や組頭が火のついたたいまつを村人の頭の上でぐるぐる回して祭りを終えました。するとその年から、前年まで続いた干ばつもなく豊作になり、不幸な火事もなくなって村は平和になったということです。その後、この「火祭り」は何百年も続いたそうです。

吉原の身代わり地蔵】昔、吉原一丁目付近は寺町と呼ばれていました。その寺町で目Photo の病気がはやったことがありました。町の人々は困り果て、このお地蔵さんに病気を治してほしいとお願いしました。すると、不思議なことに病気はたちまち治り、人々はお地蔵さんのおかげだと喜びました。それからというもの、体の弱い子、はしかにかかった子、おできができた子などがこのお地蔵さんのところへ訪れ、「どうか治してください」とお願いするようになりました。こうして町の中から目の病気がなくなったとき、このお地蔵さんを見るといっぱい目やにがついていました。そのため、このお地蔵さんのことを「身代り地蔵」というようになったということです。また、このお地蔵さんは、昔、駿東郡青野村(現在の沼津市)の光明庵というお寺に祭られていましたが、ある年の大洪水で、元吉原宿付近まで流されてきたのを宿場の人が救い上げ、陽徳寺の本尊にしたそうです。
(以上富士市広報より抜粋)

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